年金

2008年1月 7日 (月)

何が言いたい?日本経済新聞

けさ届いた日本経済新聞に、どどーんと大きな見出しが躍っている。

「基礎年金、全額消費税へ」


「ついに政府も思い切ったか!」と思いつつ、記事をよくながめてみると、(本社研究会報告)とある。な~んだ。日本経済新聞社が独自に「年金制度改革研究会」なるものを作って、外部有識者の意見を聞きながら、報告をまとめただけのことだった。要するに、新聞社の意見を発表するための記事だったのですね。寝ぼけた頭がびっくりしてしまった。

せっかく日経が総力をあげてつくった記事なら、勉強させてもらわなきゃ。
どれどれ、画期的な提案でもあるのかと思って、記事をながめてみると・・・・

・・・・・(無言)・・・・・・・

?????????

日経さんは、さて何が言いたいのだろう?

 ポイントは、「公的年金の基礎年金(定額部分)の財源を、すべて消費税でまかなう」ということのようだ。現在、基礎年金の財源は一部を税金、残りを保険料でまかなっている。自営業者は国民年金の保険料、サラリーマンであれば厚生年金の保険料、公務員であれば共済年金の保険料がこれにあたる。サラリーマンや公務員が支払う保険料は、基礎年金の部分だけでなく、報酬比例部分の年金にもあてられる。

 2009年度の見通しによると、基礎年金の規模は19.4兆円。そのうち保険料負担によるものが12兆円となっている。保険料をもらわない代わりに、消費税を財源にしようというのが、この「年金制度改革研究会」の提案だ。消費税5%分が約12兆円にあたるので、計算があうというわけだ。

 基礎年金の財源が消費税になれば、この部分の保険料負担はなくなる。自営業者は保険料を払う必要がなくなり、サラリーマンや公務員は保険料が引き下げられる。その代わり、消費税はアップする。年金未納の問題は、国民年金加入者(大部分は自営業者)にっかかわるものなので、財源を税金にすることで問題は解決する(消費税を払わないわけにはいかないので)。 保険料方式は原則として勤労者世代にに負担を求めるのに対して、消費税方式は高齢者にも負担を求めることになる。

 財源を税方式にするメリットとして、負担が世代間で公平になること、未納の問題がなくなることが挙げられている。これによって「持続性高め、信頼回復」というわけだ。

 本当にこれだけで年金に対する信頼が回復するのだろうか?

 私も税方式を採用することには賛成だ。現実的な解決策だと思う。ただ、国民が年金制度に対して抱いている不安が、これで解決するとは思わない。

 なぜなら、国民が抱いている不安は「年金制度そのものに対する不安」だからだ。いまの制度を維持したまま、財源を保険料から消費税に換えて、つじつまあわせをしただけでは、ほとんどの国民が納得しないだろう。未納の問題は解決することはたしかだが、消費税5%アップに賛同を得るのは難しい。ただでさえ値上げが話題になっているのに。

 また、この記事にはポッカリ抜けているところがある。厚生年金や共済年金の「報酬比例部分」に関しては、まったく検討されていないのだ。サラリーマンや公務員にとっては、この部分のほうが大きな問題だ。記事によると「この制度設計については具体的に詰めず、今後の検討課題とした」とある。「具体的に詰められなかった」というほうが真相だろう。正直に告白しようよ。

 大きな見出しのわりには、内容がなかった。これで年金に対する信頼が回復すると、本気で考えているのだろうか。政府の提灯持ちになってしまっているのではないかとかんぐりたくもなる。この程度のことなら、大騒ぎすることもないだろう。日経は書く記事がなくて、困っているのだろうか?いま日本経済新聞社に必要なのは、この種の提案をすることではなく、年金問題の本質がどこにあるのかを、読者にわかりやすく解説することだと思う。日経の読者が300万人だとしたら、この記事がわからない読者が270万人以上はいたことだろう。

 日経の記者さんは、ぜひ私の書いた『会社勤めでもできる余裕の年金づくり』(明日香出版社)を参考にしてもらいたい(笑)。ソフトタッチで、いまの年金問題についてわかりやすく解説してあります。この本を読めば、300万人の読者すべてにわかる記事が書けるかもね。

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2007年7月11日 (水)

年金問題を整理する

参議院選挙が近づき、3年前に続いて、また年金が大きな争点になっています。

でも、私としては「ちょっと待って」と言いたい気持ちです。年金が争点になるのは結構なことですが、いったい年金の「何を」「どうしよう」としているのでしょうか。社会保険庁はけしからんから、お灸をすえるために自民党には投票するなというムードが高まっていますが、それが本当に重要なことなのでしょうか。

3年前の参議院選挙のことを思い出してみてください。江角マキ子の年金未納から始まり、菅直人氏、小沢一郎氏、小泉純一郎氏などの年金未納がとりざたされたドタバタ劇の結果、自民党は敗北しました。年金はたしかに選挙の争点でしたが、「払った」「払わない」といった小さな話に終始し、年金制度そのものについてきちんと議論されることはありませんでした。

本来じっくりと議論されるべき重要な法案はそっちのけで、瑣末な議論に終始する。それがパターン化しています。煽るマスコミ、それに乗っかる国民、両方に責任があります。結局、得をするのは責任を追求されずにすむ役人たちです。

また同じ間違いを繰り返そうとしているのでしょうか。そうならないためにも、自民党と民主党のマニフェストのうち、年金に関する部分を確認しておくことにしました。

(自民党のマニフェスト)
● 信頼できる年金制度の再構築 ●
誰もが老後に不安を感じないことが、「成長」の原点。
年金記録を徹底調査。すべての被保険者に年金を完全支給
社会保険庁は廃止・解体、労働組合のぬるま湯体質を一掃

(民主党のマニフェスト)
●社会保険庁の解体までに、国の責任で正しい年金記録を作り、あなたの年金を守ります。●約1億人の公的年金加入者に対して、国が責任を持って保険料納付データを届け、国民が直接確認できるようにします。●銀行通帳と同じように、全ての加入者に、全ての納付履歴を記載した「年金通帳」を交付し、いつでも自分の記録を確認できるようにします。●社会保険庁は解体して国税庁に統合し、厳格な管理・運営体制を確立します。●年金保険料は年金給付にしか使いません。●年金制度を一元化して、全ての国民が同じ年金に加入する仕組みに改めます。●行政改革を優先して、税金のムダづかいを徹底的になくすとともに、消費税率は現行のままにして、その全額を年金の財源に充てます。それにより、現行の給付水準を確保します。●年金の基礎(最低保障)部分の財源は全額税で賄い、保険料未納をなくして、確実で安定した制度に改めます。

自民党の主張は、「年金は記録どおり払います」「社会保険庁は解体します」という二つにまとめられます。両方とも当たり前のことです。嘘をついた子どもが、「これからは嘘をつきません」といっているような印象です。

民主党の主張は文字数は多いのですが(笑)、やはり自民党と同じく「年金は記録どおり払います」「社会保険庁は解体します」という主張が先に来ています。その後を読むと「年金制度を一元化する」「消費税を年金の財源にあてる」という主張が出てきます。これは自民党とは異なります。ただし、どのように実行するのかという具体的なプロセスが示されていません。消費税率を5%のままで、年金財政を安定させるというのは選挙対策としてのリップサービスとしか思えません(まあ、本当のことをいうと選挙は苦戦しますからね)。年金債務が数百兆円になるというのに、毎年13兆円の税収で何をしようというのでしょうか。

私が知りたいことは、20年、30年後の年金制度が本当に信頼できるものなのかということです。これは私だけでなく、多くの人が抱いている気持ちです。この問題に答えを出さない限り、今回の選挙が終わっても、3年後の2010年にも年金が争点になるだけのことです。そろそろ膿を出すときがきています。

社会保険庁や安倍首相を悪者にするのはストレス解消になるという話もありますが(笑)、そろそろマンネリ化してきたはずなので、じっくり将来のことを議論するときです。経営コンサルタントの都村長生氏が、年金問題について的確な分析をしています。私とは意見が違うところもありますが、よく整理されています。まずこのあたりから、年金について頭を整理してみるのがよいのではないでしょうか。
→ http://www.choseijyuku.jp/webqa/member/mwqaq101.htm

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2007年7月 2日 (月)

働きながら年金をもらう方法

今日、65歳の男性から電話をいただきました。「会社勤めをしているので、年金がカットされている。カットされた分の年金が戻ってくるかどうかを知りたい。」とのこと。社会保険事務所に電話をしてもつながらないので、私が運営している「年金の不安/撲滅委員会」に助けを求めに来たみたいです。

最初は質問の意味がわかりませんでした。働いている間にもらう年金(在職老齢年金)は、給料が一定額を超えるとカットされるのが常識で、あとで戻ってくるなんて考えてもいなかったからです。質問者はインターネットでいろいろ調べたけれども、どこにも答えが載っていなかったと語っていましたが、それもそのはずでしょう。そもそもカットされた分が戻るなんて、誰も考えないのですから。

この男性はいま65歳だから、60歳~65歳までの5年間にわたって年金がカットされているはずです。将来そのカット分をもらえると思っていたのでしょうか。60歳の時点で、会社から説明を受けなかったのでしょうか。会社から説明がなかったとしたら、その時点で調べなかったのでしょうか。のんきといえばのんき、気の毒といえば気の毒な話です。

彼がいまから5年前、60歳のときにカットされた年金は戻ってこないということを知っていたとしたら、いったいどうすればよかったのでしょうか。

①まず考えられるのは、「カットされるぐらいならいっそ働かない」という選択肢です。十分な年金があれば可能です。ただし、年金が十分な金額でなければ働かなくてはいけません。

②次に考えられるのは、「カットされる金額を小さいしながら働く」という選択肢です。60歳~65歳の間では、年金と給料の合計額が月額28万円以内なら、年金はカットされません。年金が10万円なら、月給(賞与含む)を18万円にすることで、年金は1円もカットされなくてすみます。

③第三の案は、「社員ではないかたちで働く」というものです。たとえば、同じ仕事をするにしても、会社とは「労働契約」ではなく「請負契約」を結びます。ただ、一定の時間に出勤し、定時で帰り、上司の指揮命令を受けるという形態は「請負」ではないので注意が必要です。法人を設立して、法人として会社と業務委託契約を結ぶことも考えられます。いまのところここまでする人はあまりいませんが、一般的になりすぎると役所も規制をかけるはずなので、その点は注意しておく必要があるでしょう。

④最後の案は、いままでとは少し毛色が異なります。年金カットの対象になる収入は、社員としての給料です。逆にいうと、収入が給料でなければカットの対象にはなりません。たとえば不動産収入や株式などの運用によって得た収入は対象にはならないのです。そうだとすれば、資産運用である程度の収入を得るという手が考えられます。資産配分さえきちんと行えば、年5%ぐらいの運用はそれほど難しくありません。退職金などの運用資金が1000万円あれば、それだけで年間50万円の収入アップです。この50万円を得たからといって、年金がカットされることもありません。

60歳を過ぎてからも会社勤めをすると年金をカットするという制度は、時代にあっていない気がします。この仕組みがあるために、バリバリ働ける人が仕事をセーブしている例も見受けられます。制度が人の行動を左右してしまっています。本末転倒です。

制度に左右されずに、働きたければ働く、リタイヤしたいならのんびりリタイアする、そんな工夫をしてみたいものです。

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2007年6月26日 (火)

年金は損なのか?

2003年から、『年金ガイドブック』をインターネット上で無料配布しています。最初は薄っぺらい小冊子でしたが、少しずつ書き足した結果、いまでは本一冊分ぐらいの内容になりました(汗)。全国で3000人以上の人にお読みいただいています。

さて、『年金ガイドブック』を読み終えた渡辺さん(仮名・59歳男性)から、こんな感想をいただきました。

《年金のことをこんなにも詰めて勉強したのは初めてです。まさに『年金ガイドブック』のおかげです。ありがとうございました。何をどう考えればいいのか、年金との正しい付き合いかたを教えてもらいました。私にも年老いた両親が田舎で暮らしております。おかげさまで健在ですが、この両親の経済的な面倒を負担に思わないでいられるのも、年金のおかげなんだということに驚きみたいなものを感じました。是非多くの人に薦めたいガイドです。》

(下線は筆者)

渡辺さん、よかったですね。
素直な目で年金を見ることができる人が増えて、私も嬉しいです。

このブログでも何度かお話ししていますが、私は厚生労働省や社会保険庁の味方をするつもりはありません。いまの年金制度が完璧なものだとも思っていません。欠陥の多い制度です。運営もまずいです。

社会保険庁は批判されても当然ですが、だからといって年金制度すべてが悪いというわけではありません。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」となってしまうと、「袈裟」がかわいそうですよね(笑)。年金制度に対する先入観をもたずに、素直な目でながめようと思って書いたのが、『年金ガイドブック』です。

渡辺さんの感想に関連するところでは、『年金ガイドブック』49ページにこんな記述があります。
(以下、引用)

コラム 公的年金は「損」なのか

年金の議論をするときに、「払う金額」と「もらう金額」の比較がかならず話題になります。年齢が若いと、「払う金額」のほうが「もらう金額」より多くなって不公平だという議論です。

私も「払う金額」のほうが多くなりそうな世代です。それでも、このことだけをとらえて、公的年金が不公平であるとはいえないと考えています。なぜなら公的年金があるおかげで、親の経済的な面倒をみなくてもよいという面もあるからです。もちろん、このガイドブックを読んでいる人の中にも、親の面倒を見ている人もいるでしょうが、全体としてみれば、若い世代も公的年金の恩恵を受けています。

親の面倒をみないという経済的なメリットがどの程度なのかを具体的に測定することはできませんが、プラスの効果があることは確かです。これと同じような例に、「税金」があります。税金を払うことの見返りに、私たちがどのくらい恩恵を得ているのかはわかりません。それでも、税金をなくしてしまって、警察や消防の仕事もみんな自分達でやるというわけにはいかないでしょう。公的年金も同じように考えればよいのではないでしょうか。

物事にはプラス面とマイナス面があります、「年金=悪」と決め付けてしまうと、プラスの面が見えなくなってしまいます。マイナスの面ばかりを見つめるのではなく、公的年金全体をありのままに受け止めていく態度が必要だと考えます。

もちろん公的年金のすべてを認めようというわけではありません。年金がらみの無駄遣いは徹底的に追求されるべきですし、制度自体も改めるところはたくさんあると思います。バランスのとれた見方をしようというのが、私の意見です。

(引用終わり)

「支払うお金」と「もらうお金」という損得勘定だけでみると、年金は損かもしれません。しかし、自分のいる場所からもうすこし範囲を広げて年金制度をみると、違った見方もできます。危機をあおるマスコミにつられると、いつも不安になってしまいます。一度、落ち着いて年金について考えてみませんか。

『年金ガイドブック』のお申込はこちら→ http://www.nenkin-anshin.com/

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2007年6月14日 (木)

年金で抜け落ちている視点

2007年時点で、私は44歳です。年金をもらい始めるのは、21年後の2028年からです(いまのところ)。私が年金として受け取るお金の元をたどれば、2028年に現役で働いている人たちが支払う保険料に行き着きます。私の年金は、自分が支払った保険料からもらうのではなく、若い世代が払う保険料からもらいます。

21年後の現役世代がいまと同じぐらい稼いでくれた上で、きちんと年金の保険料を支払ってくれるのであれば、私の年金は安泰です。もちろん21年後に、日本経済が大きな成長を遂げていて、現役世代の給料が上がっていればいうことはありません。

21年後がどうなるかは誰にもわかりませんが、私はそれほど楽観的には見ていません。中国やインドの台頭によって、付加価値の低い仕事ではお金がもらえなくなっています。21年後にはGDPの規模でも、日本は中国に大差をつけられていることでしょう。これまでの延長線上で考えている限り、日本で働く人の給料が上がっていくという未来を描くことはできません。よくて現状維持といったところでしょう。

現役世代の給料が伸びなければ、集められる保険料も少なくなります。したがって、その分年金は減ります。集めた保険料をパイにたとえてみましょう。年金の議論では、パイをどのように分けるかという「配分」の問題に関心が集まります。いま年金をもらっている人は、支払った保険料に対して年金を多くもらうのに、若い世代では支払う金額のほうがもらう額より多くて不公平だというのは、「配分」が問題になっています。

パイが自然に大きくなっていく状況では「配分」を考えれるだけで十分でした。しかし、パイそのものが小さくなってくるとしたら、「配分」だけ考えるだけではダメです。「配分」を考えることも大切ですが、パイを増やすことのほうがもっと大切です。このような視点が、いまのところすっぽりと抜け落ちています。

パイを増やすため(保険料を増やす)には、保険料を引き上げるという方法があります。しかし、この方法には限界があります。年金だけでなく、消費税や健康保険の負担も上がるでしょうから。残る方法は、①若い世代の人口を増やす、②給料を増やすの2つです(2つともでもよい)。

①の方法には即効性はありません。出生率が急激に改善したとしても、給料をまともに稼ぎ始めるには30年以上かかります。少なくとも、私の年金には貢献してくれません(笑)。もちろん長い目で見れば効果はあります。少子化の問題が年金と結び付けられて議論されますが、今度20年~30年ぐらいに起きることにはあまり関係がありません。出生率がだめなら移民という話になりますが、年金制度を維持するために移民を増やすというのは、そもそもおかしな議論です。

そこで、まじめに考えなくてはいけないのが②の「給料を増やす」という方法です。これは一人一人が勉強して年収を増やしなさいという問題ではなく、「日本全体として稼ぐ力をつける」という問題です。日本全体で生み出すお金を増やすことができれば、そのうちの一部が給料にまわり、年金財政も安定していきます。簡単なことではありませんが、20年後のことを考えれば、最も優先順位が高いテーマです。

安倍首相を初めとして、自民党・民主党などすべての国会議員には、まじめに考えてもらいたい問題です。もちろん私たち自身の課題でもあります。年金の議論からはじまって、どのように日本の未来を描いていくのか、という前向きな方向に議論が進んでいってもらいたいです。根性のある人が出てこないと、無理ですけどね。

http://www.nenkin-anshin.com/

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2007年6月13日 (水)

年金は国からもらうものではない

年金の報道をみていると、違和感を感じます。

いま議論されていることは、国の一機関である社会保険庁のずさんな管理体制です。国民の立場からみると、本来もらえるはずの年金が手違いでもらえなくなるのはけしからんということなのでしょう。事務処理をきちんとやるというのは当たり前の話ですから、この点について議論の余地はありません。

問題は、一連の議論が《「国民」対「国」という構図》になっていることです。「年金は国からもらうものなのだから、国はきちんと支払え。」という考え方が前提になっています。国民が払った保険料は国が管理していて、そのお金を後でもらえると考えている人も、少なからずいることでしょう。

「年金=積み立て」というイメージがあるので、公的年金も同じだと考えがちですが、公的年金は積立ではありません。あなたが受け取る年金は、支払った保険料からもらうのではありません。現役世代から集めたお金があなたの年金になるのです。つまり、年金は国からもらうものではなく、若い世代からもらうものなのです。若い世代からもらう権利を得るために、私たちは保険料を払い続けています。

今の議論では、この前提がすっぽり抜け落ちています。私が違和感を感じるのは、まさにその点です。私たちが年金を確実にもらおうとするなら、国にしっかりしろという前にするべきことがあります。それは、自分達より30年若い世代に対して、「年金制度は安心なんだ」ということを納得してもらうことです。いまは全く逆のことをやっています。年金制度を攻撃するばかりで、若い世代の不安が高まっています。その結果、年金制度の屋台骨を揺るがすことにつながりかねません。

それは国がやることだという意見もあるでしょう。たしかにその通りです。でも、国にだけ任せてはおけません。私たちも発想を切り替える必要があります。もちろん嘘はいけません(笑)。根拠がないのに、「年金制度は安心だ」というのは詐欺です。それでも年金制度を攻撃するだけでは、逆効果です。自分で自分の首を絞めているだけです。どうしたら年金制度が安心できるしくみにできるかを考えることは、自分の年金を確保するためにも必要なことです。

3年ごとに不毛な議論に巻き込まれるのは、いい加減やめにしませんか?
このままだと3年後の参議院選挙のときも、同じ議論を見聞きすることになるでしょう。

年金の不安/撲滅委員会 → http://www.nenkin-anshin.com/

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2007年6月12日 (火)

年金加入記録を確認してみたところ・・・

社会保険庁が年金記録相談専用のフリーダイヤル(0120・657830)を設置しました。不安を解消するためにはよいことですが、相談が殺到して電話がつながりにくい状態が続いているようです。1件あたり20~30分時間がかかるらしく、24時間体制で対応しても追いつかないことでしょう。夜間はコンピューターが止まっていて、年金記録の照会ができないというのもお役所らしくて笑えます。

電話がダメならインターネットということで、社会保険庁が提供する《年金個人情報サービス》への申込が殺到しています。IDとパスワードをもらえば、24時間いつでも加入記録を確認できます。(http://www.sia.go.jp/sodan/nenkin/simulate/index.htm)。ただし、すぐにIDとパスワードを発行してもらえるわけではありません。まず利用登録をしなくてはいけません。そのとき「基礎年金番号」が必要です。準備しておきましょう。登録した氏名・住所・電話番号などが、社会保険庁で管理している記録と一致すると、IDとパスワードを発行してくれます。申込が多いため、現在、利用登録からID・パスワードの発行には2週間以上かかるとのことです。なお、老齢年金を受給している人、共済組合に加入している人(公務員や教職員)は利用できません。

私はちょうど一年前にIDとパスワードを発行してもらいました。

年金について資料を作っていた関係で、自分の加入記録を知ろうと思ったからです。社会保険事務所に行って確認する方法もあるのですが、面倒くさいですからね。インターネットで申込をすると、しばらくして「社会保険庁社会保険業務センター」から緑色の封筒が届きました。そのときは「ああ、来たか。」という感じでほったからかしにしていましたが(苦笑)、こんなご時世なので、自分の加入記録を確認してみることにしました。

私の場合、3つの会社に勤めて、いまは自営業なので、少しばかり心配していたのですが、加入記録は正確でした。ただ、さっき確認したにもかかわらず、データが5月23日時点になっていて、5月末に支払った国民年金保険料が「未納」と書いてあったのには、ちょっとむかつきましたけどね(笑)。この程度はご愛嬌でしょう。

年金をすでに受給している人は、この手は使えないので、社会保険事務所に行って加入記録を確認するのが確実です。年金を受け取るまでにまだ時間がある人は、このサービスを使ってみるのも良いかも知れません。

とにかく、あわてないことです。5000万件とか1460万件といった数字がひとり歩きしています。マスコミはとにかく話を大きくしようとしているので、注意しましょう。私たちが解決しなくてはいけないのは5000万件ではなく、1件なのですから。

(追伸)この機会に、年金のしくみを知りたいと思った人はいませんか。私が運営している「年金の不安/撲滅委員会」では、年金ガイドブックを無料で進呈しています。わかりやすいと評判です(ちょっと自慢)。

お申込はこちらから→ http://www.nenkin-anshin.com/

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2007年6月11日 (月)

年金問題で忘れられていること

朝も昼もワイドショーは「消えた年金」の話題で持ちきりです。たしかに「消えた年金」は大問題。年金の保険料を払っているにも関わらず、その分がもらえなくなるなどあってはならないこと。解明作業は、安倍首相が明言した1年ではとても終わらないでしょうが、何年かかってもよいから、不公平のないようにしてもらいたいものです。

ただ、一連の「騒動」を見ていると、「またか」と思います。3年前の2004年にも同じようなことをやっていました。江角マキ子が国民年金の保険料を払っていなかったことに端を発し、民主党の菅代表・小泉首相にも飛び火するという展開になりました。そんなどさくさのなか、「年金改革法案」がまともな議論もされることなく成立しました。

2004年の「年金改革法案」は重要な意味を持っています。それまでは5年に一度年金制度をきちんと見直しをするというルールでしたが、2004年からそのルールがなくなりました。5年ごとに見直しをすると、そのときに年金が大きな争点になり、厚生労働省や社会保険庁が袋叩きに合うので、議論をしないで済むように先手を打ったのでしょう。役人は賢いですね。

いままで私たちは5年ごとに、年金の将来を考えるチャンスがありました(きちんとした議論をしていたかどうかは別にして)。しかし、2004年からはそのチャンスもなくなってしまいました。年金不払いのどさくさにまぎれて、本格的な議論をする場をなくしてしまう「年金改革法案」が成立してしまったのです。もう5年ごとに頭を下げることもなくなり、厚生労働省のお役人さんたちは、さぞ喜んだことでしょう。江角マキ子の騒動もわざと起こしたんじゃないかと思うぐらい巧妙です。本当に感心しました(皮肉です)。

2004年の「年金改革法案」に比べれば、いまの「消えた年金」はずっとスケールの小さい問題です。「消えた年金」でマスコミが大騒ぎをしている間に、今度は「社会保険庁改革法案」が成立してしまいそうです。社会保険庁が第三者機関になってしまえば、またまた追求の手から逃れることができます。すばらしい(拍手-もちろん皮肉です)。お役人は本当に賢いですが、そろそろマスコミや私たちも同じパターンにひっかかるのは終わりにしたいところです。(民主党は政府を追及しているつもりなのでしょうが、結果的には政府を助けちゃっているのが悲しいですね。)

年金問題は、そもそも役所が原因で起きたことです。その問題を役所に何とかしてくれと言ったところで、あまり当てにはなりません。もちろん公的年金のすべてがいけないと主張するつもりはありませんが、一人一人の解決策は自分でみつけるしかないでしょう。朝のワイドショーを見て、社会保険庁に文句を言っている時間があるなら、資産運用の勉強でもしたほうがずっと有意義だと思います。

自らは資産運用をして将来の準備をしながら、その一方で「本当に安心できる年金制度とはどのようなものか」をじっくりと議論していくという両面作戦をとるのが、いま私たちにできるベストな選択です。

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2005年10月17日 (月)

年金問題解決への道②~年金を素直にながめる(8)

◆ 年金を「手段」として使いこなす

よく「年金問題」という言葉が使われます。なぜ、年金が問題なのでしょうか?

「いま年金をもらっている人たちは、払ったお金に比べてもらうお金のほうが多い。それに対して、これから年金をもらう人たちは、払ったお金のほうがもらうお金より多くなるらしい。これは不公平だ。」

おそらく年金についての不満はこのような意見に集約されるでしょう。このような意見を持っている人は、これから年金をもらう人たち(まだ年金をもらっていない人たち)の中に大勢います。そうだとすると、この人たちは、年金に何を望んでいるのでしょうか?

いま高齢世代がもらっている年金と同じぐらいの水準の年金額をもらえればよいのでしょうか? もしそれを実現させるのであれば、現役世代の負担は約70%アップします。

それとも、いまの年金制度を廃止して、老後の資金は全部自分達で運用すればよいのでしょうか?もしそうなると、親の世代の負担をみなければならなくなり、さらに自分のお金を運用する必要が出てきます。

どちらにしても、現実的な解決策とは思えません。それは少し考えればわかることです。年金制度は、現役世代のお金を高齢世代に移転させる制度なのですから、高齢世代の比率が高くなれば、現役世代の負担が変えないとしたら、高齢者一人あたりが受け取る年金は減るにきまっています。

年金問題を決着させる方法は非常に簡単です。結局、現役世代が払える金額と高齢世代がもらえる金額を調整するしかないのです。しかし、マスコミはこんな簡単なこともとりあげようとしません。そのため、どこかに魔法のような解決策があるのではないか、と多くの人が期待します。

もちろん魔法のような解決策はありません。あるのはオーソドックスな解決策だけです。高齢世代、現役世代ともに痛みをともなう方法しかないのです。もしその通りなら、これ以上、年金の将来について、くよくよ悩んだり、不安に思ったりするのは、バカバカしいと思いませんか。結局、落ち着くところに落ち着くしかないのですから。

それなら、年金制度の行く末に頭を悩ますより、年金という制度を手段として使ってみることを考えてみたらどうでしょうか? 

いま年金をもらっている高齢者の多くは、公的年金を主な収入源としています。けれども、これから年金をもらう世代は、公的年金だけではすべての生活費をまかなうことはできなくなるでしょう。ただ、それでも必要となるお金のうち、主要な部分は公的年金がまかなうことは間違いありません。公的年金に過剰な期待を持ちすぎないようにして、公的年金のウェイトは低下することを受け入れればよいのです。

だから、老後の生活設計をするときは、公的年金だけに頼るのではなく、公的年金はあくまでも資金の一部に過ぎないと割り切って考えます。つまり、公的年金ですべての生活費をまかなえないことを受け止めるわけです。だから、年金は「生かせない」部分があります。

その一方で、公的年金には価値が下がらないというメリットがあります(その4を参照)。このメリットの部分を「生かす」ように考えればよいのです。

年金制度とは怪物みたいなものです。一人の力でどうすることもできません。そんな怪物と真正面から戦うよりも、年金という仕組みのよいところをどのように自分のために生かしてみようと考えたほうが、苦労も少ない思います。

それでは「年金制度を生活設計にどのように生かす」のでしょうか?最後に、その問題を考えてみることにしましょう。

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2005年10月16日 (日)

年金問題解決への道~年金を素直にながめる(7)

◆損得で年金問題は解決しない

年金のしくみを「会員組織内のお金の配分」とみていくと、年金制度の将来についてどのように考えたらよいのか見えてきます。結論は、バラ色の将来が待っているわけでもないけれど、極端に悲観することもない、ということです。前回も書きましたが、最終的には、現役世代が保険料の支払いをギブアップして、高齢世代とお金の配分について調整するようになり、やがて落ち着くところに落ち着くというわけです。

年金に関して特に専門家でもない私でも、このぐらいの結論は予想することができます。ところが、私はこの種の議論を聞いたことがありません。「年金」の話というと、だいたい「いまの年金制度はおかしい」「私の年金はいくらもらえるんだろう」といった話で終わってしまいます。マスコミの取り上げ方は、かなり感情的なものだと感じます。なぜ、年金について本質的な話ができないのでしょうか?

その大きな原因は、多くの人が「年金は積立だ。」と考えていることにあります。払った保険料の合計額と受け取る年金の合計額を結びつけて考えます。しかし、その2つにはほとんど関係がありません。実際、いま現役世代から集めた保険料は、ほとんど高齢世代に渡っているからです。積み立てしてはいないのです。

そのため、年齢によっては、払った保険料よりも受け取る年金額が少なくなることが予想されます。そこで、「年金制度はけしからん」という批判が出てきます。もちろん、現在の年金制度がすばらしいとはいえないのですが、この批判はデメリットの面しか見ていません。年金制度があることによって、現役世代が自分の親の面倒をみるという負担をまぬがれているというメリットを見ていないからです。

一つのことを議論するのであれば、メリットとデメリット両方を見る必要があります。このシリーズのタイトルを「年金を素直にながめる」としたのは、そういう気持ちがあるからです。人間は、損をするということを必要以上に嫌がるという研究があります。「損をするのではないかと思うと、冷静な判断ができなくなることがあります。その意味では、「年金」というテーマは、まさに冷静な判断がしにくいテーマなのでしょう。したがって、「年金」について、それぞれの立場で「損得」を主張している限り、問題は永遠に解決しないでしょう。

それなら、どうしたら年金問題は解決できるのでしょうか?

損得で判断するのではなく、「生かせる」「生かせない」で判断する。

それが解決の近道だと考えます。
「生かせる」「生かせない」とはどういうことなのか、次回に続きます。

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2005年10月11日 (火)

年金の将来~年金を素直にながめる(その6)

さて、いままで「年金」について書いてきたことをまとめてみましょう。
まずは「年金の将来」について考えてみましょう。

◆年金の将来

まず、「年金は積立ではない」という話をしました。年金は積立というよりも、会員組織のようなもので、現会員(現役世代)の会費をOB会員(高齢世代)に分配していると考えるとわかりやすいでしょう。

OB会員の受け取る年金額がいくらになるかは、現会員から集める会費の額と、現会員とOB会員との比率によります。会費の額は、ルールを変えれば変更することが可能ですが、比率はそれぞれの人口に関係するので、人間の力では変更することはできません。

2005年の日本では、現役世代と高齢世代の比率は10対3ですが、2025年には10対5になります。20年後も現会員から同じ会費を集めるとして、OB会員の受け取る配当金(年金)は40%減少します。20年後もOB会員が受け取る配当金を同じにするためには、現会員から集める会費を約70%上げないといけません。

これから高齢世代の比率が上昇していくのは間違いありません。その前提で、いまの高齢世代がもらっているのと同じ年金額を保証するなら、現役世代の負担は70%アップします。逆に現役世代の負担を同じ程度にすると、高齢世代の年金は約40%減少します。

このような、現役世代と高齢世代の比率と会費(つまり保険料)との関係こそが、年金問題の本質です。この問題が解決されない限り、年金の問題は続きます。世間でいわれている、社会保険庁の無駄遣いや年金運用の失敗も問題ですが、この比率と会費の関係にくらべれば、それほど大きなものではありません。

さて、今後この問題はどのような展開を見せるのでしょうか。これは現役世代の収入から、どのくらいを高齢世代のために配分するのかという問題です。高齢世代としては、自分達の生活を安定させるために、現役世代にはできるだけ負担をしてもらいたい。逆に現役世代としては、できるだけ負担は少なくしてもらいたい。2つの世代で「綱引き」をしているわけです。そしてこの「綱引き」は、放っておくと延々と続いていきます。それぞれが自分の主張をしているだけでは、まとまるわけがありませんから。

最終的にどうなるかというと、この配分の問題は時間がたてば解決されてしまうでしょう。なぜかというと、「綱引き」「綱」があるからできるので、「綱」がなくなればできなくなってしまうからです。いうまでもなく、この「綱」とは現役世代から集められた会費(保険料)です。会費である以上、無限に上げていくことはできません。現役世代が、「もうこれ以上会費は払えない。」とギブアップしてしまえば、それでゲームオーバーです。

いまのところ、現役世代は不満を持ちつつも会費を払い続けています。サラリーマンの場合は、企業も同様に会費を払っています。まだ何とか払える水準だからです。しかし、会費(年金保険料)は毎年どんどん上がり、最終的には給料の18%以上が保険料になる計画です(給与天引きされるのはその半分)。

「年金が最終段階に達する前に、現役世代は保険料の支払いをギブアップする」というのが私の予想です。ギブアップするということは、「もう払わない」ということです。そのときの具体的な行動としては、その時の政権に「NO」ということです。その結果、いまの年金制度は維持できなくなり、新政権は高齢世代と現役世代の配分調整をおこなうことになるでしょう。

調整の結果、現役世代の負担が上がることはなくなりますが、集められる保険料も増えなくなります。増えないパイを、いままでより大勢の高齢世代で分けることになるので、一人あたりが受け取る年金の額は減ります「両者痛み分け」という結末ですね。

現時点では、現役世代に支払い能力があるので、年金問題がどこにあるのかわかりにくくなっています。そして、お金が集まるからこそ、社会保険庁などの無駄遣いも横行します。必要なお金が集まらなくなったときに、多くの人が現実を知ることになるでしょう。本来であれば、それ以前に解決されるべきだとは思いますが、現役世代も高齢世代もお互いの利益を考えれば、合意することはなかなか難しいでしょう。

ここまで、年金の将来について考えてきました。マスコミでは一時、年金制度が破綻するのではないかと大騒ぎしていました。でも、破綻ということはありません。なぜなら、年金制度は国民全員が強制加入させられる会員組織なのですから。配分のルールさえ変えてしまえば、制度は維持できます。ただし、ルールを変えたとき、会員一人一人には不満は残りますが。

将来の年金制度は、国民全員が満足いく形にはならないでしょうが、破局(年金がまったくもらえなくなる)を迎えることもありません。要するに、落ち着くところに落ち着くということです。当たり前の結論かもしらませんが、その当たり前のことが議論されない、というところに問題があると私は感じています。

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2005年10月 9日 (日)

年金を素直にながめる(その5)

前回は、年金制度がなくなった場合の課題「長期間にわたって、確実な運用ができるのかどうか」という問題に答える形で、「年金の価値は上がることもないけれど、下がることもない。」という点でメリットがあるという話をしました。

今回は、2番目の課題「親の世代の面倒をだれがみるのかという問題」について考えてみることにしましょう。

突然ですが、いまの年金制度がいきなりなくなってしまったら、どういうことが起きるでしょうか。「いますぐ年金制度がなくなるなんてことはない」などと思わないで、考える練習として想像してみてください。

たとえば私の場合を例にとってみましょう。私の両親は、父73歳、母69歳で、年金を受け取っています。年金制度がなくなったら、この年金はなくなります。父親は公務員だったので、「共済年金」を受け取り、母は「国民年金」を受け取っています。いくら年金をもらっているのかは、親子といえども知らないのですが、おそらく年間300万円を超えるぐらいの金額でしょう。

年金制度がなくなると、両親はこの年間300万円を受け取ることができなくなります。そうなると、年金の代わりに、生活をまかなう資金をどのように準備するための方法を考えなくてはいけません。両親独自にできる方法は以下の2つです。

① いままでためた資産を取り崩す。
② 資産を運用して稼ぐ。

両親が日本人の平均寿命をまっとうするとすると、あと10年ぐらいは年金をもらうことができるでしょう。その金額は、年300万円×10年間=3000万円となります。

その金額がなくなってしまうわけですから、これから10年間生きていこうとするなら、3000万円を準備しておけばよいわけです。しかし、実際に3000万円持っている人にお目にかかることはありません(統計的には結構いるみたいですが)。それに長生きするほど資金はたくさん必要になるので、現実際には10年で全部使ってしまうわけにはいきません。それでは運用で稼げるかというと、毎年損を出さずにコンスタントに300万稼ぐというのは、素人にはほぼ不可能です。

そこで、第3の方法が出てきます。

③ 他人(特に子ども)から援助を受ける。

私は3人兄弟なので、この3人で両親の面倒をみることになります。3人とも家庭をもっていますが、配偶者(夫や妻)をあてにはできません。なぜなら配偶者は自分の親の面倒をみないといけないからです。となると、わが家では3人で、両親二人の面倒をみるという計算になります。資金的にいえば、兄弟1人あたり 300万円÷3人=100万円 を負担しなくてはいけません。

この負担はかなり重たいです。なぜかというと、この金額はサラリーマン、パート、専業主婦(主夫)に関係なく、負担しなくてはいけないからです。パートで年間100万円程度の給料を得ている人は、給料すべて親の面倒をみるためになくなってしまうという計算です。

年金制度がなくなると、サラリーマンの場合なら、給与天引きされていた厚生年金の保険料の負担がなくなり、さらに会社が負担していた厚生年金保険料の分も給料に上乗せされる可能性もあります。とはいえ、自分達で親の面倒をみるとなると、給料が増えた分の大部分は消えていってしまうのではないでしょうか。

年金制度があることによって、現役世代の負担が軽くなっている。

当たり前のことかも知れませんが、これが年金制度の大きなメリットです。今回は私の家族しか例がなかったので、家族の状況にによっては、逆に負担が重くなっているケースもあるでしょう。また同居して、親の面倒もみているかたにとっては、なぐさめにもならないかもしれません。ただ日本の平均像をみれば、やはり年金制度によって、現役世代の負担は軽くなっていると考えてよいでしょう。

私たちは、自分の目で見えることについて考えることは得意ですが、見えないことになると考えるのが苦手です。いまから30年ほど前、わたしが小学生だったころには、コンビニエンスストアもなく、お店も夕方6時ぐらいには閉まっていました。そのときはそれでも不便を感じなかったのですが、いまでは「夕方6時にしまっている店なんて、とんでもない。」という感覚です。時代が変わったといえばそれまでですが、世の中が便利になったという有難さを感じることも必要かなと思います。

年金制度の有難さを感じにくいのは、それが目に見えないからです。

もし年金制度がなかったら、子どもに面倒をみてもらえなかった高齢者が行き場を失い、たいへんなことになるでしょう。とりあえず、そういうことになってないだけでも、年金制度にありがたみを感じることができるでしょう。

何度も繰り返しますが、私はいまの年金制度を擁護しているわけではありません。年金制度はよりよい形に変えていかないといけません。きちんとした議論をしていくために、現在の制度の良い点、悪い点を素直に見つめていこうというのが私の考え方です。その点をご理解いただけると幸いです。

ここまでお話して、そろそろ「年金」について、私の意見をまとめるときがきたようです。私たちは「年金」とどのように向き合っていけばよいのでしょうか?

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2005年10月 8日 (土)

年金を素直にながめる(その4)

それでは年金シリーズ第4回目を始めましょう。今回から2回にわたって、一方的な悪者にされている年金制度にもいいところがあるよ、という話をします。

「冗談いうなよ。おまえ厚生労働省のまわしものか」

というご意見もあるかも知れませんが、まあそう熱くならないで、私の話に耳を傾けてみてください。

◆もし「年金」がなかったら

テレビや新聞の扱いをみると、「年金制度」ほど人気のないものはありません。日本全体が年金の敵、という感じです。年金を受け取っていない人からみると、マスコミ経由のイメージをいだいてしまいますが、現実はかなり様子が違います。現在、年金を受け取っている人は3000万人を超え、4人に1人が年金を受け取っている計算になります(この数字には老齢年金だけでなく、遺族年金や障害年金を受け取っている人も含む)。

年金を受け取っている人全員が、いまの年金制度を支持しているわけではないでしょうが、日本全体が年金の敵、というわけでもなさそうです。それでも、年金制度に対して批判的な人のほうが多いということは、間違いないでしょう。

それなら、これだけ評判の悪い年金制度はなくしてしまったらどうでしょう。実際、私の周りの人たちでも、「年金保険料を支払う代わりに、自分で運用させてくれ」と意見を持っている人がいます。もし、本当に年金制度がなくなってしまったら、どんなことが起きるでしょうか。個人のレベルでは、次の2つが課題となります。

(課題1) 長期間にわたって、確実な運用ができるのかどうかという問題

(課題2) 親の世代の面倒をだれがみるのかという問題

まず、(課題1)について考えてみましょう。たとえば、年収500万円のサラリーマンの場合、厚生年金保険料として毎年およそ70万円を支払っています(うち半分は給料から天引き、残りの半分は勤務先が負担)。

年金制度がなくなると、この70万円は自分の思うとおりに運用してよいといくことになります。ただし途中で使ってはいけません。サラリーマンとして40年間勤務すると、給料が一定だとしても、この合計額は2800万円(70万円×40年)となります。大きな金額ですね。あなたなら、このお金をどうやって運用していきますか?

「そんなの簡単だよ。銀行の預金に預けておけばいいんだ。」と答える人もいるでしょう。利息は期待できないけれど、元本割れになる可能性は少ないと考えるからかもしれません。

けれども、問題はそれほど簡単ではありません。積立をしている間に、お金の価値は変わっていくからです。毎年2%お金の価値が減ると、40年でお金の価値は半分以下になってしまいます。元本割れにならないというのは、預けた1万円がそれ以下の数字にならないということであって、その価値まで保証してくれるわけではありません。

それなら定期預金で安心という訳にはいきません。お金の価値が減っても、それなりに価値を保つように運用しなければなりません。そのような投資先として、よく話題にのぼるのが「株式」「不動産」です。

こうなってくると普通の人は困るのではないでしょうか。「そんなこといったって…。株も不動産もやったことないよ。損をしそうでこわい。」こんな気持ちを持つ人がほとんどなのではないでしょうか。

もちろん、一部の人は「株式」や「不動産」に投資して、大きな成果を上げることができるでしょう。しかし一般庶民が、そのような成功を収めるためのハードルはまだまだ高いというのが現状です。そのように考えると、「年金制度」にもメリットはあります。

たとえばいまの1万円が将来5000円の価値にしかならなくなったとすると、現役世代の給料はおよそ2倍になるはずです。30万円の給料だった人は、60万円の給料をもらうということです。見た目は給料が増えているようにみえますが、お金の価値は半分になっているので、給料で買えるものは同じです。

前から説明しているとおり、年金制度は一種の会員組織です。そのとき集めたお金を、そのとき配分しています。現会員から集める会費は、給料の○パーセントという形で決められています。お金の価値が変わり、給料が上がれば、会費もたくさん集まり、OB会員が受け取る配当金(年金)の額も増えることになります。ここで誤解しないでほしいのは、たしかに年金の額は増えますが、その価値は前と同じだということです。

「年金の価値は上がらないけれど、下がることもない。」

これが年金のメリットの一つです。自分で運用しようとしたら、失敗することもあります。これからの日本では「運用」がとても大事になっていくはずです(このブログでも「運用」についてとりあげる予定です)。

しかし、全財産を「株式」や「不動産」で運用するというのは無謀です。その一部を「年金」がやってくれていると考えれば、いままで良いところがなかった年金を見直すきっかけになるのではないでしょうか。

次回では、(課題2)「親の世代の面倒を誰がみるのか」について考えていくことにしましょう。

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2005年10月 7日 (金)

年金を素直にながめる(その3)

前回は、「年金は積立の制度ではない」ということを話しました。そのことが理解できると、年金問題の本質は、いままでの常識と違ったところにあることに気づくことでしょう。

◆ 年金批判は的外れ?

年金制度に対する批判の大部分は、「年金=積立」と考えていることから生じる。

「払った金額よりもらえる金額が少ない」という不満がその典型だ。また「いまの高齢者は、それほど掛け金を払っていないのに年金がたくさんもらえて不公平だ。」という不満もある。これも「払った額」と「もらえる額」を比較しているという点では、やはり「年金=積立」という考えに基づいた不満だと考えられる。

誰でもそうだが、払った金額よりも、もらう金額のほうが多いに越したことはない。しかし、前回説明したとおり、年金制度とは一種の会員組織みたいなもので、その組織のなかでお金の配分が決められている。決まりごとは、現会員から集めた会費をOB会員に配分するということだけである。一人のOB会員が受け取る配当金の合計額が、その人が現会員のときに支払った金額よりも多くならねばならない、という決まりはない。

だからOB会員になってから、「なんで、払った金額より少ない金額しかもらえないんだ。」と文句をいうことはできない。そもそもそんなことは、この会員組織のルールのどこにも書いていないのだから。

年金制度が、その制度を運営する国(厚生労働省)と国民との約束であると考えると、もともと国は「払った金額より多い年金を支払う」という約束はしていない。だから、国民から「なぜ、もらえる年金が支払額より少ないのか」という批判はできないということだ。

年金の議論がうまくかみ合わないのは、ここに問題がある。それを指摘する人がほとんどいないのは、なぜだろう。そんな指摘をすると、「年金を擁護している守旧派」というレッテルを貼られてしまうのがこわいからなのか、もしくは本質的な問題に気づいていないのか、どちらかだろう。

◆ 年金の本質は一つだけ

それでも、年金制度に対して文句を言いたい人はたくさんいるだろう。その批判は大きく分けると次の2つである。

(批判1) 社会保険庁をはじめとする無駄遣いの構造
(批判2) 年金積立金の運用がうまくいっていないという問題

複雑な年金制度にあって、この2つの問題はわかりやすいので、批判が集中する傾向にある。それなら、この2つの問題を解決すれば、年金問題は解決するのか、というと、答えは「NO」である。この2つの問題は決して小さな問題とはいえないが、年金問題の本質はここにはない。この2つの批判が扱う金額の単位は、数千億~数十兆円というところだが、本質的な問題では、その金額は数百兆の単位になるからだ。

それでは、本質的な問題とは何なのか。

年金制度は会員組織であることを思い出せば、理解しやすい。会員組織の運営者は、国(厚生労働省・社会保険庁)である。運営者の最大の仕事は、現会員から会費を集め、そのお金をOB会員に渡すことである。この仕組みが円滑に運営されるカギは、どこにあるのか考えてみよう。

それは、「現会員から集めた会費」と「OB会員が受け取る配当金」をどのように配分するかという点にある。現会員とOB会員の比率が、毎年一定で変化しないのであれば、いつも同じように配分していけばよいだけのことである。しかし、実際には、その比率は少しずつ変化していく。

子どもの数が増えれば、現会員に対するOB会員の比率は小さくなる。逆に、子どもの数が減ってくれば、その比率は大きくなる。最近は、急激な「少子化」が進んでいるので、比率は大きくなっている。

現会員に対するOB会員の比率が大きくなっている(つまり高齢化が進んでいる)のに、過去の比率で、集めた会費を配分していたら、お金が足りなくなってしまう。だから、会員組織の運営者は比率の変化に合わせて、配分を変えないといけない。具体的には、現会員から集める会費を上げるか、OB会員がもらう配当金を下げるか、といった行動が必要になる。

運営者はこの配分を決めるという仕事さえ、きちんとすれば問題ない。

年金の問題は、この配分がきちんと決まってなかったことから生じたものなのだ

結局のところ、この配分を何とかしないと、年金問題は解決しないということだ。実は、OB会員にかなり有利な配分になっていることが問題なのである(計算間違いをしたのか、それともお年寄りに親切にしたのか、詳しくは知らないが)。

これで、年金シリーズ第3回は終わりです。誤解しないでいただきたいのですが、私は社会保険庁の味方ではありません。みなさんと同じように、役人の無駄遣いにはあきれています。でも、そこを攻撃しているだけでは、楽しくありませんか。あたし達が本当の幸せをつかむためには、一方的な攻撃から一歩身を引いたところから「年金」をながめてみたほうがよい、私の提案です。

第4回目からは、年金にもいいところがあるよ、という話をします。当たり前の話かもしれないけど、ふだんは見落としがちなポイントです。

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年金を素直にながめる(その2)

シリーズ2回目では、「年金とはそもそもどんな仕組みなのか」について考えましょう。なおここでいう「年金」とは、いわゆる公的年金(国が運営に関わっている年金)、つまり国民年金・厚生年金・共済年金のことをさしています。(※注意: 年金制度はかなり細かいので、わかりやすく説明しようとすると、100%の正確さを保てないことがあります。このブログの目的は、わかりやすく年金を理解してもらうことで、詳細を解説することではありません。ご了承下さい。)

◆年金とは会員組織

わかっているようでわかっていないこと。
それは「年金は積立ではない」という事実。

積立であれば、最悪のケースでも「掛け金=積立金」が成り立つが、年金の場合はそれは保証されていない。そもそも年金制度には積立という考え方はない。

それじゃ、年金はどのような仕組みなのだろうか?私の考えはこうだ。

「年金とは国民全員が強制的に加入させられる、国の運営する会員組織」

日本国民は20歳以上になるか、もしくは20歳以前に仕事を始めると、その時点で自動的にこの会員組織に加入させられる。そしていったんこの組織に加入すると、死ぬまで抜け出すことはできない。もし抜け出したいのなら、日本国外に脱出するしかない。日本国籍がなくなっても、年金から足を洗うことはできないというのが原則だ。

この組織のことを、仮に「年金会」と呼ぶことにしよう。
「年金会」には、大きく分けて、次の2種類の会員がいる。

現会員: 「年金会」の会費を支払っている会員。アバウトにいえば、20歳~60歳ぐらいまでの国民。

OB会員: 現会員として会費を支払ってきたが、現在は会費を支払わず、「年金会」から「老齢年金」という名前の配当金を受け取っている会員。だいたい60歳もしくは65歳以上の国民と考えてよい。

お金の流れについてみると、現会員はもっぱら会費を払うだけ、OB会員はもっぱら配当金(年金のこと)を受け取るだけ、という関係にある。ただし、現会員の資格でも配当金を受け取れることがある。たとえば障害状態と認定されたときは「障害年金」という名前の配当金を受け取ることができ、会員が死亡した時には遺族は「遺族年金」という名前の配当金を受け取ることができる。

OB会員が受け取る配当金は原則として現会員の会費でまかなわれる。運営者である「国」は、現会員から会費を徴収し、それをOB会員に支払うという作業をしている。つまり、現会員からいま集めた金を、そのときにOB会員に渡しているのである(もちろん、現会員からいくら集めるか、OB会員にいくら渡すかはルールで決まっている)。

ということは、「年金会」の仕組みには「積立」の考えはないことがわかる。
なぜなら現会員から集めた会費は、そのままOB会員の口座に入ってしまうのだから。

すなわち、OB会員が受け取ることのできる配当金(年金)の金額と、そのOB会員が納めた会費の合計額とは、直接の関係はないということだ(もちろんまったく関係がないというわけではないが)。仮にOB会員がそれほど会費をおさめていない場合を考えよう。OB会員の数にくらべて、現会員の数が十分に多ければ、会費がたくさん集まるので、その分け前としてOB会員は多めの配当金を受け取ることができる。逆に現会員の数がOB会員の数とくらべて、それほど多くなければ、OB会員の分け前は少なくなる。

結局のところ、配当金(年金)の金額を左右するのは、現会員とOB会員の比率ということになる。要するに「現役世代と高齢世代の比率」のことだ。すでにお気づきのことと思うが、この比率は一定ではない。日本では急速な「少子化」が進んでいるので、OB会員に対する現会員の比率は低下する一方だ。

参考までに、2005年現在の比率は、現会員10に対し、OB会員3というところである。つまりOB会員一人あたりの配当金は、3.3人の現会員の会費でまかなわれている。これがあと20年後(2025年)になると、現会員10に対し、OB会員5となる。2人の現会員の会費で、OB会員の配当金をまかなわないといけない。

この比率はほぼ間違いなく現実のものとなる。なぜかというと、20年後の現会員はすでにこの世に生まれてきているからだ。だから、将来は確実に予想することができる。

2025年に、あるOB会員がこう思う。「私も20年前のOB会員がもらっていたのと同じぐらいの配当金(年金)をもらいたいな。」この人の希望をかなえてあげるために、そのときの現会員の会費はいくらになるのだろうか。

仮に、2005年の会費が現会員一人あたり3万円とすると、10人分で30万円。それを3人のOB会員で分けるので、一人当たり 10万円となる。2025年にOB会員一人が10万円の配当金をもらうとすると、5人分で50万円。それを10人の現会員でまかなうのだから、一人あたりの会費は5万円。

会費は、3万円から5万円アップする。割合にすると、約1.7倍だ。

さて、この会費値上げを現会員はOKしてくれるのだろうか。正直言って、無理な話だろう。
そのときは年金だけでなく、税金の負担も重くなっているはずだから。

ただし、ここではその話には深入りしないことにする。

シリーズ第2回目で言いたかったことは、「年金制度を会員組織として理解するとわかりやすい」「結局、分け前(配当金)の金額は、現役世代と高齢世代の比率によって決まる」ということ。「年金とは積立ではない」ということがわかってもらえれば十分です。3回目では、ちょっと違った角度から、年金制度をみていくことにしましょう。

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2005年10月 5日 (水)

年金を素直にながめる(その1)

年金について何回かに分けて書いてみます。いろいろと考えてみると、「世間の常識」は、年金の本当の姿を伝えていません。このシリーズを読んだあとは、年金に対する味方が変わっているかも知れません。

◆年金の現実

2年ほど前、私のお客様にアンケートをとったことがある。

「年金という言葉を聞いて、どんなイメージを持ちますか?」

約30名のうち、前向きな評価をした人は1名だけだった。
「本当にもらえるのだろうか。」「遠い先のことなので関心がない。」という回答が多かった。

無理もないと思う。

いくら政府や厚生労働省が「年金法の改正」を叫んでみても、国民はとっくの昔に気づいている。「年金法の改正」とは、「保険料の値上げ」もしくは「年金額の引き下げ」と同じ意味を持っているということを。

従来、年金制度は5年ごとに見直しをすることになっていた。しかし、見直しをすると、そのたびごとに財政の悪化が判明して、必ずマスコミが騒ぐという構図が出来上がってしまった。これはもともと厚生労働省の計算が甘かったせいなのだか、「さすがに毎回悪者にされるのはかなわん」ということで、去年の法改正のときに、自動的に年金額を下げられる仕組みを導入してしまった。

そんな大事な制度が取り入れられていたときにも関わらず、国会では民主党の菅直人や小泉首相の年金未納問題で大騒ぎというありさまだった。この未納問題は、国民年金のキャンペーンに出ていた江角マキコが、実は国民年金の保険料を払っていなかったという事件に端を発している。でも、今になってよく考えてみると、厚生労働省は年金未納と知りつつ、江角マキコを起用したのだと勘ぐりたくなる。そのドタバタのおかげで、本来なら議論が沸騰するはずの年金法案が、きちんと審議されることなく、国会で可決されてしまったからだ。法案が通って、厚生労働省の幹部は、ほっと胸をなでおろしたことだろう。

もし本当にそこまで考えていたとしたら、厚生労働省の役人達はおそろしく頭の働く連中だ。(たしか私の後輩も厚生労働省に入ったはずだが・・・・)

本来なら日本を二分するような議論が必要だった重要法案がもう通ってしまったので、厚生労働省がしばらく年金で悪者にされることはないだろう。今回の選挙で、民主党が政権をとっていたら、年金制度の改革について議論がされただろうが、自民党の大勝でそれもなくなった。だから、普通に考えて、あと4年間は年金について大きな動きはないだろう。

その4年間の間にも、確実に国民年金の保険料、厚生年金の保険料は上がっていく。

◆コインの表と裏

このような状況だと、年金が悪者にされるのも無理はない。

私も年金制度に対して、怒りを感じていた。年金制度の問題点を指摘したチラシを作って、自宅近くの3000世帯に配布したこともある。こうでもしないと、怒りのやり場がなかった。

その後、世間では、年金制度に対する批判はますます強まった。特に去年は、週刊誌の見出しには毎週「年金」の二文字が踊っていた。

電車に乗るたびに、中吊り広告の「年金」の二文字が目に飛び込んでくる事態はさすがに異常だと思った。このように議論が一方的になっているときは、反対の側から考えてみようとするのが私の性格だ

そこで、「逆に年金制度によいところはないだろうか」と考えてみることにした。正直なところ、よいところを見つけるのは大変だった。それでもじっくり考えているうちに、年金について、いままでと違った面が見えてきた。

そもそも年金という言葉そのものには、何も悪い意味は含まれていない。年金はうまく機能すれば、老後の生活を豊かにしてくれる素晴らしい制度のはず。マスコミは一方的に年金批判を繰り返すが、それはコインの一面しかみていない。

コインは表と裏があるからコインなので(当たり前の話だが)、表だけでみていてもコインの全体像をつかんだことにはならない。年金について、その悪い面だけをみていても、全体像は見えてこない。

それでは、年金制度の表と裏とは何なのだろうか。(続く)

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