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2009年7月28日 (火)

タダほど高いものはない(投資信託・ETF選び・再考)

7月27日付けの日本経済新聞にこんな記事を見かけました。

ETF市場、個人が存在感 東・阪証取で首位も

国内の上場投資 信託(ETF)市場で個人投資家の存在感が増している。2009年1~6月の個人の売買金額シェア(委託売買ベース)は外国人を上回る45%を確保。すで に個人が中核を占める大阪証券取引所に続き、東京証券取引所でもシェアが外国人を6年ぶりに上回る可能性が出ている。上場銘柄数がこの6月末までの1年間 に8割近く増加。商品性の多様化も進み、銘柄選別の巧拙が問われる個別株への投資などより手掛けやすい点が注目されている。

ETF市場 での個人の売買シェアは03年に43.6%と外国人の25.8%を上回っていたが、05年には23.2%まで急低下した。世界的な過剰流動性を背景にした 外国人による大口取引が増えたことや、個人がネットなどを通じた個別銘柄の売買に傾いたためだ。

ETF人気の理由として、コストの安さがあげられます。国内株式のETFであれば、信託報酬はおおむね年0.1~0.2%といったところなので、一般的なアクティブファンドとは比べものにならないくらい低い水準です(一般的な国内株式のアクティブファンドであれば、信託報酬は年1.5%程度)。

たしかにコストの安さは魅力ですね。しかも少額の資金から分散投資ができます。個人投資家に人気があるのもうなづけます。高い信託報酬を負担したからといって、運用成績がよくなるわけではないので、コストが安いというのは重要なポイントです。その点は私も十分に理解しているつもりです。

ただ、「ETFのコストが安い=ETFが投資に最適な商品」という考え方には賛成できません。投資で成果をあげるために低いコストは重要だとは思いますが、それがすべてではないからです。コストの低い商品を買えば、資産運用はうまくいくというのは、単純な考え方です。もしそうであれば、資金を豊富に持ち、株式や債券を低いコストで売買できる機関投資家の資産運用はうまくいくということになります。しかし機関投資家であっても、必ずしも運用がうまくいくわけではありません。コストは資産運用で成功するための十分条件ではないのです。

コストが十分条件でないことを示す例として、作家の日垣隆さんの文章から引用してみることにしましょう(『裁判官に気をつけろ!』文春文庫p222~224)。なお、日垣さんの文章は「賭博罪」について考察していますが、ここではギャンブルのコストに注目して、引用している点をお断りしておきます。

パチンコや競馬や競艇が賭博であることに誰も異論はないと思いますが、必ず主催者が儲かるようにできているのは、寺銭または手数料をとっているからです。
(中略)
これらとは逆に、私の好きなブラックジャックは、いかなる国の合法カジノにおいてもプレーヤー側に有利に設定されています。寺銭や手数料に相当するものがありません。むしろ「ブラックジャック(エースと、10か絵札)が出たときの配当、および「16以下の場合ディーラーは必ずもう1枚引かなければならない」というルールは、明らかにディーラー側に不利です。


あなたはこのことを知っていましたか。カジノでは寺銭はとられません。株式投資に置き換えると、売買を何度してもまったく手数料は必要ないのと同じです。そこで、当然のことながら、「なぜカジノは儲かるの?」という疑問が出てきます。続きを読んでみましょう。

それでもなぜカジノ側が利益を出せるかといえば、プレーヤーが熱くなってしまうからです。
簡単に言えば、こういうことです。
パチンコでもバカラでもポーカーでも競馬でもいいのですが、まず1万円を出費して負け、さらに1万円、また1万円を出し、合計4万円をスッたとします。その後ようやく運が向いてきて、5枚目の1万円が5倍までになったとしましょう。ギャンブルで5倍とは、なかなかです。しかし彼(または彼女)は往々にして、ここで止めることができません。
なぜなら、トータルで彼(または彼女)は1円も儲けていないからです。5倍になる確率は相当に低いわけですが、5倍になったのに気を良くして、さらに儲けを大きくしようとして負けが込み始め、ついには手元に2万円(相当)しか残っていない状態になりました。勝ち始めたときからすれば2倍なのですが、本日の最初から計算すると、5万円の出費で2万円の残ということになります。だから、「せめて5万円にまで戻してから帰ろう」と彼(または彼女)は決意します。
これは確率から見て、とても不合理な発想です。熱くなるということは、確率論の発想ができなくなる状態を指しています。こうして寺銭のないブラックジャックですら、ディーラー側が総じて負けないわけです。


ギャンブルは1日限りの勝負が普通ですが、株式投資の場合、デイトレーダーでもない限り、1日で投資を終えることはありません。その点で、投資とギャンブルは必ずしも同じではありません。ただ、基本的には同じ構造をしていると考えてよいでしょう。ブラックジャックはコストゼロ(厳密にはややマイナスのコスト、つまりプレイヤーに有利)にも関わらず、おおむねプレイヤーが損をするしくみになっています。この考え方は、株式などの投資市場にもあてはまります。人間の性質は、対象がブラックジャックであれ、株式投資であれ変わらないからです。きちんと準備をしておかなければ、ほとんどの場合、損をすることになるのはどちらにも共通しています。たとえ取引にかかるコストがゼロであったとしてもです。ETFがコストが安い商品でも、成功を保証してくれるわけではありません。個人投資家が相手にするのは、プロですから。

ギャンブルで稼ぐためには、「ほどほど」を知ることです。熱くならないことが大切です。投資でも同じです。では、熱くならないようにするためには、どうすればよいのでしょうか。精神論では何ともなりません。そこで「しくみ」を作って対応しようというのが私の考えです。頭が熱くなるのを冷やしてくれる「しくみ」であれば、使用料を払う価値があります。その「しくみ」が変額保険です。変額保険は、保険のしくみの中で、ETFなどのコストの安い金融商品を活用していくので、熱くなる可能性が低くなっています。

目先のコストだけに注目していると、カジノと同じように主催者の思う壺になります。手数料の安さだけに注目するのではなく、人間の感情という本質的なところに眼を向けてみると、違った答えが見えてくるはずです。多くの人にそのことに気づいてもらいたいなと思います詳しいことを知りたい人は、『預金、やめた。』(ダイヤモンド社)を読んでくださいね。

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2009年7月24日 (金)

『預金、やめた。』 著者による解説 〔分散投資を広く考えよう〕

 拙書『預金、やめた。』では、変額保険という生命保険を資産運用に活用しようと提案しています。この提案はとても珍しいので、はじめて読むと私が何を言いたいのか、わからない人もたくさんいるはずです。先入観を持たずに本を読んでもらえれば、スーッと頭の中に入ってくるのですが、投資や生命保険についてそれなりの知識がある人にとっては、なかなか難しいようですね。
 
 生命保険会社の人たちに説明したこともありますが、「生命保険を資産運用に活用する理由がわからない」という意見が多く出ました。生命保険と投資というものを頭の中で切り分けてしまうと、こういう反応が出てきます。反対に、株式や債券を扱う専門家にこの話をしても、同じような反応になるはずです。彼らにとって生命保険というのは、投資とはまったく関係ないものとされているので、それを一体化させることなんて考えつかないからです(そもそも生命保険のこともよく知らないと思いますが)。

 専門化が進んでいる現代では、その専門性がエアポケットになることがあります。『預金、やめた。』で扱っている問題もこの点です。消費者の視点で見れば、生命保険と投資信託(や株式、債券など)を区別する必要などありません。自分の生活を豊かにしてくれる手段であれば、どんな方法を活用してもよいのですから。でも、私たちは生まれたときからずっと、生命保険と株とは違うものと教えられてきました(学校で教えられたわけではありませんが、社会ではそのように扱われているという意味です)。「刷り込み」というのはなかなか強力なので、なかなかその考えから自分を解放することはできません。

 でも、ちょっとだけ考えてみれば、「保険と投資は、実は同じ考えに基づいている」ということにすぐ気づくはずです。両方とも、「分散投資」を基本にしているのです。
 
 保険は「分散投資」のひとつです(この考え方は野口悠紀雄氏から学びました)。自分が望まないことが起きたときに一定の見返りがもらえるように、掛け金(保険料)を払います。望まないことが起きる確率は大きなものではありませんが、もし起きたとすると回復不能なダメージになることがあります。そこでそのダメージを小さなものにするために、保険に加入します。「ある条件を満たしたときにリターンが得られる行為」を投資だと考えれば、保険は立派な投資のひとつです。

 株式や債券などに投資する場合にも、この分散投資の考え方を用います。ひとつの会社の株式だけを持っていると、その会社が破綻したときに、株は紙切れになってしまいます。それを防ぐために、幅広い銘柄、幅広い資産に分散して投資することが薦められます。分散投資というのは、「他の資産に保険をかける」と表現することができるかも知れません。

 このように、「分散投資」という切り口から考えれば、生命保険と投資信託などの金融商品を区別して考える必要はありません。どちらも同じ考えに基づいているのですから。なぜ私たちは、このふたつを分けてしまうのでしょうか。

 「分散投資という言葉が、投資の世界に限って用いられているからだ」と私は思います。

 プロ投資家のように、お金をいかに増やすかということだけに注目している人にとって、「分散投資」は、A社の株をいくら買い、B社の債券をいくら買うという意味です。これはそういうお仕事だから、それでよいのです。お金をいかに増やそうかというときに、生命保険のことなんか考えませんよね。だって集めたお金がいくらあっても、お金だけじゃ保険には入れませんから。

 でも、私たち個人の立場は、プロ投資家とはまったく違います。私たちはお金をいかに増やすかというためだけに生きているわけではありません。お金のことも大切ですが、安心した環境の中で、近所の人たちと仲良くつきあうことも必要です。安心した環境を実現するためには、近所のつながりに時間をさくことも大切になります。町内会の仕事をしたり、子供たちの集まりにボランティアとして参加して、いろいろな人と知り合いになることが役立ちます。これは時間を投資することによって、安心を手に入れていることに他なりません。私たちは、個人のレベルではいろいろな方法を用いて、さまざまな問題に対応できるようにしていまう。これはまさに「分散投資」です。

 もしあなたの運命が、ひとりの人間またはひとりの組織(会社など)に大きく依存しているとしたら、どうでしょうか? もしその人また組織に何かが起きたら、あなたの人生は回復不能はダメージを負うことになります。だから、私たちはいろいろな人と仲良くするわけです(いつもそれほど打算的にばかり考えているわけではありませんが)。

 個人レベルの「分散投資」とは、必ずしもお金に限ったことではなく、生活全般に関わることです。その点から考えれば、私が提案しているような、「生命保険と投資の一体化」なんてまだまだ甘いといえるでしょう。本当に大切なことは「生活全体のポートフォリオ」を作り上げることです。その中には、必ずしも金銭的な価値であらわすことができないものも含まれます。

 このように書くと、何か難しいことのように感じますが、そんなことはありません。普段私たちがやっていることです。いろんな人とつき合うなんて、誰でもやっていることですよね。でも、それがあなたのリスクを下げることにつながっているのです。ただ、念のために言っておくと、「愛」だけは分散しちゃいけないですよ(笑)。

 そんなことを思いながら、『預金、やめた。』を読んでもらえると、嬉しいですね。

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2009年7月23日 (木)

『預金、やめた。』って、山口さんの本だったんですね。

今日の日経朝刊1面に、『預金、やめた。』の広告を載せてもらいました。おかげでアマゾンの順位も急上昇。いまみると、投資の分野ではなんと1位になってる!(すごい)瞬間風速だと思うけど、買ってくれた人には楽しんでもらいたいですね。

それにからんで、こんなメールをお客さんからもらいました。

(以下、メールの引用)

 『預金、やめた。』・・・ 山口さんの本だったんですね。

実は今日の朝礼の時、講話も聞かないで、後ろの人の机に置いてある日経の広告を目で追っていたところ、このタイトルに気づきました。『なんだよっ、山口さんの真似みたいな本書く人いるんだなぁ・・・。』と思っていたんですよ。ちゃんと著者まで見れば良かったですね。

 でもタイトル見ただけで“山口さんの本の”を連想できた事と実際にそうだった事がつながって山口ファンの1人として(山口指数が高まっている点で)密かに嬉しく思っています。

(引用終わり)

「山口指数」上昇中ですか(笑)。
この調子でどんどん感染者が増えていって欲しいですね。
どうせなら日本中に広めたいな~。

それからこんなメールも・・・・

(以下、メールの引用)

表題は、銀行協会から何か言われそうな題ですね。銀行協会がゴルゴ13を雇うかもしれないので、しばらく窓際には立たないほうがいいかもしれません。

(引用終わり)

う~ん。ちょっと怖いな。まっ、銀行も預金はして欲しくないはずし、そんなことやってる場合でもないはずだから、たぶん大丈夫だと思うけど・・・・
一応、用心しとこ。(でも、ちゃんと読めば、銀行にケンカ売ってるわけじゃないことはわかるはず)

人の感じ方って、いろいろですね。
本の感想が楽しみじゃ。

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2009年7月16日 (木)

『預金、やめた』で伝えたかったこと

 本日、2009年7月16日(木)は、私の最新作 『預金、やめた』(ダイヤモンド社)の配本日です。書店に並ぶのは、連休中もしくは連休明けになると思います。編集社、デザイナーのみなさんと力をあわせて作ったので、多くの人に読んでもらうことを期待しています。

 本書は、タイトル(『預金、やめた。』)からも想像できるように、資産運用に関する内容になっています。ただ、私が書いた本なので、純粋まっすぐに資産運用の方法を紹介するわけがありません(笑)。100年に1度といわれる金融危機に、ひとりの男(ただし投資の初心者)が、冷静に対応する姿が描かれます。なぜ彼は金融危機のピンチをチャンスに変えることができたのか?その謎を金融についての知識を学びながら、解き明かしていきます。最後には意外な結論が待っているので、ミステリーを読むつもりで楽しんでください。

 商業出版する以上、本は売れなくては意味がありません。エンターテイメント的な要素は当然、必要になります。しかし、お客に受けることだけの内容で、中身がないというのも困ったものです。伝えたい中身をいかに面白く表現するかが、作家の腕の見せ所となります。私はプロの作家ではないので、今回その点がうまくいったかどうかについて、正直なところ自信はありません。でも、原稿を読んでくれたほとんどの人が、ポジティブな反応を示してくれたことは、少なからず自信になりました。『預金、やめた。』というタイトルは、編集を担当していただいたダイヤモンド社のおとなぎさん(注:おとは「音」、なぎは「さんずいに和という字)が、本書を読んだ後に感じたところから名づけられました。本書の内容に共感して、本当に預金をやめる人が増えてくればいいなあと思っています。

 資産運用の本なので、「お金」がテーマなのは当然ですが、本当に伝えたいテーマは別にあります。それは「人と人の信頼関係」です。いまの時代ほど、人と人との信頼の重要性が高まっているときはありません。私はそう感じています。

 信頼関係について一例を挙げると、大人とこどもの関係があります。こどもが「何のために勉強するんですか?」と大人(親や先生)に質問したとき、あなたならどう対応しますか。おそらく、「それはね、○○ちゃん、△△(ここに理由が入る)だからよ」という答えをするはずです。勉強をするための理由を見つけて、それをこどもに伝えるというわけです。
 
 このような考え方をあなたはどう思いますか?不思議だと思いませんか? 私はとても不思議です。このような考え方に疑問を抱かない人が多くなっていることが、いまの時代の大きな問題だと思います。。私事になって恐縮ですが、私はバスケットボール大好き人間です。大学や中学の監督をしていたこともあります。コーチをしているときに、こどもから「何のためにバスケットボールをするのですか?」と聞かれたら、私ならこう答えます。

「とりあえずやってみたら。やっているうちにわかるよ。」

ってね(笑)。

 私はバスケットの経験が長いので、バスケットの魅力を説明する言葉はたくさん持っています。でも、言葉で説明したってわからないことのほうがはるかに多いのです。自分がバスケットを楽しいと思うようになったのも、バスケットをやる理由に納得したわけではなく、とりあえず続けているうちにだんだん面白くなってきたというのが実情です。当時のコーチや仲間を信じて、バスケットを続けていくうちに、新しい世界をみつけることができました。だから、こどもたちがもしバスケットに興味を持ったとしたら、まずは自分(コーチ)を信じてやってみようよ、というところからアプローチします。だって、バスケットをやったことがない人に、バスケットの魅力なんてわかるはずはないじゃないですか。最初は「俺を信じてついて来い!」としかいえないですよ(笑)。時代錯誤と言われるかも知れませんけど。

 何か新しいことを始めるときには、信頼できる「師匠」の存在が欠かせません。いったん弟子入りしたら、最初は問答無用で師匠の言うことに従うのです。これは信頼関係があるからこそ、成り立つ関係です。弟子には最初はなぜ師匠がこんなことを言うのかわからないことが多いはずです(そりゃそうですよね)。でも、時間をかけて修行を積むうちに、後になって弟子は師匠の言っていたことがわかります。そして、師匠の偉大さに気づくのです。

 人の成長過程って、このような師匠と弟子の信頼関係によるところが大きいと思います。それは資産運用というお金が絡む世界でも同じではないでしょうか。投資はそれほど簡単なものではありません。素人が思いつきで成功し続けられるような甘い世界ではないのです。そこで何らかの成果を上げたいのなら、自分にあった「師匠」を見つけ、その人に従うのが、成功の一番の近道だと思います。

 もちろん信頼できる人を見つけるのは簡単なことではありません。でも、よい師匠と出会うのも偶然ではないはずです。自分が成長しようという気持ちがあれば、適切なタイミングで師匠と出会えるはずなのです。あなたのことを真剣に考えてくれる師匠は、必ずどこかにいるはずです(そうじゃないと救いがありません)。

 投資という最も現実的な分野で、人と人との信頼なんていうと笑われそうです。投資は「弱肉強食」の世界だ、なんて怒られるかも知れませんね。でも、私は信じています。人と人とが信頼しあい、お互いに成長しあうことによって、お金の分野でもよいことが起こることを。人を信頼できないことが、金融機関を信頼できないことにつながり、預金にお金を預けっぱなしという状態になってしまいます。それが政府の無駄遣いにつながり、日本の将来を危うくしています。金融機関に勤める一人一人の社員が、どのようにお客さんと信頼関係を築くのかを真剣に考えるとともに、私たちの側でも、人を見極める目を持っていくことが必要なのではないでしょうか。

 本書を読み終わった後に、あなたは何を感じるでしょうか? 楽しみです。

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2009年3月12日 (木)

リバランスは第三の選択肢

 昨晩(3月11日)、NHK-BSで放送された「経済最前線」という番組で、リバランスの考え方についてコメントした。そこで今回は、リバランスの考え方についてまとめてみる。

 資産運用をする場合は、ひとつの資産に集中するということは少ない。大きく増える可能性もあるが、大きく減らす可能性も高いからだ。そこで通常はいくつかの資産に分けて運用することになる。たとえば、「日本株式25%」「日本債券25%」「外国株式25%」「外国債券25%」という4つの資産に分けた場合を考えてみよう。4つの資産が同じような値動きをすれば、割合はずっと変わらはずだが、長く運用を続けていると、どうしてもパーセンテージが変わってしまう。今回のように株価が暴落した局面では、スタート時に株式の比率が50%(日本株式25%+外国株式25%)だったものが、30%程度(日本株式15%+外国株式15%)しているケースもある。短い時間で、株式の比率が20%も下がってしまったのだ。
 このようなときに、資産の割合をもとに戻す行為をリバランスという(正確にはリバランシング)。上の例では、日本株式と外国株式の比率が低下している。ということは、逆からみると、債券の比率は50%から70%に上昇しているということである。そこで、債券の比率を50%に下げて(日本債券25%+外国債券25%)、株式の比率を50%に引き上げる(日本株式25%+外国株式25%)。つまり債券を売り、株式を買うことによって、スタート時の割合に戻すというのが、リバランスである。
 株価が暴落している状況では、株式の値段のほうが債券の値段よりも相対的に安いと考えられる。リバランスによって、債券を売り、株式を買うということは、「高いものを売り、安いものを買う」ということなので、合理的な行動である。もしいまの状況でリバランスをしなければ、株式の比率は低いままとなり、将来値上がりのチャンスを逃してしまうことにもなる。自分の感情にまかせると、値上がりしているものを売り、値下がりしているものを買うのは難しい。けれども、リバランスというしくみを使えば、その感情に反する合理的な行動をとることが可能になる。

 私はNHKの番組で、次のようなコメントした(多少、補足あり)。
「株式や投資信託のかたちで資産を保有している場合、値下がりに対して選択肢は2つしかない。〈売るか〉〈持ち続けるか〉である。これはどちらとも厳しい。売ってしまうと損が確定してしまうし、持ち続けたとしても将来が明るいとはいえない。」
「すでに持っているものが値下がりするのは嫌なものだが、これから買おうとするものが値下がりするのは大歓迎である。だから、値下がりしたものを買えるようにしておくのが賢い方法である。その意味で、リバランスは『第三の道』といえるものである。」
「値下がりをこわがるのではなく、値下がりを積極的に生かすという考え方がないと、資産運用を続けていくことはできない。なぜなら、資産運用というのは不自然なことをやっているからだ。資産運用に取り組む限り、必ず自分の感情と向き合わなくてはならなくなる。その感情をコントロールするためには、値下がりに対して具体的な行動を準備しておく必要がある。その行動のひとつがリバランスである。」

 あなたが荒波の中で船をこいでいるところを想像してほしい。目的地の方角ははっきりとわかっていても、波の中で進んでいる方向がずれてしまうことがある。そのままでは目的地にたどり着くことはできない。だから舵(かじ)を切って、最初に決めた方向に進んでいかなくてはならない。この「舵を切る」という行動がリバランスである。
 船のたとえでわかるように、大切なことは、目的地を決めることである。資産運用でいえば、リスク(ぶれ)を決めることである。どのくらいお金を増やしたいのか、そのためにはどのくらいの値下がりを許容できるのか、もし値下がりしたときは具体的にどのように対処するのか、そのようなことを事前に決めておくことが肝心だ。きちんとした計画を持っていれば、厳しい状況でも対応できる。リバランスも冷静に対処するための道具のひとつである。

 金融危機だからといって大騒ぎする人は、たぶん目的地があいまいなのだろう。実際にはいろいろとできることがある。いまからでもやり直すことは十分可能だと思うので、ぜひ正しい運用の考え方を学んで、前に進んでいって欲しいと思う。

番組で紹介されなかった詳しい内容については、http://www.office-yen.com を参照してください。

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2008年12月 8日 (月)

猿マネでうまくいくわけがない

少し前に、駒沢大学がデリバティブ取引で154億円の損失を出したと報道された。おそらく外資系の金融機関から「アメリカの大学は資金運用するのが常識だ」と言われたのを鵜呑みにしてしまったのだろう。大学教授といえ、運用に関しては素人と同じレベルなのだから、まんまとカモにされたというところだろう。お気の毒に(同情はしないけど)。

では、本家本元のアメリカの大学はどうなっているのだろう。ハーバード大学では2008年6月末から10月末までの4ヶ月で、大学の運用基金が80億ドル(7430億円)減少したとのこと(12月8日産経新聞)。6月末の運用基金が369億ドルだから、4ヶ月で資産の約5分の1を失ったことになる。さすが、全米最大の基金。スケールが違う。

ハーバードやエール、スタンフォードといった大学は、日本のように金融機関のいいなりで運用しているわけではなく、有能なファンドマネジャーを採用し、本格的な運用体制を整えている。それでもこれだけの損失が避けられなかった。とはいっても、ハーバードの場合は資産が減ったといっても、日本円にして2.7兆円もの資金ある。大学の屋台骨を揺るがすということにはならないだろう。

このニュースを読んで、ある本のことを思い出した。上地明徳著『ダマされたくない人の資産運用術』(青春出版社)という本だ(2006年12月出版)。その中で、上地氏はハーバード大学やエール大学の運用手法を絶賛している。その手法を個人でも取り入れようというのが、本書の主張である。73ページには、エール大学の例として、以下のポートフォリオが紹介されている。

「米国株式15.0%」「外国株式10.0%」「債券10.0%」「不動産17.5%」「ベンチャー投資25.0%」「絶対収益追求型(いわゆるヘッジファンド)22.5%」

このポートフォリオを見て、「おやっ?」と思わないだろうか。オーソドックスな上場株式や債券の割合よりも、不動産やベンチャー投資、ヘッジファンドの割合が高い。分散投資というかたちをとっているが、ハイリスク・ハイリターンのポートフォリオといえる。

上地氏は、エール大学のポートフォリオをそのまま個人にあてはめようと主張しているわけではない(もしあてはめようとしても、ベンチャー投資やヘッジファンドに投資するのは無理だからという事情もある)。ただ一貫して、エール大学の投資哲学を学ぼうと主張しているので、上のポートフォリオを理想としていると受け止めてよいだろう。たしかに運用実績からみると1980年から2000年までの21年間通算で、平均リターン年率17.4%という成績は立派といえる。

しかし、運用実績という結果だけを根拠にして、個人にハイリスク投資をすすめるような内容には、当時から疑問を感じていた。エール大学は数兆円という基金を持っており、高いリスクを取れる環境にあるからこそ、ハイリスク投資を選択している。それと同じ手法をリスクの取れない(または取ったことのない)個人にいきなり適用するのは、かなり乱暴だ。

こんな主張をすると、「金融危機後の運用成績を見て、批判するのはフェアでない」と指摘を受けるかも知れない。しかし、私は金融危機が発生する以前から、「個人はアメリカの大学の運用方法を猿マネをしてはいけない」と強調してきた。証拠として、2007年12月に私がクライアント向けに送ったレターの一部を引用する。

(以下、引用)

要するに「猿マネじゃうまくいかない」ということです。プロやお金持ちの方法から学ぶ必要はありますが、まずは自分でできることから始めたほうがよいのです。野球をはじめたばかりの少年が、イチローの技術をマネしても役に立たないということは、すぐにわかりますよね(笑)。

注意しなければいけない例をひとつ挙げておきましょう。ハーバード大学やエール大学といったアメリカの有名大学は自分たちの基金を、年10%以上の高い利回りで運用しています。そこで、これらの大学が用いているのと同じ組み合わせで運用してみることを推薦している人たちがいます(上地明徳著『ダマされたくない人の資産運用術』青春出版社)。著者に悪意はないのでしょうが、これを鵜呑みにしてはいけません。たとえば、ハーバード大学の基金は4兆円にもなります。日本では想像もつかない金額です。これだけの資産があるからこそ、リスクの大きな運用ができます。少しぐらい運用成績が悪くてもビクともしない状況があるのです。

大きなリスクを引き受けるためには、それに見合った資産が必要です。十分な資産がないのに、リスクの大きな投資をするのはギャンブルにすぎません。いま十分な資産がないのであれば、最初のうちは資産を確実に増やしていくことに全力をあげるべきなのです。ハーバード大学の方法をマネするのは、それからでも遅くはないでしょう。

(引用終わり) 

猿マネをすすめて、リスクを取れない人にリスクを取らせた人に責任はないのでしょうか(私はあると思いますよ)。今回は「100年に一度の金融危機」だそうだから、それを言い訳に使うのでしょうか。ずるいよ。私のように現場でお客さんと向かい合っている人は、そんな風に逃げられないのだから。お客さんがいなければ、何とでも言えるんだよね。ホントに。

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2008年11月25日 (火)

「本当の価値」が見える人・見えない人

普通預金、定期預金、外貨預金、個人向け国債、株式、投資信託、生命保険、個人年金・・・。世の中に出回っている金融商品はさまざまで、普通の人ではとてもすべてを理解することはできません。いったい私たちはなぜ金融商品を購入するのでしょうか?私たちは金融商品の価値をどのくらい理解しているのでしょうか?

最近改めてそんなことを考えました。そのきっかけとなったのが、Cさんとのやりとりです。Cさんは私のお客様(Dさん)からの紹介で、生命保険の見直しについて相談にいらっしゃいました。その経緯を以下のようなたとえ話にしてみました。たとえ話を使って、金融商品を含めたモノやサービスの持つ「本当の価値」とは何なのかを一緒に考えてみることにしましょう。

(以下、たとえ話)

とある週末、Cさんは冷蔵庫に晩酌用のビールがないことに気づきました。車で買い物に出かけてもよかったのですが、面倒なので、今日は歩いていける山口商店に行くことにしました。山口商店は、近所のDさんもよく使っている店なので、前から気になっていたのです。

Cさんはビールを2~3本買って帰るつもりでした。ところが、店でワインの試飲をしてみるとなかなかおいしかったので、それがきっかけで、店の主人と話をすることになりました。Cさんはもともとワインに興味があったのです。店の客はCさん一人なので、主人は熱心にワインについての薀蓄(うんちく)を語ります。このワインにはこのチーズが合うんだといって、本来は売り物のチーズも食べさせてくれました。

Cさんは、いままで知らなかったワインとチーズの魅力を知りました。ただ、今晩はビールを飲むという約束を妻としていたので、ワインとチーズはまたの機会にして、主人にお礼を言って、ビールだけを手に店を出ました。

次の休みの日、Cさんが新聞のチラシをみていると、店で教えてもらったワインとチーズがディスカウントストアで格安で売られています。Cさんは「これはいい」と思って、ディスカウントストアでワインとチーズを買い求め、自宅で楽しむことができました。

しばらくして、Cさんは山口商店を訪れます。そこでCさんは、「ディスカウントストアでワインとチーズを安く買えたこと」「安いチラシを見つけた自分がいかに優れているか」を主人に語ります。Cさんは、自分がいかに合理的な選択にたどり着いたのかを主人に納得してもらいたいようです。Cさんは主人にこう言います。「これから、ワインとチーズはディスカウントストアで買うことにします。」「いろいろと教えてくれてありがとう。」
主人は、最後にこう言いました。「よかったですね。」「でも、もう2度とお店には来ないでください。」

(たとえ話終わり)

私はCさんに対して、ファイナンシャルプランニングの観点から、遺族年金のこと、適切な保障額の計算方法などについて3時間ほどお話しました。自分で言うのもなんですが、これだけのことをきちんと整理したかたちで聞くことのできる機会というのはなかなかありません(しかもマンツーマン)。Cさんには、私が適切だと考える保険を提案し、Cさんはそれを検討してみるということで、その日は別れました。私のしたことは、酒屋の主人がワインやチーズを出したのと同じです。主人はリスクをとって商売しています。そのリスクとは、ディスカウントストアで安く買われてしまうリスクです。Cさんは情報だけ取って、山口商店で買い物しないこともできるからです。私の場合も、他社で安い保険を契約されてしまうリスクがあります。

結局、Cさんは会社が斡旋している安い保険に加入することにしました。ディスカウントストアで買い物をするということにしたわけです。私としては「ただ働き」になってしまいましたが、この選択について異議を申し立てるつもりはありません。私は本当のことをCさんに教え、Cさんは選択肢の中から自分が最適と思う選択をしただけのことです。本当のことを教えるという立場を貫くと、そういうことも起きるのです。特に、Cさんのように値段を重要な選択基準とする人には、その傾向が強いといえます。最近はやりの来店型の保険代理店に足を運ぶ人も、Cさんと同じような考え方なのかも知れません。

でも、本当にそれでいいのかなとも思います。Cさんは酒屋の主人と出逢うことで、いままで知らなかった新しい世界に触れることができました。また山口商店に行けば、もっと違ったことが学べたことでしょう。ディスカウントストアのほうが安く買い物できるのは事実なのですが、ディスカウントストアの店員は新しい世界を見せてはくれません。Cさんは、安い商品と引き換えに、もっと大切なものを得る機会を放棄してしまいました(そこに価値を見出さなかったから当然ですが)。

人は「目に見えるもの」を重視します。目に見えるものは「記号」といってもいいでしょう。人を判断するときに、人柄よりも所属する組織や出身大学などの「記号」をもとにするというのはよくあることです。けれども「星の王子様」でキツネが言うように、「本当に大切なものは目に見えない」のです。私が人を好きになるときには、その人が有名大学を卒業しているかどうかなんて関係ありません(そもそも大学を出ているかどうかすらまったく関係ない)。当たり前ですよね。人を判断するときには、実際にあって話したときの印象といった「目に見えないこと」が重要なのです。

自分が仕事をしているときは、そのことを自覚しています。目に見えないけれど、本当に大切なことをお客様に提供していき続けたいと考えています。だから、私の立場はまず「与える」ことから始めます。それを受け取った人が何かを感じてくれて、返してくれればよいと思っています。もちろん、すべての人が私の与えたものにありがたみを感じてくれるわけではありません。やっぱり、値段のほうが重要だったりしますから(笑)。でも、わかってくれる人もたくさんいます。私は、これからもそんな人と人とのつながりを大事にしていきたいなと思っています。

商品やサービスのもつ「本当の価値」とは、目に見えないところにあります。その「目に見えないもの」を作り出しているのは、人の心に中にあります。金融業界という数字だらけの業界でも、それは同じです。銀行の人、証券会社の人、保険会社の人、みんな心の中にあったかい気持ちを持っていて欲しいです(理想にすぎないのはわかっているけど)。

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2008年11月21日 (金)

新・医療保険取扱マニュアル

ファイナンシャルプランナーのBさんが「医療保険」について書いている。それを読むと、Bさんが医療保障を見直すときに最も重視する判断基準は「保険期間が終身になっているかどうか」とのこと。10年ごとに契約を更新し、80歳で終わってしまうタイプの医療保障(この場合は特約)がやり玉に上がっていた。

Bさんの主張は珍しいものではない。いまの日本では一般的な内容だ。最近では生命保険会社だけでなく、ファイナンシャル・プランナー(FP)も「医療保障は終身でなければならない」と強調する。でも、本当にそうなのだろうか?みんなが口を揃えて同じことを言う場合は、いちど疑ってみる必要がある(へそまがりだからね)。

終身タイプの医療保険が薦められる背景には、次のような考え方があると思われる。「①高齢になると病気になりやすい」→「②病気になると高額の医療費がかかる」→「③年金生活をしていると医療費が払えなくなるかも知れない」→「④だから一生保障する医療保険が必要」

①から④を順番に考えてみよう。①にあるように、高齢になると病気になりやすいというのはたしかである。人によって違いはあるけれども、これは人間の体のつくりも問題なのでどうすることもできない。

②に関して「病気になると高額の医療費がかかるのか?」という質問をされたとしたら、その答えは「イエス」でもあり、「ノー」でもある。どのくらい医療費がかかるのかは、その病気の種類と治療方針による。特殊なケースを考えれば、相当高額な医療費も覚悟しなければならないだろうが、健康保険が適用される病気であれば、高額な差額ベッドなどを利用しない限り、負担する医療費は常識的な範囲におさまるはずだ。日本の場合、健康保険制度がそれなりに機能しているので、過剰な心配をする必要はないだろう(注:近親者が思い病気にかかっているなどの経験を持っている人は、自分の感情と折り合いをつけるために違った考えになるのは自然なことだと思う)。

ケースによって大きく異なるが、「病気になると高額の医療費がかかる」という点には、疑問の余地が残る。したがって、その後に続く③→④という流れもあやしくなる。特に④のように、「医療費の負担に備えるために終身タイプの医療保険に加入すべし」という考え方には、素直に「うん」とはいえない。医療費の負担に備える方法は医療保険だけとは限らないからだ。

生命保険のセールスマンは保険を売るために、医療費と医療保険を結びつけたがる。たしかにわかりやすい理屈ではある。終身タイプの医療保険が医療費の負担に関する不安をすべて解決してくれるなら、文句をいうつもりはない。しかし、医療保険で医療費の負担に備えようとしたとき、次のような疑問が浮かんでくる。

1.歳をとれば病気になる確率が高くなる。したがって、終身タイプの保険に加入するためには、高い保険料を負担しなければならない。起きる確率が高いことに保険で備えようとすると、コストが大きくなる。

2.一般の医療保障が支払対象としているのは、「入院」「手術」がメインである。たとえば自宅で療養すると保険金は支払われない。抗がん剤治療でも手術をせずに通院のみだと受け取る保険金がゼロということもある(がんの治療でも保険金がでないことがある)。保険というのは条件に基づいて支払われるので、自由に使うことができない。本当は自宅で療養したいのに、入院すれば保険金が受け取れるから入院するということになるのなら、本末転倒なのではないだろうか。

3.いまの低金利で終身タイプの契約をするということは、一生条件の悪い契約をすることになる(FPの基本知識です)。また医療保険はインフレに対応することはできないので、歳をとってからも本当に安心とはいいがたい。

正直なところ、私は終身タイプの医療保障にはかなり疑問を持っている(それぞれの考え方は尊重しなければなりませんが)。「長生きリスクの増大→終身の医療保障」という考え方は、思考停止に陥った結果だと思う。保険会社の人間は保険という分野だけで考えないといけないのでしかたない部分もあるが、FPまで同じような考え方しかできないのは寂しい限りだ。

では、どうしたらよいのだろうか?

考え方さえ知っていれば、答えを導き出すのは簡単だ。保険が最も効果を発揮するのはどういうケースなのかを知っておけばよい。それは「起きる確率は低いけれども、もし起きたとしたらカバー不能なダメージを負うようなケース」である。一般には、家計の中心者の死亡した場合が考えられる。

歳をとったときの医療費の負担について考えると、起きる確率は高く、起きたとしても一般的にはそれほど大きなダメージではないと位置づけられるので、保険はそれほど有効ではない。このようなケースで有効なのは「現金」または「すぐに現金化できる資産」だ。入院をせずに自宅で生活するために、リフォームするといったときにも、現金なら対応できる。

医療保険が有効に機能するのは、仕事をしている時期である。もしこの時期に大きな病気をしたら困る。そのときのために、しっかりした医療保険に加入するべきだろう。期間を限定して加入すれば(65歳ぐらいまで)、保険料も安くなる(起きる確率が低いから)。これを終身タイプにしてしまうと、保険料負担の問題から、働いている時期の保障が小さくなってしまう。遠い将来のことを心配するがあまり、いま大切な保障が小さくなるなんていうのは、どう考えてもおかしいだろう。これがいまの「終身神話」の一番の問題点だ。

私が提唱する方法では、高齢時に医療保険に頼らなくてもよい状態をつくることを理想としている。したがって、働いている間に医療保険に加入するとともに、将来の資産形成もはじめておく必要がある。医療保険の保険料が安くなった分を資産形成にまわすという考え方でよい。どのように実行するのかについては別の機会に譲りたいが、長期にわたる資産形成になるので、リスクをとって運用していったほうがよいだろう。資産形成がうまくいけば、将来的に医療保険は必要なくなる。仮に資産形成ができる前に病気になってしまった場合は、そのまま医療保険を継続するという選択肢もある(保険料は高くなるが)。どんなケースでも柔軟に対応できるような「しくみ」を作っておくことが重要だ。

医療保険を考えるときにも、投資と保険という両面から見ていく必要がある。どちらか片方だけからの視点では、なかなかよい回答は出てこない。こういう考え方に共感してくれる仲間が増えてくれば、日本もよくなるのになあ。

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2008年11月20日 (木)

投資をやめないための工夫

株価がまた下がっている。こういう状況を見ていると、長期投資とはつくづく難しいと実感する。私のお客様は、今回の金融危機にも冷静に対応しているが、なかにはAさんのように心配になって連絡してくる人もいる。ただAさんの場合でも、値下がりしたときのことを事前に想定して毎月一定額をMRFから株式の投資信託に振り替える方法をとっている。Aさんの資産全体はたしかに目減りしているが、バーゲンセールの株を少しずつ買っているので、将来に対しての準備もできている。

Aさんのように「しくみ」を持って対応している人は少数派だろう。株や投資信託が値上がりしているときに購入し、そのままになっている人がほとんどだと思う。手数料の安いインデックスファンドやETFを使って分散して、長期保有すれば成果が出るということがよく言われてきたが、そんなに単純なものではないということが、今回の金融危機でわかったことだろう。

ちょうど1年前に『これでダメなら投資信託はもうやめなさい』(徳間書店)という本を出版し、長期投資の難しさを指摘した。手数料の安い投資信託を買って分散しただけでは、「感情」をコントロールすることはできないということを知って欲しかったからだ。「感情」の中でも特に重要なのは、「値下がりしたときの感情」だ。人間は損をしたときの痛みを強く感じる傾向がある。元本割れという現実を目の前にすると、冷静に対応することができない。長期保有がよいと頭でわかっていたとしても、我慢するしかないという状況にはなかなか耐えられない。

一度買ってしまった株や投資信託が大きく値下がりしてしまったら、選択肢は「そのまま持ち続ける」と「売る」という2つだけだ。このうち、「売る」という行動はハードルが高い。割り切って「損切り」するのならよい。だが、普通の人にはなかなかできない。値下がりしたものを売ると、「負けた」という気持ちが強く残ってしまうからだ。そこでそのまま持ち続けることになる。いわゆる「塩漬け」だ。「塩漬け」は一見すると長期保有と同じだが、実際にはそうではない。

長期投資の目的は、資産を長期に保有することで、元本よりも資産を(かなり)大きくすることである。しかし、一度「塩漬け」になってしまうと、次の目標は「元本を回復すること」になってしまう。もとの値段に戻ると、「やれやれ」という感じで売ってしまうことになる。たしかに損はしなかったのかも知れないが、これでは投資の意味がない。「塩漬け」という行為(というか何もしていないのだが)は、投資をやめてしまうというのと同じ意味でしかない。

長期投資にとって最大の関門は、「最初に経験する暴落」である。ここで、ほぼ全員がつまずく。以前ブログで書いたように(http://reindeer.cocolog-nifty.com/amenimomakezu/2008/11/post-deba.html)、投資は個人にとっては「不要不急」のものである。だから、個人投資家は損をすると傷ついたまま退場してしまう。個人はいつでも勝負から降りることができるので、結局勝つことができない。「その場から逃げたものは負ける」というのは投資市場というジャングルにおける残酷で当然の「おきて」である。

それでは、個人が投資で成功するにはどうすればよいのだろう?暴落のときでも、投資を続ける方法はあるのだろうか?

ひとつには、冒頭で紹介したAさんのように、一定額の投資信託をずっと買い続けるという方法がある。自動的に投資信託に振り替えるので、買っていることを意識せずにすむ。値下がりしたからといっても続けることは可能だろう。ただ、それでも途中でやめることはできるので、どうしてもやめたくなったときには続けることはできない(もちろんそうなったら、ファイナンシャルプランナーの立場からいろいろな話はする)。となると、究極の選択は「どうしてもやめられない」という状況をつくるのが理想ということになる。こんな方法はあるのだろうか?

考えられる方法は2つある。ひとつが「持ち株会」、もうひとつが「確定拠出年金(日本版401K)」だ。持ち株会は途中でやめるには勇気がいるし、確定拠出年金はそもそも60歳までは現金にすることができない。「やめられない」という点に注目すれば、この2つの方法にはメリットが大きい。

実際、投資家といわれるごく少数の人を除けば、株式投資でうまくいった人は、途中で投資をやめられなかったという人がほとんどである。会社の創業者であったり、持ち株を持たされていたりというケースである。自分の意志で株を買って、そのまま持ち続けてうまくいったなんて人は多くはない。

「途中でやめられない」ことは、普通はデメリットに感じるだろう。しかし、株式のように値動きの激しいものについてはメリットのほうが大きい。いまのようにバーゲンセールで株や外国資産を買うことができるからだ。値段が下がり続けている資産を買うのには勇気がいる。しかし「持ち株会」や「確定拠出年金」であれば、勇気がなくても買うことができる。大切なのは「しくみ」であって、「勇気」ではない。もししばらく使わなくてもよいお金であれば、有効な投資方法だろう。

もちろん注意すべき点もある。「持ち株会」は勤務先の株を買うことになるので、自分の会社の将来に期待できないのなら、薦められない。「確定拠出年金」は加入できる人が限定されているので、すべての人に使えるわけではない。途中で換金できない点も注意が必要だ。「持ち株会」も「確定拠出年金」も活用できないということであれば、生命保険会社が扱っている「変額保険」や「変額年金」を検討してもよい(ただし会社によって商品性やコストが違うので、十分に研究すること)。

いつでもやめられるという自由は、投資に関してはデメリットにもなる(特に個人の場合)。この機会に「途中でやめられないしくみ」を作ってみよう。いまのように投資意欲が下がっているときが、投資をはじめるチャンスなのだから。

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2008年2月 8日 (金)

確定拠出年金はなぜ普及しない?

 素晴らしい内容の本がベストセラーになるとは限らない。むしろ、素晴らしい本であっても、ベストセラーにならないほうが普通だろう。ベストセラーになる本がすべて素晴らしい本だとは言えないが、売れるためには、内容にプラスアルファがないといけないのは間違いない。昨年、本を2冊出してみて、そのことをつくづく感じた。

 内容と人気が一致しないというのは、本に限った話ではない。映画や音楽というエンターテイメントの世界にはよくある話だろう。もちろん金融の世界でも同じようなことがある。その典型例が「確定拠出年金(個人型)」である。メリットの大きなしくみであるにもかかわらず、広く利用されているとはいえない。

 「確定拠出年金(個人型)」は、20歳~60歳までの自営業者の人や、企業年金のない会社に勤務しているサラリーマンなどが加入できる(主婦や公務員は対象外)。企業年金のある会社に勤務している人は加入できないので、加入できる人が限られていることは事実だ。それでも加入者8万人というのは少なすぎる。数が2桁ぐらい違っているのではないかという気がする。

 「確定拠出年金(個人型)」は、月々掛け金を積み立てて、60歳以降年金として受け取るためのしくみだ。原則として途中で解約することができない代わりに、税制上の特典が用意されている。掛け金は全額所得控除となり、運用期間中は利子や分配金には課税されない。また年金で受け取るときは公的年金控除が適用され、一時金で受け取るときは退職所得控除が適用される。税金面では非常に有利な方法だ。

 もちろんコストはかかる。コストは金融機関ごとに異なるが、イー・トレード証券の場合は、50万円以上の残高があれば、毎月の口座管理手数料は無料になる。他には国民年金基金連合会などに月額163円の手数料を支払う必要がある(掛け金を支払っている期間中)。

 所得税や住民税を支払っている人であれば、最低税率でも15%が適用される。たとえば月額1万円ずつ「確定拠出年金(個人型)」で積み立てていると、年間12万円が所得控除されるので、税金を18,000円節約できる(120,000円×15%=18,000円)。上の例で、イー・トレード証券に残高が50万円以上あれば、年間の手数料は1,956円なので、コストよりも税金の節約分のほうが大きい。税率が高い人であれば、メリットはより大きなものになる。

 ただし注意しなければならないこともある。「確定拠出年金(個人型)」では、金融機関が準備する運用商品(預金や投資信託など)から、加入者が自分の責任で商品を選択して運用する。投資信託のような元本を変動する商品を選んだ場合は、元本割れする可能性もある。また信託報酬という運用手数料を負担しなければならない。

 とはいっても、「確定拠出年金(個人型)」に加入できる人が、この制度を使わずに、金融機関で投資信託を購入しているというのはいただけない。短期売買を繰り返して儲けたいという人以外は、まず「確定拠出年金(個人型)」に加入して、それから金融機関で投資信託を購入するというのが正しい順番だと思う。

 もし元本割れするのは絶対にいやだというのであれば、預金や積立年金という元本確保型の商品で運用してもよい。掛け金は所得控除されるので、その分税金を節約できる。上の例では、節約できる税金が毎年18,000円、必要なコストが1,956円なので、差し引き約16,000円の利益と考えてもよい。年間の掛け金が120,000円なので、単純計算で年13%程度の利回りとなる(16,000円÷120,000円=13.3%)。利息がゼロだとしても年13%の利益が得られる方法が他にあるだろうか?

 「確定拠出年金(個人型)」は、60歳まで現金にできないというデメリットはあるが、お金を増やすという意味でのメリットは大きい。なぜこの制度が普及しないのだろうか?

 理由は単純明快だ。「確定拠出年金(個人型)」は、金融機関にとってうまみが少ないので、力をいれないから普及していない。それだけのことだ。

 実は、多くの金融機関で「確定拠出年金(個人型)」を取り扱っている。しかし、銀行や証券会社の窓口では、客が申し出ない限り「確定拠出年金(個人型)」の説明はしないはずだ。「確定拠出年金(個人型)」を熱心に販売したとしても、金融機関に入ってくるのは少しばかりの口座管理手数料と、投資信託の信託報酬ぐらいだ。手間をかけても、なけなしの手数料しか得られないのであれば、もっと大きな手数料の取れる変額年金や投資信託を売ったほうがよっぽどよいと考えるのが自然だろう。

 この現状は簡単には変わらない。金融機関から何か情報が得られると思ったら、大間違いだ。だから、「確定拠出年金(個人型)」に加入できる人は、ぜひ加入を検討してみてほしい。拙書『会社勤めでもできる余裕の年金づくり』(明日香出版社)の151ページのフローチャートを使えば、加入可能かどうかすぐにわかる。よい制度はいますぐ利用するに限る。

 それにしても、この「宝探し」のような現状は何とかならないのだろうか。本当に役に立つ商品やしくみが広く使われるようになって欲しいものだ。 

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2008年2月 7日 (木)

イキガミにみる確率

 あなたの家をひとりの男が訪ねてくる。男は、区役所戸籍課の藤本と名乗った。
ドアを開けると、その男は1枚の書類を差し出し、こう言った。

「あなたに死亡予告証(イキガミ)をお届けにまいりました。」

 あなたに残された時間は24時間。24時間後には、体内に注入されたナノカプセルが破裂して、あなたの命を奪う。さて、あなたは残された時間をどう使う。

 間瀬基朗作のコミック『イキガミ』(小学館)は、残された1日を生きる人間達を描いたヒューマンドラマだ。単純には割り切れない、人間心理を描いた作品なので、ぜひ読んでもらいたい。今日は、『イキガミ』の作品そのものではなく、作品の前提となっている確率について、私なりに考えてみようと思う。(注:作品を批判する意図はまったくないことをご理解ください)

(以下、作品の要約)

 『イキガミ』の舞台は、近未来の日本らしい(推測)。すべての国民は小学校入学時に特定感染症の予防を受けることが義務づけられる(「国家反映予防接種」)。そのときに使用される注射器のうち約0.1%には、特殊なナノカプセルが混入されている。そのカプセルは、生命力がピークに達する18歳から24歳までのあらかじめ設定された日時に破裂して、注入された人間の命を奪う(つまり、7年の間に、1000人に1人が死ぬということ)。

 カプセルが誰に注入されたかを知ることはできない。国民はその時期が来るまで「自分が死ぬのでは」という危機感を抱きながら成長することになる。その危機感が「生命の価値」に対する国民の意識を高め、社会の生産性を向上させるとされている(この制度の施行以来、自殺件数と犯罪件数は減少し、GDPと出生率は改善しているらしい)。

 カプセルが注入された人には、死亡予定時刻の24時間前に、「死亡予告証」(通称「イキガミ」、逝紙と書く)が手渡される。『イキガミ』では、その配達人である藤本を主人公としてドラマが展開される。

(以上、要約終わり)

 この作品のポイントは、「18歳~24歳の7年間に、何の前触れもなく、1000人に1人が死亡する」という前提条件だ。青春を謳歌するであろう時期に、0.1%で死亡するというのは、かなり高い確率のような印象がある。では、現実の数字はどうなっているのだろうか?『イキガミ』というフィクションを設定しない場合、18歳~24歳までの7年間に死亡する確率はどの程度なのだろうか?

 そこで、2000年の国勢調査データをもとにした、第19回生命表の数字を使って、数字をはじいてみた。http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/19th/

 すると、18歳の時点で生きていた人が、24歳までの7年間に死亡する確率は、男0.45%、女0.19%であることがわかる。実は、0.1%よりずっと高いのだ。もちろん生命表の数字の中には、生まれながらにして体が弱い人や事故でなくなった人もいるので、『イキガミ』にあるように、健康な人が突然亡くなるというケースは少ないだろう。

 「0.1%の確率で死ぬ」と言われたときと、数字を知っているかいないかで、受ける印象はかなり違う。『イキガミ』は、あえて理不尽な設定を儲けることで、命の持つ意味を考えさせてくれる素晴らしい作品だ。だが、現実はこの設定よりも厳しい。私たちは、『イキガミ』の世界よりも、より緊張感を持って生きるべきなのかもしれない。(作者の間瀬氏は、生命表の確率を知っているようにも思えるのだが、どうだろう。)

 生命表によれば、30歳のときに生きている人が10年間で死ぬ確率は、男1.0%、女0.5%である。同様に40歳からの10年間だと男2.3%、女1.2%、50歳からの10年間は男5.9%、女2.7%となる。この確率が高いと思うか、案外低いと思うかは、人それぞれだと思う。ただ、よくいわれる「万が一」(0.01%)よりはずっと高い確率である。いたずらに怖れることはない数字だが、知っておいてもよい数字だ。遺伝子検査が簡単にできるような時代になれば別だが、いまのところ、あなたも私も同じ確率の下で生きている、という前提なのだから。

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2008年2月 6日 (水)

戒名の経済的価値を考える

 昨日、ダイヤモンド社で取材を受けた。3月1日に発売される『Diamond MONEY』に、「退職金の使い方」に、ファイナンシャル・プランナーとしてコメントするためだ。失敗しないで退職金を運用し、使っていけばいいのかについて、有益なヒントを提案したつもりだ。内容に興味がある人は、ぜひ購入してお読みいただきたい。

 インタビューにも一区切りがついたところで、「戒名」の話題になった。お葬式の話をしていたら、ライターのAさんが「戒名って、高いですよね。」とこぼしたからだ。たしかに戒名は高い。50万、100万というのも珍しくはないようだ。私の父親の場合は、通夜と告別式での読経も含めて35万円だったから、格安だったのかも知れない(不謹慎な言い方ですみません)。葬儀に参列した叔父から聞いた話では、地元では戒名は100万以上するのが当たり前という話を聞いた。母の話によると、実家のそばのご家庭では、ご主人がお亡くなりになったときに、戒名料として法外な金額を請求されたらしい。

 戒名がお金で取引されていることに、仏教界からも批判的な声が上がっているようだ。ただ、私たちのような庶民にとっては、戒名はお金と引き換えにもらうというイメージが強い。もし戒名がお金と交換されるものならば、経済的価値を持っていることになる。さて、戒名の経済的価値とはどのようなものなのだろうか?

 そもそも「戒名」とは何か。多くの人は、そのことすら知らない。父親の余命が2ヶ月と宣告されるまで、私も知らなかった。母親に聞いても、よくわからない。わかっていることといえば、文字数によって値段が違うらしいということぐらいだ。そこで、ひろさちや氏が書いた『お葬式をどうするか』(PHP新書)を読んでみた。すると戒名の由来についてわかりやすく書かれていた。私なりに要約しながら、紹介してみよう。

 現在の日本では、仏教形式に基づいた葬儀が多い。父は生前、とくに信心深いわけではなかったが(というか無宗教を公言していた)、実家が日蓮宗だったということで、日蓮宗のお坊さんに来ていただき、戒名をつけてもらった。父の例は、特に珍しいことではないと思う。

 しかし、お坊さんが本格的に葬儀に関わるようになったのは、それほど古い話ではない。せいぜい江戸時代からのことらしい。徳川幕府はキリシタンを弾圧するために、檀家制度によって民衆を管理することにした。そこで、幕府は葬儀も仏教で行うことを要求する。

 といっても、仏教ではそれまで庶民の葬儀をしたことがなかったので、困ってしまった。ただ、僧侶仲間の葬儀の形式はあったので、それを庶民の葬儀に転用することにした。仲間うちの葬儀という形式をとるならば、死者は僧侶でなければいけない。そこで、死者を出家させるために、弟子となったあかしとして「戒名」という名を送ることにした。つまり、「戒名」とは出家した人につける名前のことなのだ。(浄土真宗では「法名」、日蓮宗では「法号」と呼んでいる)。

 「戒名」は、本来、出家した人の呼び名であるから、生きているときに授かるものである。それが葬儀と結びついたために、「戒名=死者の名前」のようなイメージを持つようになってしまったと考えられる。

 「戒名」の経済的な価値をどのように考えればよいのだろうか。「戒名」の由来を知ると、私にとって、戒名とは「仏教形式で葬儀を挙げてもらうための手数料」のようにみえる。葬儀を仏教形式で行うという前提であれば、戒名なしということは考えられない。ただ、父や私のように特に仏教を深く信仰しているわけでない人なら、葬式は必ず仏教形式にしなければならないということでもないだろう。

 ポイントは、「仏教の形式で葬式をするかどうか」ということだ。どうしても仏教でというのであれば、戒名は必要経費と考えればよい。もし仏教の形式にこだわることがないなら、そもそも戒名というものは必要ない。ひろさちや氏の本の冒頭では、釈迦やイエスがお葬式を重視していないことを紹介している。はっきりいえば、どうでもいいことだと考えていたようだとも述べている。もしそうならば、私たちはどうでもよいことにこだわりすぎているのかも知れない。

 お葬式では、まだまだ仏教の活躍する場面が多い。しかし、結婚式のスタイルが大きく変わっていったように、お葬式のスタイルもこれから大きく変わっていくだろう。「戒名」について考えることで、自分にあったお葬式を考えてみてはどうだろう。

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2008年2月 4日 (月)

さようなら!YEN(円)・8

 いま世界で勢いのある通貨は、「21世紀型通貨」のユーロと、中国・人民元やインド・ルピーのような「20世紀型通貨」の2種類だ。前者は国境を越えて、自らを律することでより強い通貨を目指そうという動きである。後者は日本やドイツがたどってきた道をなぞりながら、自国の通貨を強くしようという動きである。両者の勢いは、いまのところ簡単には止まりそうにない。

 この2種類の通貨にはさまれて、力を落としているのが米ドルと日本円である。いまのところ、為替トレーダーのおもわく以外に、この2つの通貨が強くなる要素は見つからない。特に日本の状況は深刻だ。財政に規律がないのは当然のこととして、財政状況はさらに悪化しような気配だ。自民党だけでなく、民主党もバラマキの方向に舵を取っている。政権が欲しいから、お金を配るという発想は、やはり旧自民党の体質そのものなのだろう。このような情勢を見る限り、しばらくの間、円が強くなるという要素はないとするのが自然な見方だろう(現在の「円高・米ドル安」は、米ドルの下落という要因だと考えられる)。

 円を強くしたいのであれば、「21世紀型通貨」を目指す方向しかない。日本国内のマーケットだけではサイズが小さいので、東アジアと東南アジアを含めた地域で、経済政策と通貨を統合していくというのが唯一の生き残り作戦だ。もちろん、このような統合をしなくても、円という通貨がなくなることはないが、世界経済における意味はほとんどない、ローカルな通貨に成り下がってしまうだろう。

 この通貨経済統合のハードルは想像できないくらい高いものだ。日本の動きは、ユーロの「人、もの、金が地域内で自由に動くしくみ」とは、まったく逆行している。在留資格に日本語ができることを検討したり、米や牛肉に高い関税をかけたり、外国資本に対してはさまざまな規制を加えたり、ろくなことはやっていない。わざわざ自分たちが嫌われるための政策をとっているとしか思えない。

 また、通貨経済統合をしたとしても、いまの日本ではリーダーになることは不可能だろう。財政赤字は深刻だし、少子化も進み、経済力が上向きになることは期待できない(少し期待できるのは、団塊の世代の消費ぐらいか)。中国の経済成長の動きと比較すれば、どちらがアジアのリーダーになるべきかは一目瞭然だ。リーダーになるためには、まず自らを律して、健全な財政と、将来に希望が持てる社会を実現することが先決になる。

 考えているとだんだん気が重くなってくる。しかし、それでも日本は「21世紀型通貨」を目指していかないといけない。もし実現できなければ、「昔の日本はよかった」というノスタルジーにひたるだけの国になってしまうだろう。日本に住むという意味を見出せなくなり、優秀な人間からどんどん海外に出て行くことになる。このシリーズの冒頭にも述べたように、能力のある人にとって「国籍は関係ない」からだ。大リーグへの日本選手の流出が問題になっているが、いまの大リーグと日本プロ野球の関係をみれば、当然のことだ。野球だけでなく、他のさまざまな分野で同様のことが確実に広がっていく。

 私たちが「21世紀型通貨」を目指して、アジア諸国と協調していくにしても、いまの政治家には期待できない。それではひとりの庶民として何ができるのだろうか。このシリーズの締めくくりとして考えてみよう。

 私たちにできること、それは

 ”弱い円”にサヨウナラを言う ことだ。

 これから弱くなるのが確実な円で資産を持つのは、できるだけ避けよう。手持ちの不動産などはやむ負えない部分もあるが、少なくとも金融資産に関しては、他の通貨にシフトしておきたい。候補としては、「21世紀型通貨」の代表であるユーロが有力だが、長い目でみれば米ドルにも一部シフトしてもよいだろう。いまは米ドルひとり負けの状況が続いているが、これからユーロと米ドルの綱引きの第2幕が上がれば、しばらくは均衡状態が続くことも考えられるからだ。

 ユーロと米ドル以外の候補としては、英ポンド、カナダドル、オーストラリアドルなどが考えられるが、補完的なものと考えたほうがよいだろう。将来的には、中国元やインドルピーなども候補になるだろう。どの通貨で保有するにしても、長期保有が前提になる。

 これから値段が下がりそうな資産を手放して、値段が上がりそうな資産を買うということは、合理的な行動だ。この動きが本格化して、日本人が手元にある円をどんどん売るようになれば、日本政府も財政政策を見直す必要が出てくるだろう。いままでのように、国民から借金をすることができなくなるからだ。

 この日本政府の変化こそ、私たちが望んでいることである。財政の健全化に本気で取り組めば、日本にも再生の余地は十分にある。そのきっかけとして、「”弱い円”にサヨナラを言おう」というのが私の提案だ。一時的に、円は暴落することもあるだろう。輸入インフレに苦しむときもあるはずだ。しかし、そこから本当の改革がはじまる。清き一票を投票する以外にも、私たちにできることはある。それは、自分のお金を最も増やしてくれる通貨を選択することだ。

 自分のお金を増やそうとすることで、日本の将来に貢献できるのは素晴らしいことだと思う。次の世代に、借金漬けの国を残さないために、私たちにできることをはじめよう。そんなことを頭に入れながら、日々仕事をしている。

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2008年2月 3日 (日)

さようなら!YEN(円)・7

 21世紀における通貨とはどのようなものなのか? 

 この問いに、ユーロはひとつの答えを提案している。「軍事力」や「安い人件費による経済発展」を後ろ盾にせずに、いかに通貨を安定させていくのかという難しい問題に対して、ユーロは「加盟国が自らを律する」という新しい方法で対応することにした。このコンセプトが長期にわたって有効なのかどうかが立証されるまでには、まだまだ時間がかかる。しかし、いまのところ、他の通貨、特に米ドルと比較して高く支持されていることは間違いない。

 世界大戦の原因にもなった「ブロック経済」のようなものを形成しなくても、経済政策と通貨を共通化して、平和的に統一市場を作っていくという考え方はたしかに魅力的である。グローバリゼーションを21世紀の形で実現していくときに、ユーロ圏はそのお手本になるのかも知れない。

 ヨーロッパと日本の距離感のせいか、日本に住んでいると、ユーロ圏拡大の持つ意味がなかなかわからない。しかし、現実をみれば「円安・ユーロ高」の影響は続いているわけで、実際の経済にも影響を与えている。ただ、ユーロの影響をひしひしと感じているのは、ヨーロッパと大西洋をはさんで対峙する米国だろう。米国は日本より、ずっとユーロの持つコンセプトを感じているはずだ。

 実際、ユーロが登場して以来、米ドルはユーロに対して一方的に負け続けている。アフガニスタンやイラクへの軍事作戦などの失敗によって、自らずっこけた面もあるが、ユーロのコンセプトが優れていることが広く認識されたことが大きな理由だろう。アメリカの一極集中が終わったといわれるのも、ユーロという受け皿が出現したことが大きい。

 米国はこのままユーロが強くなっていくのを、指をくわえたまま見過ごしてしまうのだろうか?

 おそらくそれはないだろう。米国の新大統領が誰になるにせよ、その点は大きく意識せざるを得ない。ユーロのコンセプトに優るようなアイディアを出さない限り、お金はヨーロッパに流れ続けていく。財政に規律を持たせること、物価上昇を抑えることなど、経済に重点をおいた政策に切り替わり、軍事面では縮小を余儀なくされる。

 しかし、たぶんそれだけでは足りないだろう。軍事力を背景にしていた米国が軍事面で縮小することが明らかになら、世界全体に対する影響力は落ちていく。もともと米ドルの地位は、米国経済の世界経済に対する割合以上に大きなものだったのだから、調整がはかられるのは当然だ。財政を正常化し、軍事費を削減するだけで、マーケットの支持を得ることは難しい。

 そのときには、やはりユーロのコンセプトを借りてくることになるだろう。カナダ、メキシコ、ブラジルなどと、経済政策や通貨を共通化するということができるかどうかという点が課題になる。この方向が成功しないとすると、究極の選択として、ユーロ圏との一体化しか残っていない(実現してもかなり先の話だろうが)。そのときには、事実上の「世界通貨」が誕生することになる。

 米ドルとユーロの戦いの第一幕は、ユーロの圧勝だった。戦いは第二章に入ってきている。これからもユーロの優勢が続くのか、それとも米国が巻き返すのか。勝敗を判定するレフェリーがマーケットだ。

 わが円はこの戦いとは、まったく縁がない(しゃれではない)。寂しいことだ。では、円経済にいる私たちとしては、どのように考え、どのように行動していけばよいのだろうか。

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2008年2月 2日 (土)

さようなら!YEN(円)・6

 前回、ユーロにお金が集まる理由は「信頼」にあると述べた。ユーロ加盟国は財政赤字とインフレ率を厳しくチェックされるため、放漫財政が許されない。そこが日本や米国との大きな違いだ。通貨統合だけでなく、経済政策まで共通化しているところにユーロの特徴がある。この経済政策の共通化が、いまになって力を発揮し始めた。2002年にユーロが本格的に導入されて以来一貫して、米ドルと円に対して強くなっているのが、動かぬ証拠である。マーケットはユーロのコンセプトと実績を支持している。また、周辺諸国もユーロへの参加を希望して、加盟国はヨーロッパの広範囲を包み込んでいくだろう(アジアやアフリカにも広がるかもしれない)。

 人類の歴史上はじめて、通貨と経済政策を統合したという意味で、ユーロ圏の登場は画期的だ。壮大な実験だともいえる。発足当初は、その効果を疑問視する向きもあったが、いまでは完全に軌道に乗ったものとみてよいだろう。アメリカ一国支配に対する危機感や、新興国の経済ウェイトが増すことへの自己防衛という観点で、ユーロというコンセプトが登場してきたのだろうが、いまではユーロが完全に主役になっている。導入以後10年足らずで、このような力をつけたのは、ユーロのコンセプトが優れていたことはもちろんのこと、米国が自ら墓穴を掘ったという点も無視できない。

 ユーロ紙幣や硬貨が導入されたのが、2002年1月1日。その直前の2001年9月11日に、米国同時多発テロが発生している。その後、米国はアフガニスタン、イラクへの軍事作戦へと向かい、大きな財政赤字を計上するようになった。アフガニスタンではタリバンが復活し、イラクでは内戦が継続中だ。軍事的な成果もなく、お金だけを使った米国の地位は確実に低下し、それにともなって米ドルの価値も落ちていく。その一方、ユーロは確実に力をつけてきた。長い目で見れば、ユーロのコンセプトはマーケットの信頼を得やすいものだと思う。しかし、これほど短かい間に「ユーロ高」になるとは、加盟国にとっても意外だったはずだ。その背景には、アメリカがみずから米ドルの価値を下げるような行動をとったことがある。その意味で、2001年と2002年というのは、米国とユーロ圏の経済バランスの変化が起きる分岐点といえるだろう。

 2008年時点で、ユーロというコンセプトはおおいに成功を収めたといって間違いない。それでは、このユーロの成功から、私たちが学ぶことは何だろうか。ユーロ建ての投資信託や、FX取引をする前に、その意味を考えてみよう。

 以前述べたように、この20年ぐらいは「円高」が続いてきた。そのため、私たちは「円」以外の通貨を持つことなど考えなくてもよかった。しかし、これからは違う。世界の中で、円の地位は確実に低下している。いまの状況が大きく変化しない限り、長期的に円が強くなっていくということは考えにくい。もし円が弱くなってしまうなら、いま円でお金を保有しているということは、将来値下がりする資産を持っているということになる。それが嫌なら、将来値上がりしそうな通貨にお金を移しておくことだ。これからは、そんなことを考えなくてはいけない。

 では、値上がりしそうな通貨とは、どのような通貨なのだろうか。ここで「値上がり」といっているのは、短期的な意味ではない。長い期間にわたって値上がりするという意味である。短期的な為替の変動を予測することは難しい。2008年2月現在、円は米ドルに対して高くなっているが、これも米国の金利低下による影響なので、これが長く続くかどうかはわからない。私がFX取引を薦めないのも、これが大きな理由である。

 これまで強いといわれてきた通貨には、次の特徴があった。

 ① ある国で流通する通貨であることが前提にある。
 ② 経済発展または軍事力がその背景にある


〔ある国で流通する通貨であることが前提〕

 大英帝国時代のイギリス、パックス・アメリカーナ時代の米国、第二次世界大戦以後の日本とドイツ、そして現在注目されている中国など、どのケースでもひとつの国に流通する通貨であることが前提である。国の総合力が増すにしたがって、通貨も強くなる。強い通貨になれば、国境を超えて使用されることもある。米ドルは米国以外でもまだまだ広く使われている。昔は、中国の通貨が日本で使われていた。

〔経済発展または軍事力がその背景にある〕

 ある通貨が強くなるためには、原則として経済発展が不可欠である。円が強くなることができた理由は、経済成長だ。特に自動車や電機の分野で生産性を高めたことが、為替レートの変化をもたらした。経済が高度化する過程で、新興諸国が力をつけて、自国の通貨を強くしていく。これから「人民元」に起こることも、これと同じである。

 通貨が強くなる大きな理由は経済だが、その背景に軍事力が隠れているケースもある。大英帝国時代のイギリスや最近までの米国はこの例だ。米国経済は山あり谷ありだが、基軸通貨の地位をいまだに確保しているのは、その軍事力によるところも大きい。もし米国の軍事力低下が明らかになれば、世界中で米ドルの使用が減り、米ドルは大幅に安くなるだろう(いま起きているのは、その前哨戦といったところか)。

 ユーロのおもしろいところは、この2つの特徴を必ずしも持っていないことだ。ある国の通貨が使われているわけではない。また軍事力が背景にあるわけでもない。平和的に話し合って決めたルールに基づいて運営されている。もちろん経済発展がなければ通貨を強くすることはできないが、これまで日本、ドイツ、NIES諸国などのパターンとは違う。ある程度成熟した経済を持つヨーロッパで行われているところに意味がある。

 ユーロのメッセージでもっとも重要なのは、「国という概念の見直し」だ。ひとつの国がひとつの通貨を持つという考えでなく、「人、もの、金」を一体化するすることでより大きなマーケットと作り出そうというところがポイントだ。政治的な自由度は残しつつも、国境の持つ意味を小さくすることによって、新しい経済発展をめざそうとしている。軍事力のような力で、他の国を従わせるのではなく、参加国が自主的に規律を作って、その規律に従った運営をしていくところも大きな特徴だ。

 ユーロのコンセプトを確認してみると、改めてその秀逸さに感服する。いままではみられなかったようで、通貨を強くするための方法と見ることもできる(目的はそれだけではないだろうが)。平和的かつ賢い、というところがよい。マーケットがこのコンセプトを高く評価するのも当然といえるだろう。

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2008年1月30日 (水)

さようなら!YEN(円)・5

 「円高の時代は終わった」などと言うとビックリする人も多いだろう。これはテレビのニュースもよくない。ニュースの終わりに、アナウンサーは必ず株と為替の数字を読み上げる。為替で出てくる数字は、1ドル=106円というように、米ドルに対するレートが多い。最近では1ユーロ=157円といった数字も見られるようになってきたが、「円安」「円高」というときは、主に米ドルとの関係をイメージする人が多いはずだ。

 いまから7年前の2001年時点の数字をみると、1米ドル=110円の水準だった。2008年1月現在は、1米ドル=107円ぐらいなので、3%弱「円高」になっている。もちろん7年間の間には、円安になったり、円高になったりしたが、米ドルと日本円が綱引きをした感じで、どちらかが一方的に強いという状況にはなっていない。

 もうひとつの代表的な通貨であるユーロと円の関係はどうなっているだろうか。2001年時点では、1ユーロ=100円の水準だった。2008年1月現在は、1ユーロ=158円ぐらいで推移している。40%近い「円安」だ。この7年間の動きをみると、一本調子でユーロが強くなっていることがわかる。

 日本円、米ドル、ユーロの3者の関係でみると、21世紀に入ってからはユーロのひとり勝ちである。円も米ドルとも「負け組」なのだ。「負け組」同士で綱引きをしているところを見ていても、本当に強いのが誰なのかを知ることはできない。1ドル=106円という表示から、円の本当の実力を見極めることはできなくなっている。ひっそりと始まったユーロという通貨が力を増している。EUに加盟してユーロに参加したいという国が増えているのも無理のないことだろう。

 なぜユーロだけが強くなり、円や米ドルや弱くなってしまったのだろう?

 いまあなたはお金を増やしたいと思っている。3つの通貨のうちどの通貨に投資してもよいとしたら、さてどれを選ぶだろうか。そのとき、何を基準にして通貨を選ぶのだろうか(あなたの判断に国籍は影響されないものとする)。

 原則的には、通貨が流通している地域の経済成長力が基準になる。経済が活発になれば、お金の流通量も増えるという好循環が生まれるからだ。高い経済成長を生み出すための条件が備わっているならば、お金は自然に集まってくる。

 円、米ドル、ユーロのうち、円と米ドルには投資したくないというのは、ある意味で当然のことだろう。日本は少子高齢化の影響から、高い経済成長は期待できそうもない。しかも財政赤字は膨大で、返済する見込みもたっていない。このように危機的な状況にもかからわず、国会は「ガソリン税」などという小さなテーマで時間つぶしをしている。こんな国の通貨をずっと持っていたいなどと考えるほうがおかしい。

 同様に、米ドルにもあまり投資をしたくはないだろう。サブプライム問題に加えて、過剰な軍事費の負担により、財政状態は悪化している(日本ほどではないが)。これからのことを考えると、米国が以前のレベルで世界における支配力を増していくとは思えない。どうみても、ジリ貧だろう。したがって、米ドルにもあまり期待できない。

 ユーロ参加国は、財政赤字とインフレ率を厳しくチェックされる。日本や米国のように放漫財政を続けていると、最悪の場合、ユーロから追い出されてしまう。それは困るので、参加国はちゃんと約束を守ろうとする。そのため規律ができて、経済成長を生み出すための準備ができている。これがいまのユーロの強さにつながっている。

 自由放任で育てた子どもは、人の言うことをなかなか聞かない。それがよいときもあるのだろうが、一般的には、きちんとしつけをされた子供のほうが信頼を集めることができるだろう。円、米ドル、ユーロをそんな目でみれば、どれが信頼できるかは一目瞭然だ。

 基本的には、投資家も同じような見方をしていると考えればよい。為替相場はめまぐるしく動くので、何が相場を動かしているのかわからなくなることがある。しかし、長い目で見れば、意外とわかりやすい理屈でお金は動いている。ユーロシフトのキーワードは「信頼」だ。ユーロへの信頼が増し、円と米ドルの信頼は下がっている。円と米ドルはどちらが信頼感に乏しいかという競争をしているにすぎない(寂しいことではあるが)。

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2008年1月29日 (火)

さようなら!YEN(円)・4

(今日からタイトルを変更しました、ご了承ください。)

 日本でふつうに暮らしている人は、「円」だけが唯一の通貨だと考えている。「しばらく円高が続いたこと」と「外貨が日本で流通していないこと」がその理由だ。しかし、この状況は変化しつつある。

 外貨が日本で流通していない点に関していえば、正直なところ、大きな変化はない。1998年に外国為替管理法が改正されたとき、米ドルが使えるレストランが話題になった。でも、最近は話を聞かない。外国からの旅行者もVisaやMasterのカードを持っていれば、実際に「円」を持たなくても済んでしまうから、不便を感じないのかもしれない。

 日本人が外国通貨に慣れるためには、目に見える形で、米ドルやユーロが使われるようになったほうがよい。「強い通貨を使う」という考えが理屈にあっているとしても、実際に目に見えないと、実感がわかない。

 コンビニで買い物するとき、500ミリリットルのPETボトルが「日本円150」「米ドル1.40」「ユーロ0.95」という表示になっていたら、どれが有利なのかを自然に考えるようになるだろう。クレジットカードを使うほどでもない支払いに、外貨を利用できるように、ぜひコンビニ各社は知恵をしぼってもらいたい。いま力をいれている電子マネー(セブンアンドアイはnanaco、イオンはwaon)に組み込んでしまうということだって、できるのではないだろうか?コンビニが変わってくれば、金融機関も変わってくるはずだ。ぜひチャレンジして欲しい。技術的にも法律的にもハードルは低いはずだ。問題はそれだけのコストを負担した見返りが企業に期待できるかという一点に尽きる。期待して待つことにしよう。

 「外貨が日本で流通していないこと」に関しては、これからというのが現状だ。しかし、「しばらく円高が続いたこと」について見ると、大きく変化していることがわかる。円高のトレンドは大きく変化している。

 サブプライムローンの問題をきっかけにして、株価が急落している。米国では景気減速を心配して、金利の引き下げが続いている。その影響を受けて、円は米ドルに対して、急激に高くなっている。2007年7月には、1ドル=120円のレベルだったが、2008年1月現在は、1ドル=106~107円のレベルになっている。この数字をみて、さらに「円高」が進むと心配している人もいる。一段の「円高」を示唆する専門家もいるようだ。

 将来のことはわからない。私は為替の予想屋ではないので、これからの為替レートを予想する気もない。ただ、いまの円と米ドルの関係だけから、「円高」という結論を出すのは、現実の一面しか見ていないと思っている。世界は、日本と米国だけで成り立っているわけではない。

 「円」の実質的な強さを示す指標として、日本銀行が発表している「実質実効為替レート」がある(詳しい説明は以下のURLを参照のこと)。日本とアメリカだけでなく、世界の主要国との関係が反映されているので、円の本当の実力を測る指標だと考えられる。
http://www.boj.or.jp/type/exp/stat/exrate.htm

 この数字は1973年3月を100としている(100を超えると「円高」。100を下回ると「円安」)1973年3月というと、円が変動相場制に移行したときだ。当時の為替レートは、1ドル=260円~300円のレベルだった。それから35年たって、円はドルに対して、3倍近く高くなったわけだ。では、2008年1月現在の数字はどうなっているのだろうか? 実は、100ちょうどなのだ。1995年のピーク時には165まで高くなったが、その後は徐々に力を失い、35年前と同じレベルになってしまった。円の実力は35年前に戻ってしまったのだ。

 これでは、「円高」とは到底言えないだろう。むしろここ数年は「円安」のトレンドといえる。米国の金利低下によって、米ドルに対しては一時的に「円高」になったが、長い目で見れば「円安」の方向に動いているのは、間違いない。この点を専門家が指摘しないのはなぜだろう。米ドルとの関係だけを見て、「円高」だと大騒ぎするのか。よくわからない。ここ数ヶ月で起きていることは、円が強くなったからではなく、米ドルが弱くなったことが大きな原因だ。ここを間違えないようにおさえておく必要がある。

 多くの人の認識とは違って、もう「円高」の時代は終わったのだ。円高によって、知らない間に手持ちの資産の価値が上がるということは、期待できない。逆に、円安によって、知らない間に手持ちの資産は価値を下げていく。輸入に頼っている日本は、円安の影響によって、より多くのお金を払わなくてはいけなくなる。いわゆる「輸入インフレ」だ。いまでも原油や穀物などの価格高騰がじわじわと生活に影響を与え始めている。ただ、これはまだ序の口だ。私はオカルト趣味でもないし、「狼少年」にもなりたくないので、脅すつもりはさらさらない。しかし、ごく普通に考えれば、これからは本格的に「輸入インフレ」に備えなくてはならない時代がやってきたといえるだろう。

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2008年1月28日 (月)

さようなら!YEN(円)・3

 わが家では、平日の食事は私がつくる。今日の夕食は「鍋」だ。たらと湯葉をいれて、ポン酢をつけて食べると絶品だ。手軽につくれる上に、健康にもよい。そういえば、鍋には「焼き豆腐」が入っていた。この豆腐に使われている大豆はもともと輸入されたものである。私たちの食卓には、外国産の食材があふれている。もし国産にこだわるなら、今日の鍋の中身もだいぶ寂しいものになるだろう。

 国産といわれるもの(たとえば米)も、育てるために必要なエネルギーは、原油などに依存している。原油やLNGが日本に入ってこなくなれば、電気やガスも使えなくなる。だから、国産というのがどの程度の重要性をもつのか、私にはよくわからない。わかっていることは、生活に必要な基本的なエネルギーを、ほとんどを外国に依存しているということだ。そもそも外国との関係がなかったら、私たちの生活は成り立たない。

 私たちの身の回りには、外国産の商品があふれている。外国産といっても、ブランドもののバックや時計といった特別なものばかりではない。私たちの生活に欠かせない「鉄」や「アルミ」といった金属の原料は、そのほとんどを輸入に頼っている。居酒屋で食べる焼き鳥も、外国で串刺しにされたものが多い。カジュアル衣料の世界では、中国で生産された商品が幅をきかせている。100円ショップで販売されているもののうち、かなりの割合が海外で生産されたものだ。

 20年前の1988年頃と比べれば、外国製品に対する日本人の受け止め方も大きく変化した。円高をきっかけに、外国から安くて、よい商品が入ってくるようになった(日本企業が海外に出て生産するものを含む)。私たちが日常生活を送る上で、商品面では確実に国際化している。その結果、昔ほど外国製品(特にアジア圏)に対するアレルギーはなくなってきたようだ。どこの国で作られたのか(国籍)よりも、実質的な価値というものを評価する姿勢に変わりつつあるのは、よいことだと思う。

 しかし、ことお金に関していうと、「まだまだ」という印象が強い。日本では、実質的な価値を見極めて通貨を選ぶ、という考え方はまだ主流ではない。ほとんどの日本人は、「円」だけが唯一の通貨だと思っているようだ。

 通貨だからといって、特別に考えることは何もない。国籍に関係なく、よい商品を選べばよいのと同じように、通貨も自分のお金をいちばん増やしてくれる通貨を選べばよいだけの話だ。ユーロのほうが円よりもお金を増やしてくれそうだと考えるなら、ユーロでお金を保有すればよい。理屈はとても簡単なのだが、実行する人は少数派だ。

 低金利の影響から、外貨預金をする人が増え、外国株式や外国債券に投資する人も増えてきたのはたしかだ。FX取引も活発に行われている。しかし、全体としてみれば、まだまだそれほど大きな割合ではない。

 商品の分野では十分に国際化に慣れ親しんでいる日本人が、お金の分野ではなぜ狭い世界に閉じこもっているのだろうか?

 ふたつの理由が考えられる。

 第1の理由は「しばらく円高が続いたこと」、第2の理由は「外国通貨が日本で流通していないこと」である。

第1の理由「しばらく円高が続いたこと」

 日本では、輸出競争力が落ちるので、円高は悪いこととされるようだ。しかし、このように考える国は少数派だ。自分たちの国の総合力が強くなった結果、値段が高くなった(つまり円高)わけで、これを喜ばないのは不思議だ。円高になることによって、自分たちが持っている資産は相対的に価値が上がることになるからだ。値上がりした資産を使って、安い外国の資産を買うこともできる。

 1971年のニクソンショック、1985年のプラザ合意によって、円高が加速し、輸出にとっては大きなダメージになった。しかし、その一方で、円高により日本人の資産価値は上がった。多くの日本人は円高によってお金持ちになることができた。自分たちの通貨が強くなることが当たり前の時代だったので、その恩恵にあずかることができたというわけだ。それなら、通貨は「円」だけで持っていればよいので、他の通貨に関心が向くこともなかった(1998年までは外国通貨を自由にもてなかったことも大きな理由ではあるが)。

第2の理由「外国通貨が日本で流通していないこと」

 一般的な生活をしていることを前提にすると、日本で外国の通貨を見る機会は、まずない。買い物をするときに、米ドルを使うことはないし、ATMからユーロを引き出すこともない。「そんな必要ないじゃん!」と突っ込みを入れる人もいるだろう。しかし、法律上はお店でドルやユーロなどの外国通貨を使って買い物をしてもよいことになっている(お店がドルやユーロを受け入れるかどうかは別問題)。

 これが実現したら、私たちにとっては、とても便利だ。コンビニで売っている商品が、円・ドル・ユーロいずれの通貨でも買えるとしよう。そのとき、あなたならどうするだろう? これはよい頭の体操になる。ちょっと考えてみてほしい。

 答えは、「そのとき一番強い通貨で買い物する」だ。ユーロが強いときは、ユーロを使って買い物をすればよい。円が安ければ、わざわざ安い円を使って、たくさんお金を払う必要はない。このような例は特別なことではなく、観光が盛んな国ではどこでもやっていることだ。

 日常生活で、いろいろな通貨を使うことに慣れていれば、自分のお金を増やしてくれる通貨はどこなのかを自然に考えるようになる。しかし、日本はそのような環境になっていない。商品のように毎日目にしていれば、だんだん慣れてくるのだろうが、外国のお金を見ることがないのだから、慣れようがない。メガバンクの支店に行っても、外貨の両替がスムーズにできない事実は、お金の面で国際化が遅れていることを物語っている。

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2008年1月27日 (日)

さようなら!YEN(円)・2

 自宅から10分ほど自転車を走らせると、東京湾に面した球場が見えてくる。千葉ロッテマリーンズの本拠地、千葉マリンスタジアムだ。10年ほど前に、いまの場所(千葉市)に住み始めた。当時は、野球を見に行きたいなどとはまったく思わなかった。千葉ロッテは万年Bクラスのチームだし、名前を知っている選手もほとんどいなかった。イチローがオリックスにいたので、一度だけ足を運んだことはある。しかし、球場はがらがらで、あまり活気があるようには思えなかった(当時から、ライトスタンドの応援は熱心だったが)。

 しかし、2004年から雰囲気は一変する。ボビー・バレンタインが監督に就任したからだ。最初の年こそ4位だったが、翌年の2005年には日本一・アジア一の座を手に入れた。WBCにも8人の選手を送り出して、優勝に貢献した。ファンを楽しませる工夫がいろいろと取り入れられていて、いまでは週末にはほぼ満員になる。観客動員数も確実に伸びている。球団経営のあり方は、プロ野球界でも注目されている。

 大人になってから、ひとつの野球チームを熱心に応援したことはなかった。子どものころは、ジャイアンツの王選手(現ソフトバンク監督)にあこがれて、後楽園球場に行ったこともある。水島新司の《あぶさん》に影響を受けて、南海ホークスの試合も見た。しかし、江川投手の「空白の一日事件」から、プロ野球そのものにあまり興味が持てなくなった。勤務先の会社が東京ドームの年間シートを持っていたので、2回ほどおこぼれに預かったことはあったが、自分で野球を見にいこうなどという気持ちにはなれなかった。

 そんな私が、2004年からは千葉ロッテのファンクラブに継続加入している。毎日、試合を見に行きたいぐらいだ(さすがに無理なので、スカパーで毎試合テレビ観戦している)。野球に関心のなかった妻も、マリーンズの話になると、目をキラキラさせている。

 最大の理由は、バレンタイン監督の存在だ。ひとりの力で、ここまでチームが変わってしまうのかというぐらい、彼の存在は大きい。バレンタイン監督の影響力は、大きく分けて3つの方面にわたっている。第一に「選手・スタッフに対して」、第二に「球団の経営陣に対して」、そして最後に「ファンに対して」である。大きな選手の補強をせずに日本一を手にし、地道な努力で観客動員を増やしてきたことは、大いに評価されるべきだろう。試合に勝っても負けても、ファンには満足してもらえるように配慮されているのがよくわかる。

 私を含めた千葉ロッテのファンはみな、ずっとボビーに監督をやってもらいたいと思っている。彼の国籍がアメリカであることなど、まったく問題ではない。私たちが彼を好きなのは、彼の国籍が理由ではない。彼の人間性、彼の能力が素晴らしいからだ。日本国籍の人物が監督になったとしても、人間性や能力で魅力を感じないなら、その人を好きになることはないだろう。それは前任者たちの例をみれば明らかだ。

 昨年まで北海道日本ハムの監督を務めたヒルマン氏に対するファンの気持ちも、私たちと同じだろう。彼の人間性や能力が優れていたからこそ、よい結果も残せたし、多くの人からも愛されたのだと思う。

 チームを強くしてくれるのであれば、どこの国籍の人間だろうとかまわない。それがファンの正直な気持ちではないだろうか。これはスポーツの世界に限らない。日産自動車は、カルロス・ゴーン氏がCEOになったことで再生した。優秀な人物がよい結果をもたらしてくれるならば、その人の国籍など問題ではないだろう(国家機密に関することなどの、ごくわずかな例外を除いて)。

 ビジネスやスポーツの世界では、外国籍の人たちが活躍することが多くなってきた。よい傾向だと思う。それと同じように、また私たちが日常お世話になっている商品やサービスも、何らかの形で外国と関係している。いま私が使っているパソコンはDellのものだが、made in china と書いてある。任天堂のDSだって中国製だ。中国で作られたなどというと、眉をひそめる人もいるのかも知れないが、そういう人に限ってユニクロの服を着ていたりする。

 Dellのパソコン、任天堂のゲーム、ユニクロの衣料品を購入するときに、製造国を気にする人はいないはずだ。しかし、もしメーカーの名前を知らなかったらどうなるだろう。「中国産」という情報しかなければ、あなたはその商品を買わないだろう。では有名ブランドの商品で「中国製」の商品と、知らないブランドの商品で「日本製」の商品があったとしたら、どうするか?おそらく、ほとんどの人が有名ブランドの「中国製」の商品を買うだろう。

 商品を選択するときに重要なことは、その商品を作った人や会社への信頼感(ブランド)だ。これは、野球ファンが監督に求めるものが、人間性と能力であることと、基本的には同じである。「国籍」よりも「信頼」のほうがより重要だということだ。私たちは、自分たちが気づかないうちに、信頼にもとづいた選択をしていることが多い。

 私たちの生活が便利になる商品やサービスであれば、それを提供してくれる会社や人間がどこの国の出身であろうと関係ない。コカコーラやペプシはアメリカの会社だからどうしても飲みたくないなんて人はいないだろう。そんなことを言い出したら、「爽健美茶」も飲めなくなってしまう。マクドナルドのハンバーガーも食べられなくなる。それじゃあ、吉野家の牛丼を食べようかいうことになっても、牛肉はアメリカからの輸入だ。

 きりがないので、もうやめよう。私たちは、他の国と密接に結びついている。そして、そのことによって大きな恩恵を得ている。そのことを前提にして、お金と国籍について考えていくことにしよう。

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2008年1月26日 (土)

さようなら!YEN(円)・1

 20年前は、実業団のバスケットボールチームに所属していた。そのとき、チームのコーチから聞いた言葉をいまでも覚えている。コーチのRさんはアメリカ人で、高校・大学時代それなりに有名だったらしい。ひょんなことで日本に居ついてしまい、大学でコーチをしていたところ、スカウトされて、いつのまにか実業団のコーチになっていた。

 同じチームにはPさんというアメリカ人の選手がいた。日本の大学で勉強した後、日本企業に就職したのだが、たまたまバスケットがうまかったので、バスケット部に入部してきたという変わり者だ。補強のために雇った「助っ人」では、決してない。勉強熱心で、日経新聞をすらすら読んでしまう。下手をすると、日本人より漢字を知っているんじゃないか、と思う。昔、「錫」はなんて読むの?、と質問されたことがある。答えられたので、一応、日本人の面目を保つことができた(答えは「すず」)。

 あるとき、Rさんとバスケットの全日本チームの話になった。彼は、少し前に全日本の監督(K氏)と話をしたようだった。そのとき、彼はK氏に、「Pを全日本に入れたらどうか」という話をしたようだ。Pはアメリカ国籍なので、K氏は「それはできない。国籍の問題があるから」と答えた。当然の答えだろう。そのときのことを振り返りながら、Rさんは私にこう言った。

「nationality(国籍)は関係ない!」

 当時の私には、その言葉の意味が全然わからなかった。全日本とは、日本国籍の選手で作るチームなのだから、アメリカ国籍の選手など認められるわけがない。なぜ、この人(Rさん)は、国籍など関係ないなどと無茶苦茶なことをなぜ言うのだろう、と不思議に思った。

 あれから20年の時間が過ぎた。
 いまは、彼が言ったことがよくわかる。たしかに国籍は関係ないのだ。

 スポーツの世界では、国籍は特別な意味を持っている。プロ野球では、出場できる外国人選手の人数に制限がある。大相撲では、ひとつの部屋に所属できる外国人力士はひとりに限られている。サッカーなどの他のスポーツでも、ひとつのチームに所属できる外国人の数は制限されていることが普通だ(例外としては、バスケットボールのbjリーグがある)。

 国別の対抗戦という形式をとる(理念上は違うのかも知れないが)、オリンピックやサッカーのワールドカップでは、国籍を持った選手たちが、自国の代表として出場する。

 最近では、「帰化」という方法をとって、外国で生まれ育った選手が、他の国の国籍を取得して、代表選手となることもある。日本でも、そのような例を多く見かけるようになった。しかし、国の代表に選ぶ基準が「国籍」であることには変わりない。例外は、ラグビーぐらいしかないと思う。

 なぜ、スポーツの代表になるには、国籍が関係するのだろうか?よく考えてみると、これはかなり不思議なことだ。日本国籍を持った選手が、アメリカでバスケットのトレーニングを受けたことにより、相当な実力者になったとしよう。彼が代表選手として出場できるのは、日本という国からだけである。実際はアメリカでずっとプレイをしてきて、日本との関係は国籍だけ(親が日本国籍だった)なのに、このままではアメリカの代表になることはできないのだ。反対に、日本でうまくなったアメリカ人が、日本で代表になることもできない。もしなりたいなら、帰化という道を選ぶしかない。

 日本人がアメリカでうまくなったのなら、それはアメリカで行われているトレーニングによる効果である。人材や環境が優れているから、成果が出たと考えるのが普通だ。もしそういうことであれば、彼はアメリカ代表として、恩返しをするのが自然なのではないだろうか。国籍という理由だけで、なぜ日本の代表にならないといけないのだろうか?

 他にもおかしなことはある。サッカーの日本代表は、フランスワールドカップ以後、トルシエ監督→ジーコ監督→オシム監督と3代にわたって、外国人監督が続いた。トルシエ監督とジーコ監督は、国別対抗戦であるワールドカップにも出場した。日本代表選手の国籍は日本でなければいけないのに、なぜ監督は日本国籍を持たなくてもよいのだろうか?(これは日本だけの話ではない。外国人監督を起用している国は多い。)なぜ選手は外国籍ではいけないのに、監督やスタッフはよいのだろうか?

 こういうことを言い出すと、本当にきりがない。テニスのマリア・シャラポアはロシア国籍だが、実際には幼少のときからアメリカでトレーニングを受けている。彼女は国籍以外はアメリカの選手といってもよいかも知れない。彼女がロシア代表として試合に出ることに難色を示している選手たちがいるのも、わかる気がする。

 なぜスポーツの世界では、国籍が意味を持っているのだろう。オリンピックのときに、なぜ日の丸が揚がると興奮するのだろう。国籍の持つ意味を考えながら、国籍とお金の関係を考えてみようと思う。

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2008年1月25日 (金)

複利で増える意外なもの

 《「超」整理法》で有名な野口悠紀雄さんが大蔵省の役人だったとき、先輩からこういわれたそうだ。「電車に乗っているときは、周りをよく見ろ。」と。そして、「周りを見ながら、何に税金をかけられるかを考えよ。」とも。

 さすが大蔵省。自分たちの仕事に忠実だ。ビールにかかる税金をするために発泡酒が開発されると、すかさず税金をかけてしまうことをみても、税金にかける彼らの熱意のほどがうかがえる。

 少しでも税金を安くしようと、会社や個人でも涙ぐましい努力をしている。脱税は違法なことだが、工夫をすれば、税金は節約することもできる。ただ、税務署もかんじんなことは見逃さない。税金を大きく取れるところをみすみす逃すようなへまはしないのだ。

 株式(株式投資信託を含む)に関する税金を見ても、彼らの賢さには脱帽だ。

 株式投資信託を100万円で買って、200万円で売ると、100万円の利益が出る(手数料は考えず)。この利益のことを「キャピタルゲイン」と呼ぶ。キャピタルゲインには所得税と住民税合わせて10%の税金がかかる(平成22年末までは10%、平成23年以降は20%になる予定)。このケースだと、100万円の利益の10%にあたる10万円が税金として源泉徴収される。手元に残る金額は200万円ではなくて、190万円(200万円-10万円)となる。

 ここで、「利益の10%ぐらい何でもない」と考えた人もいたのではないだろうか?本当にたいしたことはないのだろうか?あなたが100万円で投資をはじめたとする。十分に資産を分散し、じっくりと長期投資をしていくのが大前提だ。この前提に基づけば、毎年平均的に5%ぐらいは資産が増えていく。そこで、ここでは年5%ずつ資産が増えるものとして、10年後、20年後、30年後の数字を見ていこう。

税金をまったく考えないときは、次の数字になる。

10年後 → 163万円 (利益 63万円)
20年後 → 265万円 (利益 165万円)
30年後 → 432万円 (利益 332万円)

利益に10%税金がかかるので、その分を差し引いて手取額を計算すると、次のようになる(万円未満は四捨五入)。

10年後 → 157万円 (元本の1.57倍)
20年後 → 249万円 (元本の2.49倍)
30年後 → 399万円 (元本の3.99倍)

10年後に1.6倍、20年後に2.5倍、30年後に4倍というのは、なかなかの成績だ。
それでは、税金はどうなっているだろうか。

10年後に税金をとる場合 → 6.3万円
20年後に税金をとる場合 → 16.5万円
30年後に税金をとる場合 → 33.2万円

 20年後と10年後を比べると、税金は2.6倍に増えている。それに対して、もともとの資産は1.6倍しか増えていない。30年後と10年後を比べると、税金は5.3倍。一方、資産は2.5倍だ。税金の増えるスピードのほうが、資産の増えるスピードよりも早い。

 資産を増やすためには、「複利の効果」を利用せよ、とよく言われる。それを最も賢く実践していたのは、実は税務署だった。私たちが頑張って資産を増やせば、それ以上のスピードで税金は増える。このしくみは、よくできている。「御代は見てのお楽しみ」というところだろうか。楽しむだけ楽しんで、お金を増やした後に、お金の支払いが待っているというわけだ。

 とはいっても、感心してばかりはいられない。長期投資家にとっては、税金もコストの一部だからだ。手数料のコストを気にする投資家は多いが、税金が意外と大きなコストになると気づいている投資家は少ない。しかし、上の例でいえば、キャピタルゲインへの税金は、毎年0.2~0.4%に相当する。長期的にみて収益が5%なら、0.2~0.4%のコストを無視することはできない。

 もうひとつ、心配材料がある。それは税率の引き上げだ。いまのところ、キャピタルゲインに対して10%の税金になっているが、これは一時的に軽減されているだけで、本来は20%とされている。実際に20%になるかどうかはまだわからないが、近い将来引き上げになることは、十分に予測できる。もし20%になれば、コストとしてはかなり大きい。

 日本で投資信託について書かれた本で、この税金のコストについてきちんと考察した本は少ない。私がこのことに気づいたのは、アメリカ人の著者が書いた本を読んだときのことだ。税金のコストが重いものだということを初めて知った。アメリカの本は良心的にできていて、長期投資はできるだけ税金がかからないように、401K(確定拠出年金)などを活用しなさいと書いてある。

 アメリカと日本では制度も異なるが、この考え方はぜひ参考にするべきだと思った。そこでよく調べてみると、日本にもあるではないか。税金がかからない方法や、かかったとしても税金の負担を軽く方法が。それが「確定拠出年金」と「変額保険・変額年金」だった。

 ふたつの方法のうち、特に「確定拠出年金」は税金面で非常に有利だ。投資信託の購入代金が、所得から控除されてしまうのだから。税金を安くして、投資をすることができる。これを見逃す手はない(ただし、加入できる人は限られている)。投資信託を扱った本で、「確定拠出年金」に触れてない本は、インチキ本だと思ってほぼ間違いないだろう(私の著書《会社勤めでもできる余裕の年金づくり》では、ちゃんと触れてある)。「確定拠出年金」や「変額保険・変額年金」のメリットについては、これからもこのブログでも紹介していきたいと思う。

 賢い税務署のみなさんとうまくつきあうには、私たちも賢くならないといけない。投資を始めるとき、ほぼ100%の人は、増やすことばかり考えて、最後に現金にするときのことを考えない。これは、出口のことを考えないまま、入り口に足を踏み入れるようなものだ。墓場までお金を持っていきたい人なら別だが、投資には必ず終わりがある。そのときをイメージしないで投資を始める人が多いままなら、税務署は投資ブームを大歓迎してくれることだろう。
 

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2008年1月24日 (木)

オセロゲームとインデックスファンド

 オセロというゲームがある(バラエティーのオセロではない)。黒と白に分かれて、順番に8×8=64個のマスの中に、自分の色の駒を入れていく。黒の駒にはさまれた白の駒はひっくり返して黒にする。最後に自分の色が多くなれば勝ちだ。まあ、こんな説明はしなくても、ほとんどの人が遊んだことがあるはずだ。

 オセロゲームのルールはいたって簡単だ。楽しむだけなら、誰にでもできる。それでは、オセロゲームに勝つためにはどうしたらよいのだろうか?必勝法があるとしたら、それはどんな方法なのだろうか?

 私はオセロのプロではないので、詳しいことはわからない。自分の経験からいえば、勝つために必要なのは、いちばん良い手を選ぶことではないような気がする。それよりも、相手にいちばん悪い手を選ばせるようにすることのほうが重要だ。つまり、相手も悪い手だと知りながら、それを選ばざるを得ないようにすること、それが勝ちにつながるように思える。

 オセロゲームの場合、自分の駒が置けるときは、パスすることはできない。悪い選択肢しかなくても、駒を置かなくてはいけない。すぐ後に相手にひっくり返されると知りながら、自分の駒をおくというのは嫌なものだ。このような状況に追い込まれると、挽回はかなり難しい。

 このオセロゲームのことを頭に入れた上で、今日のテーマを考えよう。
 今日のテーマは「インデックスファンド」だ。

 昨年、《投資信託にだまされるな》(竹川美奈子著・ダイヤモンド社)がベストセラーになったのをきっかけに、「インデックスファンド+長期投資」という考え方がだいぶ広まってきた。以前から、インデックスファンドやETFを投資の主役と考える人たちは存在してきたが、ここにきて一気に市民権を得たようだ。関連する雑誌や書籍も増えてきた。

 この流れそのものは、とてもよいことだと思う。投資経験が浅い人には、アクティブファンドは難しい。市場平均そのものを買うというインデックスファンドのコンセプトは、とくに投資の初心者にとっては有効である。運用成績が市場平均以上になることは決してないが、運用にかかわるコストが低いため、コストを引いた後の運用成績を見ると、平均以上になる。儲けの薄い商品なので、金融機関から薦めることはなかなかないというのが問題だが、購入することができれば、それなりの成果が期待できる。

 投資初心者がインデックスファンドを購入するのは、無難な選択だと思うし、それなりの根拠もある。ただ、私はそれだけではうまくいかないと思っていた。「手数料の安いインデックスファンドを購入して、長い間持ち続ける」という方法には、もともと無理があるからだ。そう思ったからこそ、昨年の12月に《これでダメなら投資信託はもうやめなさい》(徳間書店)を出版した。株価が暴落したときには、インデックスファンドを持っているだけではダメなんだ、ということを伝えたかった。

 もちろん昨年12月の時点で、今年に入ってからの急激な暴落を予想していたわけではない。ただ、すぐにはなくても、近いうちに暴落は来ると考えていた。暴落が訪れたとき、「インデックスファンド+長期投資」という方法のメッキがはげるよ、と警鐘を鳴らしたつもりだ。

 「インデックスファンド+長期投資」のどこに問題があるのだろう?過去のデータを見る限り、十分に資産を分散すれば、長期投資によって効果がでることは実証されている。私もこれには同意する(拙書もこの考え方に基づいて書かれている)。理論的には、問題のない方法だといえる。

 問題は、理論ではない。実際にインデックスファンド(またはETF)を購入するのは、機械ではない。感情を持った人間だ。そこに問題がある。感情は理論では説得できないからだ。

 長期保有に効果があると頭でわかっていても、自分の資産が短期間に10%値下がりしたら、どういう気持ちになるだろう。居心地の悪さを感じるのが普通だろう。ただ、じっと待つのではなく、できることなら何かしたいと思うはずだ。それでは、こんなとき何ができるのだろうか?

 できることは、2つしかない。

 ひとつは「売る」。もうひとつは「持ち続ける」だ。

 損失を抱えたファンドを打ってしまうと、損失が確定してしまう。失敗を認めてしまうのは苦しい。かといって、ずっと持ち続けるのも苦しい。さらに損失が拡大してしまう可能性だってある。進むも地獄、とどまるのも地獄といったところだろうか。

 おわかりいただけただろうか。この状況は、オセロゲームで追い込まれたときとまったく同じだ。あなたに打つ手はない。勝負はほぼ決まってしまうのだ。

 このような状況は、インデックスファンドだけでなく、アクティブファンドを買ったときでも同様に起きる。投資信託で運用する以上、避けられない課題だ。そして、手数料の安いインデックスファンドが、この課題に対する答えになるわけではない。その点が見過ごされていることが、大きな問題だ。インデックスファンドの有効性は認めるものの、市場に連動して値動きしている限り、市場の影響は避けられない。長期投資をしていれば、大きく値下がりすることもある。「インデックスファンド+長期投資」という方法は、値下がり時にどうするかという視点が決定的に欠けている。最終的には、「忍耐」という精神論になってしまうことが多いようだ。

 では、私たちはどうすればよいのか?

 それは柔軟なしくみをもつことだ。資産を十分に分散させた上で、暴落時にもファンドの変更が自由にできるようなしくみがあれば、暴落時にもストレスを感じずに対処できる。実際、私のお客様もそのようにして、大きな損失を抱えることなく投資を続けている。

 その方法を知りたい?

 それなら、せひ私の本、《これでダメなら投資信託はもうやめなさい》をお読みください(笑)。

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2008年1月23日 (水)

がんとお金の新しい関係15

 生命保険の仕事をしてきて違和感を感じることは、ものごとをあまりにも単純化していることだ。生命保険というと、「死んだときの保障」(死亡保険)と、「病気やけがをしたときの保障」(医療保険)が、まず頭に浮かぶ。多くの人が特に疑問を感じないまま、「生命保険=死亡保険+医療保険」と考えているのではないだろうか?

 ちょっと待って欲しい。ものごとはそれほど単純ではない。

 生命保険に加入できるような人がすぐに死んでしまうということは、そうそう起こることではない。もし頻繁に起きるようなら、生命保険事業が成り立たなくなってしまう。死亡保険というのは、起きる確率がかなり低いことを扱っている。

 医療保険のほうはどうだろうか。医療保険がカバーする対象は、広範囲におよぶ。がんで入院するように重病の場合もあるが、ぎっくり腰で入院、盲腸で手術、といった比較的症状の軽い場合も含まれている。こちらのほうは、起きる確率が比較的高いことを扱っている。

 死亡保険が起きる確率が低いことを対象にしているのに対して、医療保険は確率が高いことを対象にしている。ここで問題になるのは、その中間に位置するケースだ。起きる確率はぎっくり腰よりは低いが、もし起きると大きなダメージがあるというケースだ。いわゆる三大疾病(がん・心筋梗塞・脳卒中)のようなケースが、これにあてはまる。これまでの生命保険の常識だと、この部分の保障がポッカリ抜けていることが多い。

 リスクに備えるときは、「起こる確率」と「起きた時のダメージ」を考えてから準備するというのが、正しい考え方だと思う。いま一般的な生命保険の考え方は、死亡や病気といったイメージに引きずられてしまって、ウェイトづけがきちんとなされていない。特に、がんのように重要な病気であっても、どのように準備したらよいのかについて、ガイドラインになるものがない。だから、将来のガイドラインにしてもらうことを願って、この原稿を書いている。

 幸か不幸か、日本ではアメリカンファミリー社が、「がん保険」を普及させてくれた。がんに備える保険が普及したという意味ではよいことだと思うが、マイナス面もある。それは、「とりあえず”がん保険”に入っておけば大丈夫」という考え方が広がってしまったことだ。これまで書いてきたように、がんへの対応は、とりあえず「がん保険」に入っておけばよい、というほど簡単なものではないと思う。

 保険でも、投資信託でも、「まず商品ありき」というのでは、売り手の思うつぼになってしまう。商品を考える前に、まず自分の考え方を整理するべきだ。「がん保険」が良いか悪いか考える前に、自分ががんになったときに、どのような状況になるかを考えてみよう。そうすることによって、いままであいまいで見えなかったものが見えてくるはずだ。

 さて、あいまいなことをどのように具体化すればよいのだろう。ひとつの結論を出して、このシリーズの最終回にしよう。

 あいまいなことを具体化することは、まだ行ったことのない場所に旅行するようなものだ。行ったことがないところに旅行するとき、あなたはどのような順番で準備するだろうか。おそらく次の3つのステップを踏むはずだ。

①情報の収集 → ②情報の評価 → ③実行

①情報の収集
 まずすることは、情報集めだ。旅行であれば、目的地の情報をインターネットやガイドブックで調べることが、このステップにあたる。

②情報の評価
 次のステップは、集めた情報をウェイトづけして整理することだ。行きたい場所がたくさん出てきても、時間や予算の関係ですべての場所を訪れることは不可能だろう。自分が行きたいところに優先順位をつける必要がある。

③実行
 行きたい場所が決まれば、あとはスケジュールを決めて、実行するだけだ。このステップで、旅行会社などを決めることになる。

 この考え方を応用して、がんに対する保障をどのように準備したらよいかを考えみよう(注:この考え方は、がん以外の病気についても同様に使うことができる)。

①情報の収集
 
 がんに関する情報を集めるからといって、「家庭の医学」のがんの項目を読み始める必要はない。がんという病気を知ることは大切であるが、より重要なことは「がんになったときに何が必要になるのか」を見極めることだ。がんという病気に関しては、以前紹介した《がんのひみつ》(中川恵一著・朝日出版社)などでポイントだけをおさえておけばよい。国立がんセンターのホームページを参考にするのもよい。
http://ganjoho.ncc.go.jp/public/index.html

しかし、もっと重要なのは、実際にがんを患った人の話を聞いてみることだ。

 若いときにがんになる人は、確率からいえばそれほど多くはない。けれども、まわりを見渡すと、がんになったという人は意外と多いはずだ。私も数多くの人を見てきている。迷惑にならないように注意しつつ、その人の話を聞いてみよう。がんと診断されたとき、どんな気持ちだったのか、不安なことは何だったのか、直接聞けるならそれが一番だ(興味本位で聞くのは厳禁!)。

 ただし、この方法には問題がある。サンプル数が少ないのだ。直接話が聞けるほど親しい人が、がんになるというケースは少ないだろうし、もし親しい人ががんになったら、なかなか話を聞くのも難しい。情報量が限られてしまう。

 そんなとき参考になるのが、多くのケースを知っている人だ。たとえば私のように保険の仕事をしているセールスパーソンが該当する。長く仕事を続けている人であれば、多くのケースを知っているので、情報として参考になるはずだ。

②情報の評価
 
 集めた情報は評価しないと意味がない。評価をするときは、「起こる確率」と「起きたときの影響」をものさしに使おう。確率の「高い」「低い」、影響の「大きい」「小さい」で分類すると、以下の4つに分けられる。

(1)確率が高く、影響が大きいケース
(2)確率が高く、影響が小さいケース
(3)確率が低く、影響が大きいケース
(4)確率が低く、影響が小さいケース

順番に見ていこう。

 がんの場合、(1)に該当するのは「高齢の場合のがん」だろう。このケースを保険で準備するのは効率が悪い(がんとお金の新しい関係10を参照のこと↓)。
http://reindeer.cocolog-nifty.com/money/2008/01/10_b495.html
このケースでは、現金のような資産で準備するのが原則である。

 (2)に相当する「がん」というのは、ちょっと思い浮かばない。いずれにしても起きても影響は小さいのだから、準備する必要性は低い。
 (3)に相当する部分は、まさに保険がカバーする分野になる。
 (4)はもともと考えにいれなくてよい。

 「がんに対しては、65歳までは保険で備え、65歳以降は資産で備える」ということはすでに述べた。注意しなくてはならないのは、集めた情報から特殊なケースを除いて考えることだ。先進医療をしたために、べらぼうに費用がかかるというケースもあるかも知れない。たしかにありえないケースではないが、確率的にはかなり低い。自分を納得させることができるのであれば、あまり特殊なケースまで保険でカバーしようとしないほうがよいと思う。 また生命保険のセールスパーソンは、病気のこわさを強調する面があるので、彼らの話は多少割り引いて考えたほうがよいだろう。

 保険は「あいまいさを一定の幅におさめるための道具」に過ぎない。望まないことが起きた場合でも、最悪の事態にならない程度の準備にとどめておこう。

③実行
 
 情報をウェイトづけしたら、保険会社や保険商品を選ぶことにする。いろいろなタイプの保険が販売されているので、選択するのは難しいと思うが、最低でも以下の2点を満たしている必要がある。

・診断給付金が出るタイプの保険であること。
・65歳までの保障が充実していること。


 治療方法によって保険金の支払いが変わってくることは避けたい。そこで「診断給付金」が出るタイプの保険が望ましい。また、高齢になってからよりも、60~65歳ぐらいまでの保障が充実しているタイプを選びたい。歳をとってからの保障を重視することで、若いときの保障が小さくなってしまうのなら、本末転倒だ。

 この条件を満たしている保険があれば、加入を検討してみる。ただ、①で述べたように、これからもがんについての情報が欲しいのであれば、経験豊かな担当者のほうがよい。医療の実態にあわせて、本当に役に立つ保険を薦めてくれる担当者に出会うことができれば、心強い(なかなか難しいことではあるが)。


 さて、2週間以上にわたって続けてきた「がんとお金の新しい関係」も、今回で終わりとなる。長い間おつきあいいただき、ありがとうございます。話があっちにいったり、こっちにいったりで読みにくかったと思うが、私の伝えたいことが10%でも伝わっていれば幸いだ。

 このシリーズでは、「保険を考えることは、自分を見つめ直すことだ」ということを伝えたかった。よい商品、悪い商品というとらえ方ではなく、自分にとって何が必要なのかを見極めることの大切さを伝えたかった。そのためには、いちど立ち止まって、がんという病気についてきちんと考える必要がある。あいまいなものを具体的にする必要がある。

 6回目に、Sさんが10分で保険の契約を決めたというエピソードを紹介した。Sさんはふだんから自分を見つめていたのだろう。だから、自分に必要な保険を短時間で選択することができた。そして現実にがんを患ってからも、前向きに生きるために保険金を使った。

 自分にSさんと同じことができるのかと問いかけると、「まだまだ」という答えが返ってくる。そんな私が、偉そうなことを書き綴ってしまった。恥ずかしい。

 それでも、この文章があなた自身を見つめ直すきっかけになってくれれば、これほど嬉しいことはない。保険に加入するかしないかは、重要なことではない。大事なことは、あなたに大切なことを見極めることなのだから。

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2008年1月22日 (火)

がんとお金の新しい関係14

 がんのような大きな病気を患ったときに、「精神的なケア」が必要になることを指摘した。Sさんは、受け取った保険金を「自分の癒し」のために使った。高級時計、海外旅行、友人との食事などにお金を使うことによって、自分の世界を広げていったのだ。病気をすると世間が狭くなってしまう傾向があるが、Sさんは逆に広げることができた。このように保険によって、「お金に換算することが難しいダメージ」にも対応することができる。ただし、ひとつ問題がある。目に見えない、お金に換算しにくい、このダメージを具体的にどうやってお金で見積もればいいのかという問題だ。

 この問題に答えることができれば、「あいまいさ」は克服できる。難しい課題ではあるが、ぜひ答えを出して欲しい、少なくとも答えを導くためのヒントには気づいて欲しいと思って、この原稿を書いている。

 あなたが「がん」と診断されたときのことを想像してみよう。医者からは治療すれば、かなりの確率で完治すると言われている。ただし、病気の性質上、絶対大丈夫というわけではない。あなたの頭には、これからの治療のことが思い浮かぶ。大丈夫と聞かされていても、どこかに「死」を意識する。こんなときは、気持ちを支えてくれる何かが必要だ。精神的なダメージをケアするために、必要なお金はどのくらいなのだろうか。

 もっとも簡単な結論は、「お金に換算できないものは、換算することをあきらめる」というものである。これもひとつの考え方だ。現在の主流派は、このような考え方だと思う。精神的なケアをするためにお金が必要になるという考え方は、病気をしたことがない人には、おそらくわからない(自分も本当はよくわからない)。

 しかし、がんは治療が長期にわたることも多く、回復するためにも気の持ちようが大事になる。病気自体は命にかかわるほどでもないのに、病気をしたということを気にして、どんどん落ち込んでしまう人もいる。反対に、大きな病気をしても明るく毎日を過ごして、長い間元気に暮らす人もいる。

 お金のあるなしにかかわらず、元気に暮らせる人はいるだろう。けれども、お金の心配ばかりしているようでは、やはり元気に暮らすのは無理だ。それなりにお金の余裕は必要だろう。では、どのくらいのお金を「精神的なケア」のために残しておけば(保険に加入すれば)よいのだろうか。

 結論から先に言おう。「いくらでもよい」。

 身も蓋もない結論だが、これには次のような「ただし書き」がついてくる。「ただし、自分の気持ちを納得させられれば」

 結局、自分自身を納得させられるかどうかということになる。次のような例を考えれば、その理由がよくわかるはずだ。

 ここに、同じような年齢、同じような生活を送っている2人がいる。FさんとGさんとしよう。2人はがんに対して、どのように保険を準備すればよいのだろう。FさんとGさんが「がん」を患う可能性は、ほぼ同じである(厳密には違うと思うが、いまの科学ではわからない)。必要な保障額について客観的な基準があるのだとしたら、FさんとGさんが加入する保険はまったく同じものになるはずだ。

 しかし、2人がまったく同じ保険に入るということはない。Fさんは、がんと診断されると1000万円の保険金がもらえる保険(生前給付保険)に加入する。それに対して、Gさんはがんに備えるための保険にまったく加入しない。こんなことが起こる。なぜ、これほど大きな違いがでるのだろうか?

 実は、Fさんは身内をがんで亡くしていた。自分の親戚ががんで苦しんだという経験をもつFさんは、がんについて深く考えている。外からはわからないつらさも知っている。そのため、がんに対する備えもより慎重なものになる。「精神的なケア」のために保険を準備するという考え方も受け入れやすいだろう。

 一方、Gさんの周りには、がんを患った人はいない。そこでGさんはドライに考える。「精神的なケア」といっても具体的なイメージがわかない。だから、保険には入らないという選択をするのだ。

 第三者の目から見ると、ほぼ同じ条件の2人がまったく違った判断を下す。保険ではそのようなケースがたくさんある。なぜそういう結果が生まれるかというと、それは本人の気持ちの問題だからだ。自分の気持ちを納得させることができれば、それでいい。保険とは「あいまいさをある程度の幅におさめるための道具」にすぎない。Fさんは「あいまいさ」をある幅におさめようすることで、自分の気持ちを納得させた。がんになっても1000万円の保険金を受け取ることで、安心感を手に入れた。それに対して、Gさんは「あいまいさ」を感じなかったら、幅をおさめる必要性を感じなかった。それだけのことだ。2人が本当に納得しているのであれば、その結果は尊重されるべきだろう。

 問題は、私たちが本当に「あいまいさ」と向き合っているかどうかだ。あいまいな部分をできるだけ具体的にした上で、将来起こるかも知れない事態に備えているのか、それともなんとなく考えているだけなのか、それが大きな問題だ。具体的に考えるといっても、何から手をつければよいのだろう。 

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2008年1月21日 (月)

がんとお金の新しい関係13

 これから起きるかも知れない、でも起きないかも知れないということが、「あいまい」と表現される。私たちはこの「あいまいさ」とどのようにつきあえばよいのだろう。結論は前回に述べた。どうでもよいことは気にしないことだ。しかし、その「あいまいさ」が自分にとって、非常に大きな影響を及ぼすのであれば、起こりうる結果を、ある程度の幅でコントロールする必要がある。その幅をコントロールするのが、保険の役割である。

 私たちは「あいまいさ」に包まれながら、確率に影響を受けている。ある確率で起きるということは、悪いことばかりではないと思う。ただ、ここでは「がん」や「保険」といったテーマで話しているので、あまり楽しくない話になってしまう。ご勘弁願いたい。

 若いときに大きな病気をしたり、事故にあったりするというのは、必ずしも高い確率でおきることではないが、社会全体では一定の確率で起こりうる。あなたが若いときに重い病気を患ったとしたら、どういうことになるだろうか?いまの日本に住んでいる限り、重い病気になったということだけで、生活が破綻してしまうというケースは少ない(絶対にないわけではないけれど)。

 社会的なしくみによって、起こりうる結果をコントロールしているからだ。病気そのものの発生確率を低くすることはできなくても、病気によって受けるダメージを減らすことはできる。経済的な負担を減らすために、社会保障制度(年金、健康保険、生活保護など)がある。これは病気に限ったことではない。たとえば雇用保険も、失業による経済的なダメージを少なくするための制度である。病気や失業のように、自分の力ではどうしようもないことが起きたときでも、最悪の状況にならないようなしくみがあるのが、いまの日本だ。いまの日本に生まれたら、よほどのことがない限り、のたれ死にはしないですむ。ありがたいことだ(といっても、いまの政府に感謝しているわけはないが)。

 私たちが何も望んでいなくても、知らないうちに「あいまいさ」から守ってくれるしくみがある。病気、障害、死亡という場合に、生活が大きく変わらないようにするために、年金制度や健康保険制度がある。私たちは着の身着のままで、社会に投げ出されるわけではない。生まれたときから、ある程度の幅の中で生活できるようになっている(特に悪いほうの事態は避けるようになっている)。

 社会保障制度は、多くの人のために役立ってきたし、これからも役立つことだろう。実力社会であれば、一定の確率で経済的な弱者は生まれてくる。いま自分が大丈夫だからといって、将来も大丈夫という保証はない。社会保障の役割は、きちんと評価するべきだろう(だからといって手放しで賛成すべきではない。社会保険庁のようなずさんな役所が許されてよいことは絶対にない)。しかし、社会保障制度にも限界はある。経済的な弱者に対して、一生ぜいたくができる生活を保証するわけにはいかない。保証できるのは、最低レベルの生活だ。「あいまいさ」を守ってくれるしくみがあるのは心強いが、それだけで安心できるというわけではない。

 不幸なできごとが起きたときに、社会保障制度で約束された生活レベルよりも、さらに上の生活を望むなら、起こりうる結果をコントロールしなければならない。そこで有効なのが保険(生命保険と損害保険)である。住宅の保険に加入していれば、火事で自宅が焼けたとしても、立て直すための保険金を受け取ることができる。不運な事故や事件が起きても、保険に加入していれば、経済的なダメージをある程度の幅におさめることが可能になる。

 保険とは「あいまいさをある程度の幅におさめるための道具」である。望んでいないことが起きたときでも、そのダメージを一定の水準以下におさえるというのが、保険の目的となる。どのようなことが起きるかは、現実に起きてみないとわからない。したがって、保険に加入していたとしても、「絶対に大丈夫」ということはない。それでも、起きたことから受ける影響を、ある程度の幅におさめることができる。

 保険はひとつの道具である、という考え方は、ぜひ覚えてほしい。

 よく、保険を「損得」で判断する人がいる。保険に加入する側の消費者だけでなく、保険を販売している人にも、「損得」で判断する人が多数派だろう。こういう人たちは、保険の本当の使い方がわかっていない。

 保険の内容がまったく同じ、これから受けられるサービスもまったく同じ、というのであれば、保険料(掛け金)の安いほうを選ぶべきだろう。しかし、実際には、まったく同じ条件で比較できることは、ほとんどない。どんな商品やサービスについてもいえることだが、値段の高い安いには理由がある。「よいサービスを、最安値で」という宣伝文句が世の中にはあふれているが、実際にお目にかかることは少ない。

 保険を本当に有効活用したいのであれば、「損得」という考えを捨てたほうがよい。安い保険を必死にさがすよりも、「何を守るのか」「どんなことから守るのか」「いつまで守るのか」を具体的に考えて、それに適した保険を選ぶために時間を使ったほうが、よっぽど自分の役に立つ。

 そもそも確率的に考えれば、保険に加入した人の大部分は、支払った保険料のほうが受け取る保険金よりも大きくなる。多くの人が損をすることによって、保険というしくみがなりたっている。その点だけに注目するのであれば、保険に加入しないというのが正解だ。「損得勘定」で考えると、結局そこに行き着いてしまう。これは、ちょっと極端な結論だろう。

 保険は「ぶれを小さくするための道具」だと考えたほうが、その機能をうまく使いこなすことができると思う。道具の効果を知れば、道具にいくらお金を払えばいいかを決めるだけでよいからだ。ぶれを小さくするために費用を払うのであって、払った額ともらう額を比較しているわけではない。

 問題はその効果をどのように知るかということだ。保険の場合、そこがブラックボックスになっている。「あいまいさ」が、あいまいなまま残ってしまっているのだ。「あいまいさ」が残っている限り、次のステップには進めない。「がん」について、私がいろいろと書いてきたのも、この「あいまいさ」をできるだけ具体的なものにしたかったからだ。私たちが「あいまいさ」を克服するためには、どのようなことに注意していけばよいのだろうか。 

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2008年1月20日 (日)

がんとお金の新しい関係12

 ここまで11回にわたり、がんというひとつの病気(注:がんは場所が違えばまったく違う病気であり、同じ場所によっても人によって治療法はまったく異なる。実際には”ひとつの病気”ではないが、便宜上このような表現になることをお許し願いたい。)について考えてきた。なぜ、私はここまで「がん」にこだわるのだろうか?

 父親をがんで亡くしたということも理由のひとつではある。何とかしてあげたくて、それなりに勉強はしたつもりだ。また、生命保険の仕事の中で、お客様に対して適切な情報をさしあげて、力になりたいという気持ちもある。「がん」についてきちんと考えることは、多くの人にとって、大きな意味を持っている。がんに関していえば、「死に至る病気」というイメージばかりが先行してしまって、実際に何が起こっているのか、今後どのような方向に向かうのか、これからどうしたらよいかについて、明確な考え方を持っていない人が多い気がする。

 適切な言葉ではないが、「がんになるのをただ待っている」という人が多いのではないか。「がんにならないほうがよいに決まっているが、もしなったとしたら、そのときに考えよう。」という人が圧倒的だ。「がんになったときのことなどを真剣に考えていると、本当にがんになる」と言う人もいるだろう。日本人にみられる「言霊(ことだま)信仰」の典型例だ(言霊信仰とは、あることを口に出すとそれが本当に起きると信じてしまうこと。作家の井沢元彦氏が指摘。)

 がんに対してどのように考えるかは、もちろん個人の自由である。深く考えないという選択肢もあってよい。「人生なるようになるさ」というのも悪くない(個人的には好き)。ただ、あることが起きたときに、事前に準備している場合と、準備していないときでは、解決の質が異なってくる。やはり、きちんと準備したほうが、より良い解決策が見つかることが多い。決断するまでの時間が限られているときや、選択肢が限られているときには、冷静な判断ができないからだ。

 お葬式は、よい例だ。家族の誰かの死期が近づいていても、「お葬式のことなど口に出すのは縁起でもない」と誰もが考える(私の父のときもそうだった)。葬儀社と相談するのは、実際に亡くなってからということになる。通常、死亡日から2日ほどで通夜→告別式という段取りになるので、式次第を決める時間的な余裕がない。葬儀社を数社選んで、見積もりをとるなんてこともできない。結局、ひとつの葬儀社と話をすることになるが、葬儀社のほうも、そのあたりの事情はよくわかっている。他のところに話を持っていかれる心配はないので、交渉は終始、葬儀社のペースになる。結局、葬儀も高いものについてしまう。

 時間な余裕があり、複数の選択肢があれば、結果も変わってくるだろう。しかし、時間も選択肢も限られているなら、質の高い結論が得られることは少ない。特に、自分の専門分野でないことや、一生のうちで起こる確率が小さいことに関しては、この法則があてはまる。それでも、どうでもよいことは気にすることはない。大切なことは、本当に重要なことに対しては、きちんとした準備をすることだ。「がん」は人の命に関わることだ。どうでもよいわけではない。考えなくてよいとは思わない。そのときになってあわてるよりも、いま考えられることはきちんと考えて、できることに取り組むほうが、精神衛生上もよいだろう。

 では、私が伝えたい「ノウハウを超えたまなび」とは、どのようなものだろうか?いままで紹介してきたことのうち、次の3点が特に重要である。

1.守るものの対象として、「精神的ケア」のように、目に見えず、お金に換算することも難しいダメージがある。

2.がんに対する治療方法は、刻々と変化している。私たちの意識や生命保険商品は、必ずしもその変化に対応できていない。

3.基本的に、がんは高齢者の病気である(若くしてなることも、もちろんあるが)。高齢時のがんを生命保険でカバーするのは効率が悪い。若いときのがんは生命保険でカバーするが、高齢時は資産運用で増やした資金によって準備するのが原則。


 3つともに共通することは、「はっきりとしたことがいえない」という点だ。「あいまいさ」と言ってもよいだろう。「精神的ケア」といっても、どの程度のケアが必要なのかは、ケースにより、人それぞれの考えにより大きく異なる。10年後・20年後の治療方法がどのようになるのかは、医療関係者でもはっきりしたことはいえないはずだ。若いときに生命保険、高齢時に資産運用といっても、それぞれについて、確率に基づいて、どのくらいのウェイト付けをするのかについて、誰にでもあてはまるような答えはない。

 「あいまい」などというと、モヤモヤとして、雲をつかむような話にも思える。しかし、人生は「あいまいさ」に満ち溢れている。誰と出会い、どのような仕事をし、どのように人生を終えるかが最初からわかっている人など、誰もいないだろう。「あいまいさ」なんて特別に考えることはない。ごくごくありきたりの話なのだ。

 それなら、私たちはこの「あいまいさ」とどのようにつきあっていけばよいのだろう。「あいまいさ」に身をゆだねてしまえばよいのだろうか?

 結論を先にいえば、「ゆだねてよいところは、ゆだねてよい。しかし、ゆだねたくないところは、起こりうる結果を、ある程度の幅でコントロールすべきである。」ということになる。結果をある程度の幅でコントロールするために、保険の存在価値がある。

 保険をどのように活用すればよいのかについては後述することとし、今回は「起こりうる結果を、ある程度の幅でコントロールする」ということについて、わたしが考えていることを紹介しようと思う。

 おおげさな話になるが、この「起こりうる結果を、ある程度の幅でコントロールする」ことによって、人類は発展してきた。

 初期の人類は、狩猟や採集によって食物を獲得していた。しかし、捕まえられる獲物、得られる木の実や果実は気象条件によって大きく左右される。お天道様の気まぐれに身をゆだねたままでいると、命が危ない。そこで、私たちのご先祖さまは、まず備蓄をした。栄養源として日持ちのする木の実などを備蓄すれば、気象条件が悪くても、最悪の事態におちいることはない。備蓄という行為は、まさに「起こりうる結果を、ある程度の幅でコントロールする」こと、そのものだ。次の段階では、備蓄が農業に発展し、安定した栄養源の確保につながるようになった。

 それから数千年後、私たちは気象条件によって、自分の生命を心配することなどなくなった。天気が悪いと、農産物の価格が上がることはある。原油の値上がりから、食用油が値上がりすることもある。しかし、値上がりが餓死につながることはない。いまその恩恵にあずかれているのも、私たちの祖先が「起こりうる結果をコントロールする」という知恵を積み上げてきたからこそだ。ありがたいことである。

 このことを理解すれば、起こりうる結果をコントロールしようとすることは、人間に備わった重要な性質だと考えられる。人類全体などといった、壮大なスケールでなくても、私たちは自分自身のために、この性質を活用していけばよい。ご先祖さまも、「人類のために」なんて大それたことを考えていたわけではない。まず自分達が生き延びるために、知恵をしぼったことが、よい結果につながったのだ。 

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2008年1月19日 (土)

がんとお金の新しい関係11

 ここまで、がんとお金の関係について、私なりの考え方を紹介してきた。そろそろ、このテーマをまとめてみることにしよう。生命保険を使って、がんのリスクに対応するときには、3つポイントがあった。まずは、それを確認しておく。

1.保険で守るもの

 大きく分けてふたつのダメージに対して備える。それは「お金に換算することができるダメージ」と「お金に換算することが難しいダメージ」だ。前者の例として、「治療費の負担」や「収入減」「新たに保険に加入できない」があげられる。後者は「精神的なダメージ」だ。ふつうは、経済的なダメージしか考えないが、精神的なケアをするためにお金が必要になる点は、十分理解しておく必要がある。

 「治療にかかった実費をカバーする”がん保険”」というものがある。商品としては優れていると思うが、これだけだと、精神的ケアには使えない。精神的なケアも考慮するのであれば、このタイプの保険に加えて、一般的な生命保険(契約時に保険金が決まっているタイプ)にも加入しておく必要があるだろう。

2.保険金がもらえる条件

 「手術+入院」だけが、がんの治療方法ではない。どのような治療方法を選択したときでも一定金額の保険金が受け取れる、「生前給付保険(特約)」「特定疾病保障特約」といったタイプの生命保険をまず検討しよう。もちろん、「手術+入院」といった治療がなくなってしまうわけではないので、手術と入院を保障する保険が必要ないというわけではない。時代の変化を考えて、できるだけ多様な条件で保険金がもらえるようにしておいたほうがよいという意味である。

3.保険が必要な期間 

 一生涯の保障にこだわる必要はない。高齢時の病気を生命保険でカバーするというのは、効率が悪いからだ。65歳から保険料が上がることを考えると、65歳までは保険で準備し、65歳以降は現金などの資産で準備するのが有効。したがって、保険は65歳までの掛け捨て保険(定期保険)とし、並行して資産運用を行う。資産運用で増やした資金で、65歳以降のがん(を含む病気)に備えるのが賢い方法と考える。

 この方法を採用している人がまだ65歳になる前に、がんと診断されたらどうすればよいのだろか?治療が続けば、入院や手術という事態も予想される。65歳で保険がなくなってしまうというのは、心もとない。
 その場合も心配はいらない。すでに保険に加入している人は、病気になっても保険は継続できるからだ。入院しているケースても、65歳以降、保険を継続することはできる。問題は、保険料(掛け金)が上がってしまうことだ。その負担をまかなうために、いままで増やしてきた資金を使ってもよいが、できれば診断給付金の一部を将来のために取っておくほうがよいだろう。病気などのリスクで、資産運用に影響が出るのは、できるだけ避けたい。
 
 この方法を採用していれば、どのようなケースでも、「十分に資金があるときは保険は必要ない。資金が十分でないときは保険を継続する。」という原則で対応できる。たとえ途中で病気になるといった事態が生じても、状況にあわせて、もっとも効率のよいやり方を選ぶことが可能になる。

 以上、がんとお金(特に生命保険)について、実際に使えるノウハウを紹介した。私の考え方に賛成してくれるかたは、ぜひ実践してほしい。わからない点があれば、質問していただいても結構だ。→ tonakai@office-yen.com

 ただ、私が本当に伝えたいことは、このノウハウを超えたところにある。このブログを読んでいるかたは、すでにお気づきだと思うが、「ノウハウだけ教えておしまい」というのは、私が望むことではない。私はねちっこいのだ(笑)。

 もう少しだけ、このテーマにお付き合いいただきたい。

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2008年1月18日 (金)

がんとお金の新しい関係10

 前回は、がんのリスクにおける、第1と第2のポイントについて、私の学びを紹介した。
今回は「期間」について考える。

3.保険期間はいつまでなのか?

 「医療保険」や「がん保険」は保険期間が長いほうがよい、と考える人が多い。「歳をとれば病気をしやすくなる。だから、そのときに保険のお世話になれるようにしておきたい。」というのが、一般的な意見だろう。そのニーズにこたえるために、医療保険の保険期間はどんどん長くなってきた。最近のCMで見かける医療保険は、ほとんどが「一生涯の保障」を売り物にしている。

 「高齢になれば病気にかかりやすくなる」→「終身型の医療保険・がん保険で保障を確保」という発想も理解できないわけではない。けれども、保険会社が言うように、本当に終身型の保険が有効なのだろうか?

 きちんと考えるときは、原点に帰るのがいちばんよい。
 そもそも、生命保険はどのようなケースで最も力を発揮するのだろうか。

 こんな例を考えてみよう。あなたは、老後の資金を準備することを決意した。さて、どのような方法で、その資金を準備するだろうか?次の行を読む前に、30秒ほど考えて欲しい。

 「毎月コツコツ積み立てる」「株や投資信託で運用する」「外国に投資する」「不動産に投資する」など、いろいろな答えが出てきたことだろう。しかし、「競馬で稼ぐ」「宝くじを当てる」と答えた人はいないはずだ。

 老後の資金をギャンブルで稼ごうとしないのなぜか?かなり高い確率で(途中で死ななければという意味)、老後はやってくる。そのための資金を準備するのに、当たるか当たらないかはっきりしない(つまり当たる確率が低い)ギャンブルという方法は、ふさわしくないからだ。同じように、教育資金をギャンブルで稼ぐ人もいないはずだ。

 老後資金や教育資金といった発生する確率が高いことがらについては、確実な方法(たとえば積立)で準備するというのが普通の考え方だ(積立が貯金であるか、投資信託であるかはここでは問題ではない)。この考え方には、すべての人が同意してくれると思う。

 では、発生する確率が低いことがらについては、どのように準備すればよいだろうか?ここで問題にしているのは、起こる確率は小さいが、もし起きてしまうと、大きなダメージとなるようなことがらだ。家族を残して、若くして亡くなった一家の大黒柱というケースが考えられる。このようなときに、積立で備えるのは効率が悪い。若いときに、まとまったお金を貯めるのは難しい。そこで保険の出番となる。少ない掛け金で、大きな保障を得ることができ、いざというときでも安心できる。

 保険が力を発揮するのは、このように発生する確率は低いが大きなダメージが予測される現象に対してである。生命保険だけではなく、自動車保険や火災保険といった損害保険も基本的には同じ考え方がもとになっている。不確実だが大きなダメージが想定されるときは、保険の出番だ。

 反対に、起こる確率が高いことに対しては、生命保険は大きな力を持っていない。発生する確率が高いことがらに準備するためには、それに見合った費用が必要となるからだ。老後の生活資金を準備するための年金保険は、決して安い買い物ではないことを考えれば、このことは容易に想像できる。このような場合、あえて保険というかたちで資金を準備するという、明確なメリットを見つけることはできない。資金準備をするため方法のうちのひとつという位置づけが、せいぜいだろう。

 以上をまとめると、次のようになる。

・不確実だが大きなダメージが予想されるとき→ 保険が有効
・高い確率で大きなダメージが予想されるとき→ 現金のような資産が有効


 これが保障を考えるときの大原則だ。
 そこで、この大原則をもとに、がんに対する保障期間を考えてみることにする。

 がんが死因の上位を占めるようになった理由は
「長生き」だ。平均寿命が短いころには、がんは問題にならなかった。なぜかというと、がん細胞が大きくなるのには時間がかかるからだ。DNAに傷がつくと、がん細胞が生まれる。通常であれば、免疫の働きでがん細胞は増殖しないが、機能がうまく働かないと徐々に増えてくる。ただし、がん細胞がそれなりに大きくなるには、10年~20年といった時間を要する。

 若いときにがんが見つかる人もたしかに存在するが、一般的にいうと、がんは歳をとったときに見つかるほうが多い。ある程度の年齢を重ねてから、がんになるのは、ある意味で避けられないことなのだ。「歳をとってからのがん」は、「高い確率で大きなダメージが予想されるとき」に当てはまる。

 そうであれば、高齢時のがんを保険でカバーしようとするのは、効率がよくないことになる。発生する確率の高いことに対して、保険会社は高い保険料(掛け金)を請求するからだ。保険の計算上は、65歳を過ぎると急激に掛け金が上がる。

 このように考えると、
65歳までは保険で準備し、65歳以降は現金などの資産で準備するというのが、有効な方法である。「一生涯の保障」というのは、耳にやさしいが、必ずしも効率的ではない。このことは、がん保険に限らず、医療保険や死亡保険にもあてはまる。つまり、65歳までは掛け捨ての保険、65歳以降はそれまで準備しておいた資産で対応するということだ。あなたが60歳以下ならば、この考え方をお薦めする。

 あなたが65歳に近い年齢であれば、資産運用の状況を確認しておこう。資産が十分にあり、そこから一定の利益が見込めるのであれば、保険はいらないかもしれない。反対に、まだ資産運用が軌道に乗っていないのであれば、しばらくの期間(5年~10年)は保険に加入しながら、資産運用の勉強をしていくのがよい。

 掛け捨ての保険は、日本ではあまり人気がないが、以上の理由で理にかなっていることがおわかりいただけたと思う。お金がたまることはないが、保険料(掛け金)の負担を少なくして加入することができる点がメリットだ。しかし、負担が少なくなったからといって喜んでばかりではいけない。65歳以上は、保険を使わないで準備しなければならない。将来に備えるために、負担が少なくなった分のお金は、資産運用にまわすべきだ。

 保険と資産運用というのは、自転車の両輪のような関係だ。どちらか片方の車輪だけが回っていても、自転車は動かない。保険と資産運用というふたつの手段を用いることで、最も効率のよい資金の準備ができるようになる。

 言われてみれば、「なるほど」という話だと思う。しかし、このような当たり前の話が、いまの日本では当たり前になっていない。残念なことだ。
 

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2008年1月17日 (木)

がんとお金の新しい関係9

 私たちは「がん」に対してどのように備えればよいのだろうか。生命保険を使って、「がん」のリスクに対応するときに、どのような点に注意すればよいのだろうか。Sさんを通して、私が学んだことをまとめてみよう。読者の参考になるはずだ。

 ポイントは、大きく分けて次の3つである。

1.保険で守ろうとするものは何か?
2.保険金はどのような条件を満たすともらえるのか?
3.保障期間はいつまでなのか?


 順番に検討してみることにしよう。

1.保険で守ろうとするものは何か?

 「あることが起きると何らかのダメージ(損害)を受ける」と予想されるとき、そのダメージによる影響を小さくするために保険に加入する。では、「がん」になったときに、考えられるダメージとは具体的にはどのようなものだろうか?

 ダメージは大きく2つに分けられる。ひとつは「お金に換算することができるダメージ」、もうひとつは「お金に換算することが難しいダメージ」だ。「お金に換算することができるダメージ」として、比較的かんたんにイメージがわくものとして、次の2つが挙げられる。

 ① 治療費(自己負担分の医療費、差額ベッド代、薬代など)
 ② 収入減(仕事を休んだことや体力的な原因による)

 これ以外のダメージとして、③新たに保険に加入できない、というものもある。若いときにがんを患うと影響が大きい。自宅を購入するときに、ローンが組めなくなる可能性もある。銀行が住宅ローンを貸し出すときに条件とする、団体生命信用保険に加入できないからだ。将来ローンを組むことを計画している人は、念のため考えておくべきだろう。

 「お金に換算することが難しいダメージ」とは、精神的なものだ。前回紹介したSさんのコメントにあるように、大きな病気をすると引きこもりがちになる。気持ちの問題なので、どの程度の影響が出るのかは、個人差が大きい。しかし、命にかかわる病気をして平気でいられるわけがない。その気持ちを癒すためには、時間もお金も必要だ。

 治療費を代表とする経済的なダメージだけをカバーするために保険をかけていたとしたら、精神的なケアに使うお金がなくなってしまう。Sさんが実践したように、病気をした後に、外に出て、友達とつきあって、世界をひろげていくのもいいだろう。旅行をするのもよい。欲しいものを買うのもよい。適切な言葉は見つからないが、「自分に対する慰謝料」を用意しておいたほうがよいということだ。

 このダメージはお金に換算することができないので、金額をはっきりとは言えない。あいまいな言い方だが、保障を考えるときはぎりぎりではなく、少しだけ多めにしておくのがよい(保険の宣伝になってしまうが)。どのくらい上乗せするのがよいかというのは、人それぞれの考え方による。

 治療費や収入減といった「お金に換算することができるダメージ」は、頭で考えればすぐにわかる。しかし、精神的なダメージはなかなかイメージできない。ただ、実際に病気になったときは、後者のほうがより大きな問題だ。病気そのものよりも、病気との向き合い方で、回復に向かう人と、より落ち込んでしまう人に別れてしまう。このように、精神的なケアに重点を置くという視点は、病気になった人しか持つことはできない。健康なときにこそ、きちんとその人たちの気持ちを理解し、具体的な準備をするべきだろう。

2.保険金はどのような条件を満たすともらえるのか?

 多くの医療保険・がん保険では、保険金を受け取るための条件として、「入院・手術」が中心になっている。しかし、これだけではSさんのように、主に放射線による治療をした場合に、もらえる保険金が少なくなってしまう。どのような治療を選択しても、同じ額の保険金をもらえるほうが望ましい。

 そのために有効な保険が「生前給付保険」または「特定疾病保障特約」(会社によって呼び方は異なる)だ。がん・急性心筋梗塞・脳卒中と診断されると、治療方法を問わず、一定額の保険金(診断給付金)を受け取ることができる。最近のがん保険では、この診断給付金が含まれている商品が一般的になってきている(一部、保障対象外のがんもあるので注意が必要)。

 このようなタイプの保険にしておけば、将来の変化にも対応できる。

 「胃がん」のように、主に手術によって治療するがんは減少傾向にある。胃がんは、ヘリコバクター・ピロリ菌などの最近が原因のひとつとされている。子どものときに衛生状態が悪いと、ピロリ菌に感染し、胃がんになりやすい。私の父のように、高齢者が胃がんになりやすいのは、そのためだ。近年は衛生状態が改善したことによって、若い世代の感染率は低下している。胃がんになる人の割合は、これから確実に減っていく。

 その一方で、「肺がん」「乳がん」「大腸がん」などが増えている。この種のがんは、放射線治療や抗がん剤治療が有効な場合が多い。これからのがん治療では、手術の割合は減り、放射線や抗がん剤のウェイトが高まっていくのがほぼ確実だ。(参考文献:中川恵一著『がんのひみつ』(朝日出版社))

 生命保険の契約は長い。10年、20年なんて期間は当たり前だ。もっと長い契約もざらにある。そして時間が経過するとともに、保障内容が現実に合わなくなってくることがある。特に医療の分野は変化が激しい。10年前は、入院や手術にウェイトを置いた保険でもよかったかも知れないが、現時点で、すでに実情にあっていない。これから10年、20年先のことを考えれば、ますます現実とかけ離れたものになってしまう。保険を考えるときは、将来の変化についても考えなければいけない。いま健康な人は、将来にも価値がある保障内容への変更を、真剣に検討したほうがよい。

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2008年1月16日 (水)

がんとお金の新しい関係8

 現在、日本で多くの人が加入している「医療保険」や「がん保険」は、主に入院や手術を対象にしている。病気の治療イコール、外科的手術というイメージがまだまだ強いからだろう。がんに関していえば、たしかにまだ外科的手術が中心ではあるが、がんの種類によっては放射線治療も同等の効果を示すこともあり、広く使われるようになってきている。手術と放射線を補う治療として、抗がん剤治療(化学療法)もある。がんに関していえば、一般の人や保険会社が持っているイメージと、治療現場の実態は必ずしもマッチしない。そのため、Sさんのように、入院も手術もしない患者さんは、保険に加入しても満足な保険金がもらえないという事態に遭遇する。

 Sさんのがんは、軽いものではない。副鼻腔がんの5年生存率は高いとはいえない(10~20%といわれる)。それほど深刻な病気であるにもかかわらず、治療のしかたが放射線プラス通院というだけで、入院と手術で治療したときと比べて、保険金の額が大幅に減ってしまう。治療方法の選択によって、保険金が変わるというのは望ましいことではない。特に、がんは場所によって、治療の選択肢が変わってくるので、治療方法に左右されないような保険に加入するほうが間違いは少ない。

 幸いなことに、Sさんが加入していた保険は、治療方法に左右されないものだったので、がんと診断されたことを理由に、支払うことができた。従来型の医療保険やがん保険を薦めていたら、もしかしたら10万円の保険金になっていたかもしれない。実際にSさんが受け取った保険金は610万円なので、その差は600万円。これは大きい。

 ここで話が終わったなら、ただの自慢話だ。「医療保険を考えるときは、診断給付金の保険に加入しよう」という程度の学びしか残らない(それだけでも、よく見かけるある保険関連の記事と比べれば、貴重な学びだとは思うが)。本当の学びは、これからだ。

 Sさんは610万円をどのように使ったのだろうか?

 医療保険やがん保険に加入するときに、多くの人が「病気の治療にかかる費用をカバーしたい」と考える。そのイメージは、間違ってはいない。長期にわたって治療が必要なときは、治療費が高額になることもある。ただ、多くのケースでは、健康保険の適用が受けられるので、実際にかかる医療費はそれほどでもない。Sさんも健康保険の範囲内で治療が受けられたので、かかった治療費は驚くような金額ではなかった。下世話な話だが、610万円から必要な治療費を差し引いても、かなりの金額が手元に残った。

 私がSさんなら、どうするだろう。普通なら、これからに備えて大事に貯金するのではないか(Sさんは、自暴自棄になるような人ではないので、無駄遣いは絶対にしないと思った)。しかし、Sさんはそうしなかった。私が想像もしないことにお金を使ったのだ。

 まず、趣味である高級腕時計を買った。1ヶ数百万円するものらしい。さらに、親しい友人がいるベルギーに行くにあたって、エコノミークラスではなくビジネスクラスを使った。そのほかにも、国内旅行やおいしい食事といった、自分の世界を広げるためにお金を使ったのだ。Sさんは、がんになっても家にこもらず、旅行や食事に出かけて、友人を増やすために時間を使った。保険金はそのための投資だと考えたのだ。

 「なるほど、これがお金を活かすということか。」と感服した。「恐れ入りました」という感じだ。保険金は治療費にあてるといういままでの考え方が吹っ飛んだ。治療費というのは、体のケアをするために必要なお金である。大きな病気になれば、絶対に必要となる。ここまでは誰でも考える。ところが、大きな病気をしたときは、それだけでは足りない。「心のケア」が必要になる。そのために何をすればよいのか、ということについて、注意を払う人はほとんどいない。

 病気や大きな事故に遭遇したとき、精神的なケアが必要だということは、誰でも理解している。しかし、精神的なケアをするために、時間とお金が必要だということにまでは、なかなか気づかない。本来なら、心のケアのほうがより重要なのかも知れないのに。「保険は治療費に使う」という、それまでの常識が狭いみかただったということに、改めて気づかされた。

 私がお客様あてに発行しているニュースレターの中で、Sさんは次のように語っている。

 「病気のときに本当に必要なのは、お金ではありません。どうしても後ろ向きになりがちな気持ちを後押ししてくれる、人と人との”つながり”です。私がいまの保険に入っていてよかったと思えるのは、”つながり”が感じられるからです。いまテレビで宣伝しているような通信販売の保険では、たぶんこういう満足感は得られないと思います。山口さんをはじめとして、保険を扱う人たちは、病気になった人の気持ちを理解しながら、お客様との”つながり”を深めていってもらいたいです。」

 病気になった人、病気と真剣に向き合った人にしか語れない言葉だと思う。幸い、私は大きな病気をしたことがない。だから、Sさんの気持ちが、正直なところ、よくわからない。私にできることといえば、実際に病気になった人の話をよく聞き、その気持ちに応えられるよう力を尽くすことだ。どこかで完成するというものではない。この仕事を続ける限り、ずっと答えを探し続けることになるのだろう。

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2008年1月15日 (火)

がんとお金の新しい関係7

 Sさんのがんは、私がいままで聞いたことがないものだった。副鼻腔(鼻のまわりにある空洞)というところに、がん細胞が見つかったのだ。副鼻腔とは、俗に蓄膿(ちくのう)と呼ばれている。日本人では副鼻腔がんになる人は珍しくなく、木材や金属の細かい粉を日常的に吸い込んでいる人によく見られるとのこと(メルクマニュアル家庭版より)。

→ http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec19/ch223/ch223c.html

 治療としては、「外科的手術」と「放射線」という選択肢がある。Sさんの場合、患部が脳に近いため、傷つけてはいけないということを理由に、放射線治療を行うことになった。月曜から金曜日までの週5日、毎日通院して放射線をあびる。それを1ヶ月続ける。はたから見ていても、かなりきつい治療だ。顔はやけどしたようになるし、体力的にもかなり負担がかかったようだ。ただ、このとき行われた一連の治療を通して、Sさんは入院は1日もしなかった(しばらくして、抗がん剤治療のために入院することになるが)。

 Sさんは、いくら保険金を受け取ることができたのだろうか。前回紹介した保障内容をもう一度確認しておこう。

①生前給付保険(65歳まで)500万円
②医療保険(65歳まで)入院日額1万円+特定疾病保険100万円

 ①の保険金を受け取るための条件は、「がんと診断されること」なので、Sさんに当てはまる。②の特定疾病保険も同様の条件なので、これも当てはまる。②の医療保険は「入院・手術」が条件なので、Sさんには当てはまらない。入院は1日もしていないし、外科的手術も受けていない。ただし、放射線を5,000ラド以上あびたときは「手術」とみなすことになっているので、この治療が手術に当てはまることになった。Sさんが受け取った保険金をまとめると、次のようになる。

「生前給付金 600万円」(①500万円+②100万円)
「手術給付金 10万円」(②の医療保険より)

合計610万円

 入院や手術をメインに保障する「医療保険」や「がん保険」であれば、保険金はかなり少なかったはずだ。なぜなら、Sさんはまったく入院していないからだ。「医療保険」や「がん保険」には、退院したときに保険金がもらえるタイプのものもあるが、これも入院しないともらえない。もらえるとしたら、放射線治療が「手術」とみなされた金額だけということになる。

 Sさんがどのくらい放射線をあびたのかを正確には覚えていないが、5,000ラドを少し超えるぐらいだったと思う。1ヶ月間のうち20日以上放射線をあびて、やっと「手術」となるわけだ。このときもらえる保険金は、入院日額の10倍となる。Sさんの場合、入院日額1万円の医療保険に加入していたので、10万円の手術給付金をもらうことができた。

 手術給付金は、手術の種類によって、入院日額の10倍、20倍、40倍という3種類がある。たとえば、がんに対して外科的手術を行ったときは、40倍の手術給付金がもらえる。盲腸(虫垂炎)の治療が10倍だ。ということは、体に負担のある放射線をあびても、保険上は、盲腸と同程度にしか扱ってくれないことになる。

 保険というのは契約という決まりごとなので、文句はいえない。それでも、SさんやSさんと同じ病気で苦労した人たちのことを思うと、素直に納得はできない。がんに対する一般的なイメージをもとに、「入院や手術」に重点を置いた保険に加入していると、このようにポッカリと空いた穴に落ちてしまうことがある。

 とにもかくにも、Sさんにはまとまった保険金を渡すことができた。

 「ホッとした」というのが、正直な気持ちだ。

 
いまでも、そう思っている。従来型の保険を薦めていたら、10万円しか保険金を渡すことができなかった。Sさんといまでも笑ってつきあえる関係ではいられなかっただろう。それを思うと、生命保険の仕事はこわい。きっと天国にいるEさんが、自分の身をもって私に保障のあり方を教えてくれたのだろう。その力を借りて、Sさんにわずかながらの支えを提供することができた。

 Eさんには、本当に感謝している。

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2008年1月14日 (月)

がんとお金の新しい関係6

 Sさんと初めて会ったのは、2000年5月のことだ。高校時代の同級生が、会社の同僚であるSさんを紹介してくれた。Sさんはお金について整理をしていて、生命保険についてもきちんと考えたいとのことだった。会社近くのレストランで、ランチをとりながら話をした。

 Sさんのお父さまはがんで亡くなり、お兄さんにもがんが見つかったとのこと。いまのところ健康だが、もしがんになったときに親戚の迷惑にはなりたくないので、それに対応するような保険を提案して欲しいとのリクエストがあった。Sさんの希望が明確だったので、次にお会いするときに保険プランを提案しましょうということで別れた。

 その当時、がんに対する保障をどのようにしたらよいかについて、疑問を感じていた。ちょうどEさん(前回紹介)のことがあったので、「入院」や「手術」に重点を置く保険が本当に有効なのか決めかねていた。そんなときに、「がん」に対する保障が欲しいというSさんが現れて、私は「がんに対する有効な保障」について考えざるを得なくなった。

 ない頭をしぼり、Sさんには以下の提案をすることにした。

①生前給付保険(65歳まで)500万円
②医療保険(65歳まで)入院日額1万円+特定疾病保険100万円

①は「がん・急性心筋梗塞・脳卒中」(三大疾病という、日本人の死因の上位を占める病気)と診断されたときに、一時金として500万円が受け取れるタイプの保険、②は入院1日あたり1万円に加えて、三大疾病と診断されると100万円の一時金が受け取れるタイプの保険である。

 がんを保障する保険というと、「がん保険」をイメージする人が多いだろうが、「がん保険」は提案しなかった。「がん保険」は入院や手術をメインで保障する保険だ。前回述べたように、治療方法によって、保険金の出る出ないが決まるのはフェアではない。だから、治療方法に関係なく、がんと診断されたら保険金がもらえるタイプの保険を提案したというわけだ。

 がんと診断されると、①から500万円、②から100万円の一時金が受け取れる。①と②に分けた理由は、①の保険は初期がんの一部(上皮内がん)を保障しないケースがあるので、それを保障する②の保険が必要と考えたからだった。入院や手術については、がん以外にも広くカバーする医療保険で対応することにした。

 いろいろな知恵を出した結果、まとまったプランだった。いまから8年前の提案にしては、少し変わっているかもしれない。まだまだ従来型の「がん保険」が主流の時代だった。自分なりに一生懸命つくったプランだった。

 Sさんにこのプランを説明すると、私が10分ほど話したところで、Sさんは「うん。これでいいです。」と言ってくれた。即決だった。10分でOKをもらったのは、私が営業をしていて最短記録だ。ちなみにこの記録は、まだ破られていない(笑)。Sさんが必要としていた保険に、私の提案がピッタリ合ったのだろう。

 保険の契約後、Sさんと会う機会は少なくなった。それでも、手続きのことに関して質問を受けたりするなどして、連絡を取り合っていた。初めて会ってから2年ほどが過ぎたころ、Sさんから「いま病院で検査をしてもらっているんです。」という話を聞いた。ちらっと頭をかすめたことがあったが、あまり気にもとめなかった。

 数日後、Sさんから連絡があり、食事に誘われた。そこで初めて、検査の結果が出て、「がん」と告知されたことを聞いた。Sさんは淡々と話してくれたが、ひとりになるととても冷静に考えられないので、話し相手が欲しいとのことだった。保険に加入してから2年も経っていない。こんなに早く、そのときが来るとは思わなかった。

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2008年1月13日 (日)

がんとお金の新しい関係5

 生命保険を長く続けていると、お客様の病気や死は避けられない。私のお客様のうち、11名のかたが「がん」と向き合うことになった。残念なことに、そのうち2名のかたはお亡くなりになった。ひとりは、29歳の若いCさん(女性、大腸がん)。もうひとりは40台前半のDさん(女性、子宮がん)。どちらもお子さんを残して先立った。

 お二人に対して私ができたことは、ほとんどない。Cさんが加入していた生命保険は、入院日額5000円の医療保険だった。ご本人が「わたしはまだ若いから、大きな保険には入らなくていいわ。」とおっしゃったので、そのような内容になった。結局、大腸がんの手術や入院に対して約40万円の給付金と、死亡保険金50万円しかお渡しすることができなかった。Dさんの場合もほぼ同様で、生命保険が役に立ったとは、とてもいえない結果だった。

 「結局、生命保険でできることなど限られている」というのが、私の実感だ。私の立場でこんなことを言うのはまずいのかもしれないが、本当の気持ちだからしかたない。CさんやDさんの結果を事前に予測できるのであれば、もっと保険に入ってもらうこともできただろう。その保険金を使って、治療その他に役立てることもできただろう。しかし、そんなことを考えてみても、あまり意味はない。私は神様ではない。将来が正確に予測できる人などいない。そもそも、将来がはっきりとわかるのであれば、保険というしくみそのものが成り立たない。先が見えないから、保険というしくみがあるのだから。
 
 たしかに生命保険にできることは限られている。しかし、生命保険がまったく必要ないというわけでもない。将来に起こるかもしれないダメージを減らすために、いま生命保険に加入しておくというのは、賢い選択だと思う。問題は、誰に対してもあてはまる答えはないことだ。人により、時代により、答えは変化する。そして答えを出したとしても、将来どのように判断されるかわからない。なかなか難しい仕事だ。でも、そこで逃げてはいけない。私にできることは限られているが、その範囲の中で、ものごとをあいまいにせず、自分なりに決着を出していくことが、私の責任だと思っている。だから、こうして「がん」という、どこかつかみどころのないテーマに対して、こだわっている。

 前置きが長くなってしまった。ここからは、「がん」に関連して「起きる可能性が高いことなのに、意外と見過ごされていること」をテーマに考えてみることにしよう。

 このことを初めて考えたのは、いまから8年前の2000年の頃だった。生命保険の仕事を始めてから、4年が経過していた。考えるきっかけは、”Eさん”だった。Eさんは私のお客さまではない。妻が小学校の役員をしていたときに知り合った娘の同級生のお母さんだ。Eさんと妻は気が合ったようで、役員の任期が終わってからも、親しくつきあっていた。私も運動会のときにご挨拶をさせてもらい、感じの良い人だな、と好感を持っていた。たまに自宅にFAXを送ってくれるのだが、そこに描かれたイラストが上手なうえに、ユーモラスだった。

 しばらくして、Eさんが「乳がん」と診断されたことを聞いた。地元のがんセンターで検査してもらったが、入院せず、在宅で療養するとのことだった。いま振り返ってみると、病状が進行しているため、病院としても手の施しようがなかったのだろう。その後、Eさんは妻と話をする機会もなく、ふたりのお嬢さんを残して先立ってしまった。

 誰かが病気になったとか、亡くなったという話を聞くと、仕事柄、「私ならどうする」と考える癖がついている。Eさんの早すぎる死についても、考えてみた。Eさんは、がんと診断されたにもかかわらず、入院も手術もしなかった。2000年当時に一般的な「がん保険」は、主に「入院」と「手術」を保障するものだったので、Eさんがこのような保険に入っていたとしても、保険金はもらえない。もらえるのは、死亡保険金だけだ(実際にどのような保険に加入していたのかはわからないが)。

 このことを知って、「”がん保険”には見過ごされているところがあるのではないか?」という疑問が涌いてきた。

 がんの治療というと、すぐに「手術」が頭に浮かぶ。そして、「手術」のために「入院」が必要だと考える。しかし、治療はそれだけには限られない。外科的な手術をせずに、放射線治療によって、患部のがん細胞をたたくという方法もある。放射線であれば、入院しなくても治療できる。放射線を用いれば、通常の生活を続けながら治療できるし、体への負担も少ない。患部を手術で切り取ってしまうという選択肢と、放射線を使うという選択肢があって、どちらも同程度の効果であれば、放射線治療を選ぶという選択も十分に考えられる。

 しかし、加入している「がん保険」が、「入院」と「手術」だけを保障しているとしたら、どういうことになるだろう。手術をすれば保険金がもらえるのに、放射線治療をすると保険金はもらえない。どのような治療を選択するかによって、保険金の出方に違いがでてくることになる(注:放射線を一定量以上照射されると「手術」に該当し、手術給付金を受け取れる。ただし、その金額は外科的手術に比べるとかなり少ない)。

 これは不思議なことだ。自分にとってよい治療を選ぶと、保険金がもらえなくなってしまうというのだ。保険金を目的にして治療を選択するという人はいないとは思うが、正しいと思った治療法に対して保険金が出ないというのは、納得いかないだろう。どんな治療をしたかに関係なく、保険金は公平に支払われるべきだ。

 なぜこのようなことが起きるのか。それは従来の生命保険(ここでは「がん保険」)が、医療の実情に合わないものになっているからだ。がんの治療においては、まだ外科的手術が一般的だが、それ以外にも放射線治療や化学療法(抗がん剤)が広く使われるようになっている(3つの方法を併用することもある)。それに対して、生命保険ではまだ外科的手術中心で保険金を払うのが主流になっている。放射線治療が広く行われるようになってきているのに、それに対して生命保険はうまく対応できていない。

 これが「起きる可能性が高いことなのに、意外と見過ごされていること」だ。私たちは、がんというと「入院」「手術」にばかり目がいって、「入院しないで治療する」というみかたが欠けている。しかし、実際には放射線治療も一般的に行われるようになっている。私たちの意識と現実には大きなギャップがある、ということにほとんどの人は気づいていない。

 ここまで考えて、「さて、私はどうすればよいのか?」という問いかけが残った。問題点はわかったが、さて実際にどのように解決していけばよいのか、はっきりとした答えはなかった。そんな時、友人経由でひとりの人を紹介された。彼との出逢いが、この問いかけに対する答えを見つけるきっかけになる。

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2008年1月12日 (土)

がんとお金の新しい関係4

 前回は「再発したときにも保険金が出る”がん保険」について、私の経験と照らし合わせて、疑問に感じることをまとめてみた。念のために言っておきたいのだが、私はこのタイプの「がん保険」がいけないといっているわけではない。従来の「がん保険」に比べれば、より治療の実態に合っていると評価している。がんと診断されたときの〈診断給付金〉、入院したときの〈入院給付金〉、手術したときの〈手術給付金〉、入退院の後、通院したときの〈通院給付金〉というように、ひととおり保障内容が充実していて、よく考えれらた保険だと思う。

 私が問題にしているのは「再発・転移してもあんしんです」という表現だ。前回検討したように、きちんとした検査(PET検査)をすれば、すぐに再発・転移が見つかる可能性は非常に低い。がんに対してなんとなく怖いというイメージは、この「再発・転移」に対する不安なのだろう。しかし、いまの医療水準では、わからないうちに体のどこかで、がん細胞が知らないうちに増殖するということは、あまりない。PETとCTを使えば、それなりに大きくなったがん細胞はわかるからだ。血液を採取して、微量な物質を検査することで、目に見えないがん細胞の動きもある程度推測できるようになっている。

 この現実を踏まえた上で、この保険で2度目の診断給付金を受け取ることができるのは、どのような場合だろう。ひとつは、これまで治療していた場所と違うところに、がんが見つかったというケースだ。たとえば、最初に「胃がん」と診断されて治療していたが、別の場所、たとえば「前立腺」(男性に多い)にがんが見つかったいうような場合である。細胞を調べれば、どこの場所でできたがん細胞なのかはすぐにわかる。この例でいえば、「前立腺がん」の細胞が、「胃がん」の転移でなければ「再発」ということになるだろう。

 もうひとつ、病院が転移を見逃していた場合が考えられる。これは医者の能力が低いといった理由だけに限られない。病院の設備や治療体制が十分でないことによって、転移が見つからないということもある。父が手術をしたX病院のような治療であれば、十分に可能性はある。なにせ転移があるかどうか、ずっとわからなかった。父がこの保険に入っていたとして、X病院に通院し続けて、2年以上生きていれば、診断給付金がもらえたのかも知れない。ただ、実際には父はその後転院し、抗がん剤治療の効果が出たにもかかわらず、手術から約1年半でなくなった。もしX病院にいたら、おそらく半年~1年前に亡くなっていただろう。

 がんという病気の場合、できた場所や、がんが見つかった時期によって、事情は大きく異なる。したがって、あまり一般的なことは言えないと思う。そこで、私の保険のお客様でがんが見つかった人や、自分の父親の例を参考に判断するしかない。その限られた情報で判断する限り、上のふたつの例(「別の場所にがんが見つかった」「病院が転移を見逃した」)を原因として、診断給付金がもらえる確率はとても小さいのではないだろうか?

 確率が小さくてもゼロではないのだから、診断給付金が出るのは良いことではないかという意見もあるだろう。たしかに、そのような考え方もある。たとえ小さな確率でも、該当するケースであれば、保険金が出るというのはよいと思う。

 問題にしたいのは、「起こる可能性がかなり低いのに、それをさも重要かのように宣伝する姿勢」である。がんのことをよく知らない消費者が、「再発・転移してもあんしんです」というと、「それはいいな」と思ってしまうだろう。もちろん嘘ではないのだが、実際にはそのようなケースは非常に限られている。ずっと使わない機能を売り物にして、携帯電話を販売するようなものだ。そのときは、「この機能すごい!」と思って購入しても、あとでは「あれ?この機能って、どうやって使うんだっけ。」となるのがオチだ。

 保険会社は「確率」をもとに商売している実際に起こる「確率」と、そのことに対して一般消費者が持っているイメージとは、かならずしも同じではない。消費者の持つイメージが偏っているとき、それを利用して商売につなげようというのは、賛成できない。たとえば「がんの再発・転移」が見つかる確率はどのくらいなのであろうか?保険会社はどの程度の保険料(掛け金)を「再発・転移」のために見込んでいるのだろうか?この種の保険は「再発・転移」がキーワードになっているのだから、その点に関してはきちんと数字を出したほうがよいと思う。

 消費者は、その数字を知った上で、「再発・転移」も保障する保険が本当に必要だと判断すれば加入すればよい。「再発・転移」よりも、はじめてがんと診断されたときに診断給付金がもらえることを重視するなら、そのような保険に加入すればよい。保険会社はきちんとした情報をもとに、消費者に判断させるように努めるべきだ。なんでもかんでも保険に入れさせればよいという話ではないだろう。保険会社がまともなセールスをすれば、消費者ともよい関係が築いていけるはずだ。

 以上、「再発したときにも保険金が出る”がん保険”」を取り上げてきた。「起きる確率が低いことをかなり大げさに扱っている」というのが、私の印象だ。この保険のことを知ったとき、どこかで父の声が聞こえた。「がんと闘う人に、正しい情報、本当に役立つ情報を伝えていきなさい。」と。

 はい。まだまだ力不足ですが、がんばります。

 次回はこれとは逆の現象を扱う。「起きる可能性が高いことなのに、意外と見過ごされていること」だ。がんに関して見過ごされていることとは、いったいどんなことなのだろう。

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2008年1月11日 (金)

がんとお金の新しい関係3

「がんと診断されたら、まず転移をPET検査で確認すること」

 父が「がん」になったことをきっかけに、私はそのことを初めて知った。それとともに、もうひとつ重要なことも学んだ。それは、「がんはできた場所が違うと、別の病気だ」ということである。当たり前のことかも知れないが、知らない人も多いと思うので(実際、私は知らなかった)、念のため説明しておきたい。

 父の場合、もともとのがん細胞は「胃」で発生し、それが血液を通して、肺などに転移した。素人の頭で考えると、肺に転移したから「肺がん」だと考えてしまうが、そうではない。「肺」にがん細胞があっても、もともとの原因は「胃」にあるのだから、「胃がん」の治療法を採用する。担当医の先生に、「肺にがんがあるから、肺がんではないのですか?」とバカな質問をしてしまったが、先生はやさしく「そうではないんですよ。」と答えてくれた。優しい先生でよかった。

 このことがなぜ重要なのかというと、がんの場合、最初にできた場所が違うと、治療法も異なるからだ。もともと「肺」にがんができたとすると、「肺がん」の治療を行うことになる。しかし、肺に転移した場合は、がん細胞が肺にあっても、「胃がん」の治療を行う。この点が、一般人にはなかなか理解できないところかも知れない。父の場合、胃がんの治療に用いる抗がん剤「TS-1」を服用することで、肺のがんを小さくすることができた。

 ここまで「がん」についての基本的な知識について、少し長めに説明してきた。
私が学んだことをもう一度まとめておくと、ポイントは次の2つになる。

1.がんと診断されたら、PET検査によって転移の有無を確認するは必須。
2.がんはできた場所が違うと、違う病気と考えたほうがよい


 ここまで理解してしていただいた上で、いよいよ「がん」と「お金」について考えてみることにしよう。最初に検討するのは「再発したときにも保険金が出る、”がん保険”」だ。

 生命保険の中でも、「がん保険」はポピュラーな商品になっている。掛け金が安い割りに保障が大きい点が評価されているのだろう。日本人が「がん」に対して、何ともいえぬ不安を抱いているという点も理由かも知れない。最近では、がんと診断されたときにまとまった保険金(診断給付金)が出るタイプの保険が主流になっている。従来は、はじめてがんと診断されたときに診断給付金が出るという保険が一般的だったが、特に損保子会社の生命保険会社では、「再発・転移した場合にも診断給付金が出る」タイプの「がん保険」を積極的に販売している。

 たしかに、診断給付金は何度でも出たほうが、保険に加入するものとしては嬉しい。そのイメージにひかれて、加入する人もいるようだ。先日、お会いしたお客様からも、そのような話を聞いた。でも、話を聞きながら、心の底から声が聞こえてきた。

「この保険は本当に役に立つのだろうか?」

 父を見てきた私からすると、どうも納得のいかない部分がある。そこで、この機会に、私が感じている疑問を整理することにしたい。(おことわり: 以下の文章は、特定の保険会社や商品を批判する意図はありません。いま得られる情報の中で、私が感じている疑問をまとめたものです。もし私の理解に誤りがあるとお考えの方は、遠慮なく指摘してください。)

 ここでは、東京日動海上あんしん生命が販売している「がん治療支援保険」を例にして、考えてみる。
ホームページ→ http://www.tmn-anshin.co.jp/goods/kojin/cancer/economy.html

 再発・転移に関しては、このような説明がある。

「特徴2 再発・転移してもあんしんです。」
「診断給付金は、何度でもお受取。」
「初めてがんと診断されたときはもちろん、その後の再発・転移、新たながんでも診断給付金を何度でもお受取いただきます。」
「ただし、2回目以降の診断給付金については、前回の診断給付金をお支払
いすることになった日から、2年以上経過している場合に限ります。」

 さらに、「診断給付金」の支払い事由の概要というところには、次のような記載がある。

「初めてがんと診断確定されたとき、また、いったん治癒した後、がんが再発したと診断確定されたときなど、回数に制限なく一時金としてお受取いただけます。」

「がんの診断確定は、病理組織学的所見(生検を含みます。)により日本の医師または歯科医師によってなされることが必要です。また、2回目以降の診断給付金については、前回の診断給付金をお支払いすることになった日から2年以上経過している場合に限ります。」


 この説明だけを読めば、「なるほど。再発のときも、転移したときも診断給付金がもらえるんだ。」と思ってしまうかも知れない。本当にそうなのだろうか?

 たとえば、転移について考えてみると、この説明が実際の医療現場とうまくかみあっていないことがわかる。いまは、PET検査を受ければ、がんと診断された時点で、転移はほぼ確実にわかるからだ。

 この保険に加入していた人(Bさん)が、はじめてがんと診断され、診断給付金をもらったと仮定してみよう。Bさんがその時点でPET検査を受ければ、転移があるかどうかわかってしまう。もし転移があるとすれば、転移したところを含めて、抗がん剤などの治療が行われる。もし抗がん剤が効いて、がん細胞がなくなってしまえば、一応治療は終わりになる。

 このケースだと、転移したことを理由に診断給付金をもらうことは、できないと思う。なぜなら、はじめてがんになったときに転移が判明して、その後治療が続いているからだ。Bさんが再び診断給付金をもらえるとしたら、別の場所でがんが見つかったとか、治療が終わってかなり長い時間を経過した後に、小さくなっていたがん細胞がまた大きくなってきたといった例に限られることになる。

 それでは、BさんがPET検査を受けなかったとしたらどうなるだろうか。がんが発生したところを手術で切って、とりあえず治療は終わりになる。転移しているかどうかについては、かならずしもはっきりしないという状況だ。この場合だと、はじめてがんと診断された後、2年が経過した時点で転移がみつかれば、診断給付金がもらえることになる。

 ここまで読んでおかしいと思ったなら、あなたは正しい。

 PET検査という、きちんとした検査を受けた人が診断給付金をもらえる可能性は、かなり低い。特殊なケースしかもらえないと思ったほうがよいだろう。一方、PET検査をしないで、経験的に転移があるかないかを判断しているような、ずさんな治療をしているほうが診断給付金がもらえる可能性が高い。「ずさん」という強い言葉を使ってしまったが、PET検査をしないで、すべての転移を発見するのは難しいという意味だ(PETだって100%確実ということはないだろうが)。

 これは、どう考えても理屈に合わない。この保険を設計した人たちは、「転移」についてあまり深く考えていないような気がする。少し前なら、「転移」が後になってわかったというようなこともあっただろうが、いまはすぐにわかるからだ。古い治療を前提にして、保険ができているような印象を受ける。

 もし仮に、そのことも知った上で、この保険を設計したとしたら、それは誇大広告にあたると思う。ほとんど保険金が支払われないようなケースを例にとって、さもよい内容の保険だと宣伝していることになるからだ。このような保険は、東京海上日動あんしん生命だけでなく、他の保険会社でも広く取り扱っている。ぜひ、私の疑問について見解を教えて欲しいものだ。

 私は保険会社を批判したいわけではない。最適な治療に役立つように、保険金が支払われるようになって欲しい。私が言いたいのはそれだけだ。レベルの低い医療行為をしたときのほうが保険金をもらいやすい、というのはどう考えてもおかしいのではないだろうか?病気になった人にとって重要なことは、保険金を多くもらうことではなく、最適な治療を受けることだと思うからだ。

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2008年1月10日 (木)

がんとお金の新しい関係2

担当医は、私たち家族3人(父母と私)の前にずらりと並べられた画像を示しながら、淡々と説明を続ける。PETの画像を見たことがある人ならご存知のことだろうが、がんが転移していると思われるところは黒く映る。医師の説明を聞かなくても、一目見るだけで、肺と下腹部に黒いものがあることがわかる。やはり、転移していたのだ。

患者を動揺させないためなのか、それとも職業柄、このような状況に慣れているからなのか、医者は転移があることもさらっと、ごく事務的に伝えただけだった。その説明を聞いた父がいったいどんな反応を見せるのか、注意深く見守っていたが、いつもと変わらず、神妙に話を聞いているだけだった。事の重大さがわかっていないのだろうか?いや、すでにある程度覚悟はしていたのだろう。

この時点で初めて、転移が確認された。
最初の手術から半年近い時間が流れていた。

つまり、6ヶ月近くの間、転移があるのかないのか、はっきりしないまま治療を続けてきたことになる。もし6ヶ月前の時点で、PET検査を受けていれば、そのときに転移が確認されただろう。もし、そうなら、胃を切ったということは、ほとんど意味がない。なぜなら、がん細胞はすでに胃の外に出て、全身に回っていたのだから。

がんという病気の場合、「転移しているのか、していないのか」はとても大きな問題だ。「転移のないがん」と「転移しているがん」とは、別の病気といっても間違いではないと思う(私は医療関係者ではないので、断定的なことはいえないが)。たとえば、胃がんの場合、転移がなければ、胃を切って、治療は終わりである。がん細胞が体からなくなってしまうのだから。しかし、転移があるとそういうわけにはいかない。転移したがん細胞を切ったとして、体内にはがん細胞が必ず残る。血液に乗ってしまっているからだ。

そこで「転移しているがん」については、抗がん剤治療(化学療法)が行われる。薬剤を使うことで、血液に含まれるがん細胞をたたいてしまおうという考え方だ。

父親の場合、手術をする前に、転移があることがわかってたとしたら、どうなっていただろう。これは想像でしかないが、おそらく胃を切ることはなかったと思う。切ったところで、がん細胞は全身に回っている。胃を切って満足に食べられなくなるより、胃を残したまま抗がん剤を服用するという選択になったのではないだろうか。そのほうが長く生きられたのかどうかについては、想像するしかない。しかし、そのことを除いても、通常とそれほど変わらない食事を取りながら、抗がん剤を使うことができるわけで、父にとっても楽な治療だったはずだ。

このように、がん治療に関していえば、「転移の有無」がその後に大きな影響を与える。それにもかかわらず、転移があるのかないのか、きちんと調べていないという実情がある(少なくとも、X病院では)。おそらく、日本の平均的な医療はこのレベルなのだと思う。言葉は悪いが、あてずっぽうで転移があるのかないのか判断されたのではたまらない。私がAさんのご主人のことを心配するのも(前回参照)、それが心配だからだ。

がんと診断されたとき、次にしなければいけないこと。
それは、転移を確認することだ。

たしかに、診断されたときは、本人も家族もショックだと思う。しかし、そこですぐに手術すると考えないほうがよい。それほど急いで手術しなければならない「がん」は多くはない。冷静になって、最もよい治療を受けることを考えたほうが、結局はうまくいく。
その病院にPETがなければ、PET検査を受けたい旨、主治医に相談するべきだ。まともな主治医であれば、必ずOKするだろう。逆にOKしないのであれば、病院を変えたほうがよいだろう。

「転移をまず確認すること」

これが、私が父の死から学んだことのひとつだ。
生命保険の仕事をしていると、お客様が「がん」になることもある。そんなとき、保険金を払う手続きに加えて、必ずPET検査を受けることを薦めている。父のようなことになって欲しくないからだ。転移がなければ安心できるし、転移があっても正しい治療を選択できる。

返す返すも残念なことは、私がもともとPETの存在を知っていたことだ。保険の仕事をしているので、このあたりには少し関心があった。ただ、私の知識は「全身にがんがあるかどうかをチェックするための機械」といった程度の認識にすぎなかった。転移を発見するために使えるとは、思いもよらなかった(転移の有無がそれほど重要だということも知らなかった)。

このときほど、「不完全な知識」をうらんだことはない。まったく知識がなかったら、後悔することもなかった。

あなたの周りの人が「がん」になったと聞いたら、必ずPET検査を薦めて欲しい。大都市であれば、必ず施設はある。地方でも大きな病院にいけば、検査を受けられるはずだ。せっかくの技術革新を使わない手はない(転移を調べる場合は、健康保険の適用が受けられる)。がんになる人が増えている現状からみて、これは21世紀の常識になるべきことだと心から思う。

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2008年1月 9日 (水)

がんとお金の新しい関係1

「がん」の話題になると、言葉が熱を帯びてしまう。

2006年3月に父を「胃がん」で亡くした。
そのときのことを思い出すと、何ともいえない想いがこみ上げてくる。

「がんに対する知識がもう少しあれば、父はまだ生きていたのかも知れない。」という気持ちと、「その時点でやれることはすべてやった。」という気持ちが錯綜する。

これから数回にわけて、「がん」について、私が見たり聞いたりしたこと、考えたことを紹介していきたい。そのことを通して、「がん」と「お金」の新しい関係が見えてくるはずだ。

さきほど母親から、母の友人であるAさんのご主人が「胃がん」のため、あさって11日に手術をするという話を聞いた。手術は、父親が手術を受けたのと同じ、地元では有名なX病院(総合病院)でおこなわれる。立会いのため、アメリカにいる息子さんも急遽、帰国するとのことだった。

がんは2cmほどの大きさで、胃をすべて摘出するらしい。まだ初期段階のように見えるが、転移があるかどうかについては、開腹しないとわからないと医者に言われたそうだ。

受話器ごしに母親の声を聞いていると、気持ちが高ぶってきた。

「また同じ間違いが起きる!」

とっさに、そう思ったからだ。

X病院の医師たちは、地域における総合病院として、日本における平均的な治療をしてくれる。ただ、父のことを思い出すと、その「平均的」ということに疑問を感じる。手術をする前にしておくべき、「大切なこと」がすっぽり抜け落ちていると思うからだ。

あなたの家族や友人が「がん」と診断されたとしたら、どのような気持ちになるだろう。おそらく冷静ではいられないはずだ。「がん」という言葉は、強い負のイメージを持っている。「がん、イコール死」と考える人も少なくない。何とか回復して欲しい、だから少しでも早く手術をして、がんを取り除いて欲しい、そう考えるのが人情だ。

わが家も例外ではなかった。「がん」と診断が下されてから、1週間たらずで手術ということになった。病理検査の結果が出ていないのに手術をするのは、不思議な感じがしたので、友人の医者にも聞いてみた。「わからないことがあったら、遠慮せずに聞いてみたほうがよい」と言われたので、その通りに、主治医のところにいって、疑問点をぶつけてみた。

主治医は私と同じくらい(40代前半)の年齢だろう。転移の可能性について、ハンドブックのようなものを取り出して説明してくれた。ハンドブックを示しながら説明されると、医者に自信がないのかと不安になる。しかし、当時は私も「がん」についてまったく知識がなく、手術も3日後に迫っていたので、「なるほど、そんなものか。医者が言うのだから間違いないだろう。」と考えて、手術を承諾したのだった。Aさんのご家族もきっと同じように考えたのだろう。

それが、大きな間違いだった。
手術を急いだことが、あとあと大きな後悔を残すことになる。

3日後の火曜日、X病院で手術が行われた。

4時間におよぶ手術により、父の胃はすべてなくなった。母親や姉とともに、切り取られた胃を見せてもらった。胃の外側も白くなっていて、主治医がいうには「もしかしたら、転移しているかも」とのことだった。父の胃を前にした主治医は、3日前の頼りない姿とは違い、自信に満ちていた。「切ることが外科医の生きがいなのか。」ちらっと、そんなことを考えた。

転移しているのかしていないのか、はっきりしたことがわからないまま、治療は進む。手術後しばらくしてから、抗がん剤の服用をすすめられる。TS-1という飲み薬だ。父はしばらく飲む努力をしたが、抗がん剤どころか、食事が思うように食べられない。結局、抗がん剤は体に合わないということで、様子をみようということになった。

手術から3ヶ月たっても、父は満足に食事もできない。退院後、外来で診察してもらうが、主治医が言うのは、「様子をみましょう」ばかり。何の治療もしていないのだから、よくなるはずがない。この時点で、病院を変えようということになった。

幸い、実家から1時間ほどのところに、「国立がんセンター東病院」(千葉県柏市)がある。そこで診察してもらうことにした。紹介状を書いてもらうために、父、母と一緒に主治医と話をした。あっけないくらい簡単に、主治医は紹介状を書いてくれた。もめそうになったときのために、知識武装をしていったのに、肩透かしをくった感じだ。彼も厄介払いができて、せいせいしているように見えた(その理由は、あとでわかるのだが)。そのとき、主治医からは「国立がんセンターでは、抗がん剤の治療はしませんよ。」という話を聞いた。

紹介状を手にした私たちは、翌日、国立がんセンターを訪ねる。父と母、そして私の3人で部屋に入ると、30歳代後半ぐらいの医師が丁寧に話を聞いてくれる。X病院では、これだけじっくり話を聞いてはくれなかった。経緯を説明すると、検査をすべてやりなおすことになった。X病院のカルテももらうことになった。

せっかくの機会なので、質問をしてみた。「国立がんセンターでは、抗がん剤の治療をしないとX病院で言われたのですが、本当ですか?」

「そんなことはありません。もちろん抗がん剤の治療はします」
彼はきっぱりと言った。

検査の結果、父親の腸が極端に狭くなっていて、小さな穴しか開いていない状態であることがわかった。これでは、食べられないのも無理はない。手術のときの縫合に問題があったのだろう。腸を拡張してもらうと、すぐに父親は食べられるようになった。これでひと安心。抗がん剤が飲めなかったのは、体に合わなかったからではなく、腸が狭くなっていたためだと思われる。X病院の適当さが、初めてわかった瞬間だった。とにかく、父が食事ができるようになり、ほっとした。

問題は、転移があるかどうかだ。

X病院では、開腹して転移があるかどうかを確認した(結局、転移があったのかなかったのか、はっきりしたことは告げられなかった)。これは、いまでも多くの病院で行われている判定方法だろう。

しかし、国立がんセンターなどのような大病院では、より正確に転移のあるなしを判断することができる。それはPET検査(ペット検査)だ。PET検査は、設備が高額なため、日本でも導入している医療機関はそれほど多くはない。

PET検査は、がん細胞が正常細胞に比べて3~8倍のブドウ糖を取り込む、という性質を利用して、全身のがん細胞を探し出すことができる。父のように、がんと診断された人は、転移を調べるために、健康保険の適用を受けて、検査を受けることができる。

いよいよPET検査の結果が伝えられる日が来た。

全身の写真をみながら、担当医が淡々と結果を説明してくれる。
その結果を知り、私たち3人は愕然とするのだった。

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2008年1月 8日 (火)

ノックイン・ファンドでノックアウト?

 1月8日づけの日本経済新聞のマーケット総合面に、《「ノックイン」に警戒感》という小さな記事が出ていた。記事としての扱いは小さいが、社会的な影響は大きいと思うので、少し詳しく解説したい。

 「ノックイン」とは、「ノックイン条項がついたリスク限定型ファンド」のこと。日経平均株価が一定価格を下回ると、ノックイン条項が発動し、元本割れの危険が発生する。代表的な商品として、三菱UFJ銀行で扱っている《三菱UFJ 償還条件付利回り積極追求型ファンド/ダブルバリア07-06 1年半判定》の商品内容を確認してみよう(この長い商品名は何とかしてほしい)。

 このファンドは、2007年の5月から6月にかけて募集されたものである。2007年6月8日・6月11日・6月12日・6月13日・6月14日の5日間の日経平均株価の平均値を「スタート株価」として設定する。このファンドのスタート株価は、17789円となる。

 2007年6月21日~2008年11月21日までの1年半の期間中に、日経平均株価の終値がスタート株価よりも20%下落しなければ、2008年12月8日に元本が返ってくる。その期間中、10,000円あたり590円程度の分配金を受け取ることができる(他にも細かい条件はついているが、本記事に関わる部分のみを取り上げている)。

 1年半の間、日経平均株価が20%以上下落さえしなければ、590円の分配をもらえるというのは、魅力的だ。1年当たりに換算すれば、年4%程度の利息に相当する。定期預金や個人向け国債よりもよっぽどよい。

 気になるところは、1年半の間に日経平均株価が20%下がるかどうかという点だ。この点は、販売する側の銀行(この商品では三菱UFJ)も、購入する側の消費者も甘くみていたようだ。たぶん、「20%下がることなんて、めったにありませんよ。」といった担当者の説明を聞いて、顧客は「そんなもんかな。やっぱり分配金は魅力だからな。」と自分を納得させて購入にいたったというのが真相だろう。純資産残高は、376億円もある。よく売ったものだ。

 ところが、甘く見ていたこの「ノックイン条項」が発動寸前になっている。例で取り上げた《三菱UFJ 償還条件付利回り積極追求型ファンド/ダブルバリア07-06 1年半判定》のスタート株価は17789円なので、ここから20%下落したときの価格は、14231円となる(ノックイン価格という)。昨日1月7日の日経平均株価終値は14500円なので、あと2%ちょっと株価が下がると、ノックイン価格にひっかかってしまうのだ。

 ノックインの条件を満たしてしまうと、元本は保証されず、日経平均に連動するインデックスファンドとして運用が継続される。購入した客は、値下がりした株式ファンドを受け取らざるをえない。ノックイン価格は、天国と地獄のさかいめだ。
 
 ノックイン条項が発動されても、2008年の5月26日または11月21日に、日経平均が17789円を超えていれば元本は確保される。ただ、現実的に考えれば、あと10ヶ月の間に株価が20%上昇するというのは望み薄だろう。14231円を切った時点で、元本割れは事実上確定することになる(しかも20%以上下落している可能性が高い)。

 このファンドを購入した人、またこのファンドを販売した担当者は気が気でない。といっても、両者ともどうすることもできない。途中でやめることはできないしくみになっているからだ。あとは運を天に任せて、株価の回復を祈るぐらいしかない。

 仮にノックイン価格を下回るような事態になれば、大きな問題になるだろう。少し前にあった「EB債」と同じような問題だ。しかも、今回の商品はメガバンクが販売している。高い分配金をえさにして、大損をしてしまうような商品を、大手銀行が販売していたということになると、社会的批判を受けるのは当然だと思う。マスコミも、ぜひメスを入れて欲しい。

 このような事態がいつか起きるだろうということは、容易に想像できた。1年以上前に、ある銀行の担当者から、この商品についてどのように販売したらよいかと相談を受けたことがある「どんなことがあっても、販売してはいけない!」というのが、私の答えだった。おかげで、その担当者は株価について心配することなく過ごしている。もちろん顧客に迷惑をかけてもいない(当時、上司からは嫌味をいわれたようだが)。

 そもそも、1年半の間に株価が20%以上下落する確率はどのくらいなのだろう。このことを考えるためには、少し知識が必要だ。細かいことは、これからブログで紹介していくことにしたいが、頭の中でちょっと計算すると、おそらく15%程度という答えが出てくる。つまり、6回~7回に1回はノックイン条項が発動するということだ。販売している銀行の立場から見れば、同じ商品を6回~7回販売すると、そのうち1回は顧客に元本割れさせることになる。元本割れさせたときの批判を考えると、銀行にとっては、かなりリスクの高い商品だ。銀行は、この確率を知っていたのだろうか?

 もし知ってたなら、私ならこんな商品を販売はしない。短期的な利益よりも、長期的な信頼感を維持していったほうが、銀行のためになると思う。顧客には、きちんとリスクを説明して、一般的な株式投資信託を販売すれば済む。一般的な投資信託であれば、値下がりしたときは途中でやめることもできる。ノックイン価格について、変な心配をすることもない。

 ただ、銀行ばかりを責めるものフェアではないのかも知れない。「損をするのは嫌だ。でも人並み以上に儲けたい」という、矛盾した気持ちが購入する人の側にもあるから、このような商品が生まれてくる。この点からみれば、消費者にも問題はある。

 結局、すべては確率に基づいているということだ。うまい話に見えても、そこには確率に基づく計算がある。確率を計算する最低限の知恵を持っていないと、思わぬ損をする、ということを知るには、よい題材だと思う。今後の教訓とするために、一度ノックアウトされて、話題になったほうがよいのかもしれない。 

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2008年1月 6日 (日)

コンビニ化する銀行(後編の後編)

 このシリーズの最終回として、消費者としての私たちが「巨人化」する銀行とどのようにつきあっていけばよいのかについて検討してみよう。私たちがいまできることとしては、次の3つが考えられる。

1.記録をとっておく
2.個人情報を分散する
3.勉強する

〈1.記録をとっておく〉

 2007年10月から金融商品取引法が施行されたことにより、銀行が投資信託や変額年金を販売するときには、リスクについて詳細な説明が要求されることになった。消費者保護が強化されたという点では、よいことだと思う(説明が長すぎるという問題もあるようだが)。ただ、これで問題がなくなるわけではない。これからも金融商品はどんどん複雑化していく。知識や経験のない顧客が、リスクについてよく理解しないまま金融商品を購入し、おもわぬ損失をこうむることも十分に考えられる。
 
 そこで、自己防衛のために、金融機関とのやりとりを記録することをお薦めしたい。金融機関で準備されている書類は金融機関に有利にできているので、何かトラブルが発生したときに、証拠が書類だけというのでは心もとない。できれば担当者とのやりとりは、すべて録音しておくべきだろう。最近ではICレコーダーやデジカメなどを使って、簡単に録音ができる。金融機関の側としても、後々のことを考えれば、録音をしてもらったほうがよいはずだ。もし録音をすることを拒否するような金融機関なら、取引はしないほうがよい。金融庁に連絡してもよいだろう。

 先日、「定期預金が満期になるので、どうしたらよいか」と母親から相談された。そこで、その銀行(ある地銀)の窓口で「個人向け国債」を購入したらどうかとアドバイスした。母親は、担当者からこんなことを言われたそうだ。

①「個人向け国債は2年と5年がある」
→ これは大間違い(正解は5年と10年。

②「国の財政が悪化すると、金利が払われなかったり、元本が帰ってこないこともある」
→ 国の財政が悪化する前に、あなたの銀行がつぶれますよ(笑)。

 すべての銀行がこのレベルではないだろうが、情けない話だ。こんな人たちが投資信託や変額年金を販売しているんですよ(こわい)。

 話を戻そう。銀行員だからといって全面的に信用してはいけない。必要以上に人を疑うのはあまり感心しないが、大切なお金のことなので、慎重にいきたいものだ。証拠として録音をしておくというのは、十分に理由のある行為だと思う。

〈2.個人情報を分散する〉

 預金をひとつの銀行に集中させてしまうと、その銀行にあなたの個人情報を握られることになる。使い勝手は悪くなってしまうが、預金はいくつかの銀行に分けることをお薦めする。特に預金残高が大きい人は、必ず実行したほうがよい。すでに述べたように、銀行は預金高の大きな顧客中心に、投資信託や変額年金のセールスをしかけている。その手のセールスにつきあっても、自分のためになる提案というのはほとんどないものだ。基本的には銀行にとって儲かる商品を薦められるだけの話である。そんなセールスをされないためにも、預金はいくつかの金融機関に分けて置くべきだろう。インターネット銀行やインターネット証券を活用するというのも一案だ。

 ただ、あまり分散しすぎると、使い勝手が悪くなってしまう。入出金を頻繁に行う口座は、インターネット取引を活用するなどして、手間をかけない工夫をすべきだろう。

 本来であれば、ひとつの銀行にしぼったほうが使い勝手がよくなるはずである。しかし、現状ではそれがサービスの向上につながるとは必ずしもいえない。せいぜいコンビニATMの手数料が無料になったり、振り込み手数料が安くなるといった特典ぐらいのものだろう。そのような小手先のサービスではなく、銀行が本当の意味でのコンサルティングができるようになれば、安心してひとつの銀行に預金を集約することができるだろう。

〈3.勉強する〉

 「勉強」は月並みだが、もっとも強力な対策だ。自分が勉強することにまさるものはない。ただ、「勉強」とひとことで言っても、どこから始めたらよいのか、イメージがわかない人が多いと思う。個人の場合は次の3つをおさえておけば、とりあえず十分ではないかと思う。

① 社会保障制度(年金・健康保険)と税金(所得税・住民税)
② 株式や債券に関する知識
③ 生命保険・損害保険に関する知識

 これをきちんと勉強するのは、骨が折れる。しかし、やるだけの価値はある。将来、より豊かに生活するためには、ある程度の知識は必要だ。自分で勉強をせずに、専門家の知恵を借りるというてもあるが、本当に信頼できる専門家をどうやって探せばよいのだろう。専門家が本当に優れているのかどうかを判断するためにも、知識はやはり必要になる。最終的には専門家の力を借りるにしても、勉強は必要だ。

 宣伝になってしまうが、①の年金については、ぜひ拙書『会社勤めでもできる余裕の年金づくり』(明日香出版社)を読んで欲しい。公的年金のしくみについて、類書とは違った形の説明がなされている。その他の分野については「FP技能士3級」FPとはファイナンシャルプランニングの略)のテキストを使って勉強してみてはどうだろう。テキストは2000円程度で入手することができる。内容に興味がもてるのであれば、受験して資格をとるのもよいかもしれない。私もこの夏ごろに、FP3級の問題集を出版する予定だ(また宣伝してしまった)。

 「FP技能士3級」の知識があれば、銀行員のいいなりになることも少なくなることだろう。本来なら、社会人になる前か、もしくは社会人になった直後に、この種の教育がなされるべきだと思う。私は32歳のときに、ファイナンシャルプランナーの資格を取ったが、もっと早くとっていたらよかったな、と後悔した。それでも、勉強するのに遅いということはない。必要性に気づいたら、いまからでも勉強して欲しい。

 以上、個人でできる3つの対策を考えてみた。どれも地味な方法だと思う。しかし、これでも十分な自己防衛になるはずだ。銀行が本当のコンサルティングに目覚めるまで、手間と金をかけて、勉強し続けていこう。

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2008年1月 5日 (土)

コンビニ化する銀行(後編の前編)

 前回は、銀行のコンビニ化が消費者に与える影響について考えてみた。もう一度まとめておこう。

〈よい影響〉
・ワンストップで主要な金融商品を購入することができる。
・ニーズにマッチした商品選択ができるようになる。

〈悪い影響〉
・金融取引に関しての消費者と銀行のパワーバランスが崩れ、銀行にとって圧倒的に有利な状況が生まれる。

 さて、実際にはどのような展開になるのだろうか?予想をする前に、個人的な希望を述べておきたい。

 私としては、もちろん〈よい影響〉がでて欲しい。なぜなら、金融の総合サービスを提供する窓口が、現在の日本にはほとんどないからだ。消費者ひとりひとりが抱える問題は、総合的に解決することが望ましい。しかし、銀行、証券、保険というように金融業界が縦割りになっていると、それぞれの立場で解決しようとしてしまう。私のように生命保険の業界が長いと、資産運用の相談をしにきた顧客に、生命保険でお金を増やす提案をすることになる。本当は投資信託や不動産を活用したほうがよいかもしれないのに。

 消費者が最適な解決策を求めようと思って、それに答えてくれるコンサルタントを見つけることはほとんど不可能だ。ファイナンシャル・プランナー(FP)がコンサルタントにあたるという意見もあるかもしれないが、税理士や社会保険労務士などと兼業している場合を除いて、コンサルティングフィーだけで食っているFPは、ほとんどいないと思う。自分のお金について総合的に相談したいと思っても、適切な相談相手が見つからない、というのが日本の現状だ。だから、コンビニ化するのをきっかけに、銀行にはぜひ総合的な金融サービスを提供してもらいたい。

 ただ、私は自分の希望がはかないものだということも知っている。一般個人に対して、銀行が本当の意味のコンサルティングサービスを提供することはないだろう。 個人にコンサルティングサービスを提供する場合、必要となる前提条件がふたつあるが、銀行はその前提条件を満たすことができないと思うからだ。

ふたつの前提条件とは、「倫理観」と「システム」だ。

 「倫理観」とは、信頼関係に基づくもので、顧客のために不利益なことはしないという原則だ。金融に対する知識や経験が不足していることを利用して、有利な取引をしてはいけない。「言うはやすし、行うは難し」の代表例である(食品偽装の例を考えればわかる)。

 「システム」とは、儲けるためのしかけだ。多数の個人顧客から、効率よく利益を得るためのしかけがなければ、サービスを提供し続けることはできない。

 現在の銀行は、このふたつの前提条件をどの程度満たしているだろうか?

 「倫理観」についてはお話にならない。預金残高が多いという理由だけで、金融に詳しくない高齢者に投資信託や変額年金をセールスすることが、いまだに行われている(最近は、金融商品取引法の施行で少しスピードダウンしているようだが)。もともと銀行は、個人の客は客と思ってこなかったという歴史がある。遠い将来のことはわからないが、すぐに「倫理観」が身につくようになるとは、とても思えない。

 それでは「システム」のほうはどうだろうか。こちらもおそまつである。銀行のように個人情報を豊富に保有しているのであれば、一生のつきあいをすることで、顧客ひとりから大きな利益を得ることができる。ライフタイムバリュー(生涯価値)の考え方だ。学生時代の学費をローンで貸すことからはじまり、結婚資金、住宅資金(ローン)、こどもの教育資金、老後に備えた資産運用、リタイアメント後の生活設計アドバイス、などなどいくらでも儲けの種はある。しかし、銀行ではこのような長期的スタンスにたって収益をあげるという考え方に慣れていない。投資信託や変額年金を売り込んで、当面の手数料稼ぎにやっきになっているというのが正直なところだろう。この考え方がすぐに変わるとは思えない。いまの銀行には、顧客とじっくりつきあっているヒマはないのだ。

 「倫理観」と「システム」というふたつの前提条件が満たされていない以上、銀行に本格的なコンサルティングサービスを期待するのは難しそうだ。

 1998年12月に銀行が投資信託を開始したときも、本来ならいままでの証券会社とは違う形で、長期投資を薦めるという方向性もあったはず。しかし、銀行が実際に行われたことはといえば、それまで証券会社がやってきた営業方法をそのまま取り入れただけだった。銀行は預金残高を把握しているだけに、証券会社より効率よく営業活動ができる。その結果、投資信託販売の主役は銀行になった。それに伴って、人も証券会社から銀行に移ってきた。何のことはない。もと証券会社の社員が銀行で投資信託を売っているだけの話だ。保険の分野でも、これと同じことが起こると考えるのが自然なのではないだろうか。

 このように考えると、銀行は「短期的な利益の追求」に向かうことになる。彼らが抱える膨大な個人情報を活用して、あの手この手でさまざまな金融商品を販売することになるだろう。最初のうちは、人海戦術による営業活動が中心になりそうだ。しかし、時間がたてば、個人情報を詳細に分析し、効率のよいセールをしてくることになるだろう。現在の技術を使えば、かなりのことができる。
 先日読んだ『その数学が戦略を決める』(イアン・エアーズ著・文芸春秋)に、キャピタル・ワンというカード会社の例が出てくる。コンピューターアルゴリズムによって、あなたがこれから質問するより先に答えが準備されていたりするともいう(69ページ参照)。キャピタル・ワンの例は、これから金融機関がどのように個人情報を活用するかという未来を示しているともいえる。

 情報武装した銀行は、まさに「巨人」というのにふさわしい。私たち消費者は銀行という巨人とどのようにつきあっていけばよいのだろう。

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2008年1月 4日 (金)

コンビニ化する銀行(中編)

 預金、ローン、投資信託、保険といった主要な金融商品をすべて扱えるようになった銀行は、私たち消費者にどのような影響を与えるのだろうか?「よい影響」「悪い影響」のふたつに分けて考えてみることにする。

〈よい影響〉
 銀行の窓口にいけば、投資信託や保険も購入できるというのは便利。これまでは預金は銀行、投資信託は証券会社、保険は保険会社というように、いくつかの金融機関を使い分けなくてはならなかったが、その必要がなくなる。
 メリットはこれだけではない。ひとつの窓口でさまざまな金融商品を扱うことによって、これまで以上にニーズにマッチした商品選択ができるようになる可能性もある。

 ひとつの例を考えてみる。あなたは「相続」について相談したいと思っている。とりあえず取引のある銀行の窓口で相談してみる。従来であれば、たいした答えは期待できない。銀行では相続に有効な金融商品を扱っていないからだ。あなたが土地持ちの資産家だとしたら、ローンを組んでアパート経営を提案されるのが関の山だろう。

 ところが、これからはそうではなくなる。銀行では生命保険も扱っている。生命保険は、相続で大きな問題となる「納税資金」と「遺産分割」にもっとも効果的に対応してくれる。このように、銀行が取り扱う金融商品が増えることによって、よりニーズにあった解決策が期待できる。相続といった特別な案件でなくても、住宅ローンを組んでいる期間中の医療保険といった、誰にでも関係するようなことにもおおいに効果を発揮しそうだ。

〈悪い影響〉
 銀行が保険商品全般を扱えるようになった結果、金融業界における存在感はさらに高まった。証券会社や保険会社が扱っている商品は、10年前と大きく変わらない。しかし、銀行は違う。現在の銀行は、預金以外にも投資信託や個人年金といった金融商品も幅広く扱っている。他にもクレジットカード事業や消費者金融もかかえている。消費者相手の金融商品については、個別株やFX取引といった特殊なものを除いて、ほぼ網羅したといえる。証券会社や保険会社にくらべて、銀行(とくにメガバンク)は抜きん出た力を持つようになった。

 銀行の強みは、取り扱い商品にとどまらない。最大の強みは、膨大な「個人情報」だ。
あなたの氏名・年齢・住所はもちろんのこと、預金残高まで、銀行は知っている。現在、銀行が投資信託や個人年金の販売を拡大しているのも、預金残高の大きい顧客からアプローチしているからに他ならない。実際、ほとんどすべての銀行で、預金残高の多い客先を優先して、リスク商品(投資信託や変額年金)の販売を行っている。

 ほとんどすべての金融商品を扱う銀行が、膨大な個人情報を保有している。
これは何を意味するのだろうか?

 消費者とくらべて銀行のほうが圧倒的に有利な関係が生まれたということだ。預金残高だけではなく、入出金の記録からも、あなたの属性を予測することはできる。クレジットカードの情報もあるなら、鬼に金棒だ。インターネットの世界では、あなたが検索エンジンに入力したキーワードに応じて、広告が変わる。それと同じように、あなたの個人情報に基づいて、銀行はあなたに勧める商品を変える。そんなことが起こるのも、遠い先のことではなさそうだ。

 どんなことでも、「よい」「悪い」では割り切れない。銀行のコンビニ化によって、消費者には2つの影響が同時並行的に作用するはずだ。しかし、私はどちらかというと、「悪い影響」のほうが強く出ると考えている(続きは次回)。

 

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2007年12月29日 (土)

コンビニ化する銀行(前編)

12月22日から、銀行がすべての種類の保険を扱えるようになった。
いわゆる「銀行窓販(まどはん)」の全面解禁」だ。
これによって、銀行の窓口では、預金・住宅ローン・投資信託・生命保険・損害保険といった、ほとんどすべての金融商品を扱えることになる。

当面、銀行は生命保険、特に「死亡保険」や「医療保険」に力を入れると見られている。生命保険会社も、直販部隊を持つ会社は銀行への商品提供に対して慎重な構えをみせている。商品提供に積極的なのは、直販部隊が弱い外資系生保が中心になっているようだ。また、生命保険に関しては不払い問題の余韻が残っているので、各銀行ともそろりとスタートした。実際にはかなり大きな流れだが、予想以上に静かにスタートした。

だが、1998年12月もそうだった。銀行はひっそりと「投資信託」の販売を開始した。それから9年。投資信託残高のほぼ半分は銀行経由となった。生命保険でも、銀行はこれから時間をかけて勢力を伸ばしてくることだろう。

私は、この現象を「銀行のコンビニ化」と読んでいる。
→拙書《これでダメなら投資信託はもうやめなさい》(徳間書店)を参照。

コンビニが生活に必要な商品やサービスをひととおり扱うようになったように、銀行も金融商品をひととおり扱えるようになった。日本初のコンビニが誕生したのが、1974年。それから30年以上の時間をかけて、コンビニは日本の小売業の中でナンバーワンの地位を占めるようになった。さて、コンビニ化した銀行は、どのような道を歩むのだろうか。特に、私たち消費者にとって、どのような影響がでるのかについて考えてみようと思う。

(今日は時間がないので、続きは次回へ)

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2007年12月28日 (金)

生命の営みとマネーの関係

◆理科の選択

理科の選択は、「物理」と「化学」だった。

 もともと文系の大学に進学するつもりだったから、勉強のしやすさを考えると「生物」や「地学」を選択したほうがよかったのかも知れない。「物理」と「化学」を選択したおかげで、理系のクラスに入れられてしまった。どこの学校でも、文系クラスと理系クラスを比較すると、理系クラスのほうがよいというのが普通だろう。私の母校(開成高校)でも、例外ではなかった。開成ともなると、数学や物理なんて、ハンパじゃなくできるやつがいる。
 物理でわからないところがあったので、クラスで一番できる阪本君に教えてもらったことがある(彼はのちに東大の医学部に進学した)。彼は熱心に私に物理を教えてくれるのだが、彼が熱心になればなるほど、私の頭は混乱した。結局、わかないことはますますわからなくなってしまった!「優秀な人は別次元に住んでいる」と感じさせられた。

 数学や物理が得意だったわけでもないのに、物理と化学を選択したのにはふたつの理由がある。ひとつは、受験勉強に有利だからといって、安易な道を選ぶのが嫌だったからだ。要するに、”ガンコ”なのだ。もうひとつは、生物や地学はあとでいくらでも勉強できると思ったからだ。「物理や化学はいまやっておかないと、今後すすんで勉強することはないだろう。物質の基本を知るためには、この2科目をまずおさえておく必要がある。」と、生意気にも考えたのだった。
 あのときから四半世紀以上の時間が流れた。法学部の私が、すすんで理科の勉強をすることはなかった。貿易やコンビニ、生命保険の仕事に、理科は必要なかった。物理や化学だけでなく、生物や地学もすすんで勉強することはなかった。私が考えたことは、半分は当たっていたわけだ(物理と化学だけでなく、生物と地学も勉強しなかった)。

◆知りたくてたまらない

 ところが、44歳にもなると、いろいろなことが知りたくなってたまらない。残りの人生が少しずつ見えてきているからなのだろうか。知らないまま死んでしまうということが、何かもったいないような気がする。もちろん世界にあるすべてのことを知ることはできないが、少なくとも興味を持ったことについては勉強していこうという気持ちが強い。

 最近興味があるのは、人間のメカニズム、特に感情を生み出す脳のシステムだ。高校時代に生物を選択しなかったため、予備知識がないので、知ることすべてを新鮮に感じることができる。数日前に、《生物と無生物のあいだ》(福岡伸一著・講談社現代新書)を読んだ。分子生物学を専攻する著者が「生命とは何か?」という大きな問いに対して、答えを出している。さまざまな点で新鮮さを感じたが、私が印象に残ったのは、第11章の「内部の内部は外部である」という考え方だ。

 細部の内部で作られた消化酵素やホルモンが、細胞の外である消化管や血管にどのように送り出せるのか、ということに関連して論じられている。 細胞は、細胞膜というバリアーによって覆われているので、外部の物質は簡単には細胞内部に侵入することはできない。そのかわり、細胞内部の物質も簡単には、外部に出ることはできない。もし内部の物質が細胞膜を突き破ってしまったら、外部環境から一挙に雑多な物質が流入し、内部環境からは重要な物質が流出するので、生命の秩序は一瞬にして崩壊するからだ(以上、190ページの内容を私の責任で要約した)。

 ここで生命は賢い方法を採用する。消化酵素やホルモンを細胞の外に直接出すのではなく、まず細胞の中に外部を作ってしまうのだ。細胞内部に小胞体という区画を作って、その小胞体が消化酵素やホルモンを細胞の外まで運ぶ役割を果たす。自分の細胞の内部に、もうひとつ内部(小胞体)を作る。この「内部の内部」は、つまり「外部」というわけだ。これによって細胞が外部とダイレクトに接触することを防ぎ、安全に必要な物質を細胞外に運ぶことができる。

 こんなことは、高校で生物を選択した生徒であれば、誰でも知っていることなのだろう。私も「生物Ⅰ」は勉強したので、もしかしたら学校で習っていたかもしれない。しかし、この本で「小胞体」の存在と、「内部の内部は外部である」という考え方を知ったときは、心のそこから納得した。そして、生物というシステムが高度な戦略を持っていることに、感動した。私たちの体の中で、日々このような活動が行われていたとは!

◆お金への応用

「内部の内部は外部である」という考え方は、お金に関しても使える考え方だ。

 はじめて投資をするとき(例:株式や投資信託を買う)には、勇気が必要だ。儲かるかも知れないが損をする可能性もある。ひとつの資産に集中して投資をすると、その資産が値下がりしたときに、目も当てられない結果となる。そこで、多くの場合、「分散投資」がすすめられる。複数の資産に分けて投資することで、失敗したときに大きな損をこうむらないようにするためだ。

 この「分散投資」の考え方に基づいて、資産の組み合わせを作る。組み合わせる資産としては、「預金」「株式」「債券」「不動産」などが考えられる。自分の資産全体を眺めて、適切な組み合わせにすることが理想である。

 では、「理想的な組み合わせにするためには、株式に半分投資する必要があります。」とアドバイスされたら、あなたはそれに素直に従うことができるだろうか?このアドバイスにはもちろん根拠があり、あなたも頭では納得している。しかし、あなたはいままで定期預金にしかお金を預けたことがない。 おそらく、なかなか株式投資に踏み切ることはできないだろう。

 こんなとき、「内部の内部は外部である」という考え方が役に立つ。資産すべてを理想的にするのではなく、資産の一部を取り出して、その部分だけを理想的な組み合わせにしてみればよいのだ。1000万円の資産があるなら、そのうちの100万円をまず理想的な組み合わせにすればよい。
 資産に線を引いて、その部分から投資を始めるということは、細胞の内部に「小胞体」を作るようなイメージとなる。もし投資に失敗しても、全体に与えるダメージは少ない。成功すれば、全体に広げていけばよい。安全性の高いやり方だといえる。自分の資産の中に「実験室」を作っているようなものだ。

 退職金などのまとまったお金を手にすると、そのほとんどを投資にまわしている人がいる。これは危険極まりない。まずは「実験室」をつくるべきだ。そこでうまくいけば、その方法を進めていけばよいし、うまくいかないときは、一度立ち止まって考えればよい。私たちの体の中で細胞が採用している賢い方法を、私たちも活用してみようではないか。

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2007年12月27日 (木)

だましのテクニックから学ぶ

「朝三暮四」という言葉がある。

宋の狙公(そこう)が、飼っている猿にトチの実を与えるのに、朝に三つ、暮れに四つやると言うと猿が少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという故事から、《目先の違いに気をとられて、実際は同じであるのに気がつかないこと。また、うまい言葉や方法で人をだますこと。》を意味する(Yahoo辞書から引用)。

初めて聞いたのは、中学生のときだった。「漢文」の教科書に、「朝三暮四」の故事が載っていた。当時は「猿はだませても、人間はこんなことではだまされないぞ。なんでこの話がそんなに面白いのだろう。」と思っていた。橋本先生の熱心な説明とつまらなさとのギャップが妙に記憶に残っている。

たしかに、この程度のことで、人間をだませるはずがない。合計は7個で変わらない。こんな当たり前のことに気づかない人はいない。

と、誰でもが思うはず。
しかし、実はそうではなかった。
「朝三暮四」は深い意味をもった言葉だった。

「人はなぜだまされるのか?」という質問についての答えを見つけるためのヒントがそこに隠れている。そこで、「円天」という擬似通貨が話題になった、L&Gの詐欺疑惑について考えてみる。なぜ、彼らは5万人もの人から1000億円も資金を集めることができたのだろうか?

報道によると、L&G社に10万円以上を預け、会員になると、1年ごとに預けた金額と同額の円天を受け取ることができるとされている。受け取った円天は、円天市場で利用できる。つまり、「年利100%の金利が払われる」というのが誘い文句である。

これを聞いて、あやしいと思わない人はいないだろう。銀行にお金を預けても、利息は年に1%にもならないのに、その100倍以上が手に入るというのだから。何かウラがあると推理するのが、正常な人の心理だろう。

ところが、多くの人がこの手法にはまっていく。なぜなのだろう?

ポイントは、「すぐに現金を見せること」。
お金を払うと、すぐに金利がついて買い物できるようになる。L&Gでは「円天」という擬似通貨だったが、実際に買い物ができるわけなので現金と変わりない。現金を見せられると、いままで抱いていた不安がなくなり、信頼に変わる。いったん信用すると、安心して、さらにお金を払うことになる。そして、お金を集めるだけ集めて・・・・ドロン。だましの典型的なパターンだ。

人を信用させたいときは、まず最初に現金を見せる。これは鉄則だ。昔、貿易をやっていたとき、中国の業者には気をつけるように教えられた。最初の1~2回はきちんと信用状を開いてくる。しかし、3回目ともなると、契約額を大きくした上で、信用状なしの取引を要求する。相手を信用してOKすると、金を払わずドロン。どこでも似たようなものだ。

もちろん、この手法は詐欺に使われるばかりではない。正しく用いられれば、信頼関係に基づいた取引に発展する。金融期間でも、この手法は広く用いられている。

もと証券マンから、こんな話を聞いた。バブル華やかなりしころ、「転換社債」は、どんな会社のものでも、売り出し後すぐに値上がりするのが常だった。彼は得意客に転換社債を購入してもらい、売り出し後すぐに売却し、利益分を現金で届けた。当然、客は喜ぶ。さらに大きな金額で購入する。現金の力、おそるべし!(まあ、こんなことが長く続くわけもないのだが。バブルとはそういう時期だった。)

しかし、よく考えて欲しい。
現金を見せられても、見せられなくても、実態はまったく変わっていない。現金にしなくても、転換社債で利益がでていることには変わりない。「円天」で買い物できたとしても、銀行預金が増えたわけではない。得体の知れない「円天」が増えただけだ。

これは、まさに「朝三暮四」効果といえる。現金を見せられた人間は、「朝に四つ」と言われた猿と同じだ。この故事を残した人は、そのことを知っていたのだろうか。そうだとしたら、人間の心理を深く洞察している。44歳になるまで気づかなかった私が恥ずかしい。

このような例は他にもある。たとえば、「毎月分配型の投資信託」だ。毎月分配を正当化する専門かもいるが、収益が上がっていないのに毎月分配することに合理性はない。それでも毎月分配型の投資信託が売れるのは、「現金が見える」からだ。長期投資が有効であることは理屈上は正しいが、成果がすぐに見えないため、なかなか実感しにくい。しかし、毎月分配型であれば、買ったその月から分配金がもらえる。理屈がわからなくても、現金を見せられると、人は弱いのだ。

「毎月分配型の投資信託」は、本当によくできた商品だ。人の心理をよく理解している。ある意味では、「詐欺」の手法を応用している(言葉は悪いが)。人間は理屈だけでは動かないという証明でもある。理屈で説得できないだけに、これはなかなか手ごわい。分配金に意味がないことを、どうやってうまく説明すればよいのだろうか?喜んだ猿たちは、いつ土トチの実の数が変わっていないことに気づくのだろう。簡単そうに見えて、答えはなかなか出ない。

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2007年12月26日 (水)

投資信託を使いこなすための本(後編)

ここにひとつの事実があります。

「投資の世界では、初心者でもプロと同じ条件で競わなくてはいけない。」という事実です。
あなたが投資の世界に初めて足を踏み入れたとしても、手かげんはいっさいありません。初心者用の市場というものはないからです。初心者が投資を始めるということは、野球を一度もしたことがない人が、いきなりプロ野球の試合にでるようなものです。銀行や証券会社にすすめられるがままに、投資信託などの金融商品を買うということが、いかに大胆なことなのかがわかります。

もちろん悪いことばかりではありません。手かげんがないということは、初心者もプロも公平な条件で競い合っていることを意味します。初心者がプロに勝つということだって、現実に起こります。だから、「株で1億円」といったタイトルの本や雑誌が登場するわけです。投資の世界では、バットを振ったことがない人がプロ野球の試合に出場して、目をつぶってバットを振ったら、ホームランということもあるのです。

初心者がプロに勝つなんてことは、スポーツの世界では絶対にありません。しかし、投資の世界ではありうる話です。正直なところ、このことが話を複雑にしています。

スポーツの世界のように、「初心者はプロにはかなわない」ということであれば、話は簡単です。野球を始めたばかりのこどもは、いきなり松坂大輔のボールを打とうなどとは思いません。「小学5年生で150キロのボールを打つ方法」などという本が出ていても、誰も信じないでしょう。初心者がまずするべきことは、プロのマネをすることではなく、スポーツに必要な基本的な動きを学ぶことです。レベルが上がるにしたがって、より高度な動きをマスターして、最終的にはプロのレベルに近づくことができるのです。ただし、プロ野球選手になれるのは、ひと握りにすぎません。だからこそ、億単位の収入が得られるのです。

投資の世界でも、基本的ななりたちは、スポーツの場合とまったく同じです。誰もがプロと同じレベルの成果を出し続けられるわけではありません。ひと握りのプロだけが、成功を手にしているのが現実です。しかし、私たちは勘違いしてしまいます。自分もプロと同じように成功できるのではないかと。うまくやれば株式投資で1億円稼ぐこともできると考えてしまうのです。

だから、私たちは投資のプロが提供する情報に飛びつくことになります。成功したプロの方法をマネすれば、億万長者になれると考えるからです。たしかに、ぜったに億万長者にはなれない、というわけではありません。しかし、冷静に考えると、億万長者になる確率よりも、スッカラカンになる確率のほうがはるかに高そうです。なぜなら、プロのマネをするということは、「小学5年生で150キロのボールを打つ練習」をしているようなものだからです。どう考えても、無理だと思いませんか?

スポーツの例で考えればすぐにわかることです。なぜ投資になると、私たちは当たり前のことを考えられないようになってしまうのでしょうか?お金に対する欲望というのは、深いものなのですね。私たちの欲望にこたえるためにつくられた本や雑誌は、ほとんど例外なくプロが使う方法を紹介しています。これは初心者にはふさわしくない方法です。

私たちはどうすればよいのでしょうか?
投資をするのはあきらめないといけないのでしょうか?

もちろん、そんなことはありません。

スポーツの例で考えれば、答えは簡単です。野球をしている子どもたちのうち、ほとんどはプロ野球選手にはなれません。けれども、野球を続けているうちに、少しずつうまくなっていきます。プロ野球選手になれなくても、レベルの高い野球を楽しむことはできるのです。ちゃんとしたやりかたで練習を積み重ねれば、才能のあるなしにかかわらず、技術は上達します。

これは、投資でもまったく同じです。初心者には初心者にふさわしい方法があります。プロのように四六時中、投資のことを考えなくても、お金を増やすことはできるのです。これまで、投資に関する本や雑誌では、「初心者向けの方法」と「プロ向けの方法」が区別されていませんでした。プロの手法をマネすることが大前提だったので、初心者向けという方法が考えられていませんでした。

『これでダメなら投資信託はもうやめなさい』を執筆するにあたって、この問題をぜひ解決したいと思いました。誰にでもできる投資法を紹介したかったのです。

投資についての知識や経験もなく、投資に使う時間も限られている初心者が、いかに成果を出すかという本は、ほとんどありませんでした。あったとしても、理屈が先行していて、実際に使えるものではありませんでした。

本書では「変額年金(基本型)」という商品を使うことによって、初心者でも無理なく投資を始める方法を紹介しています。経験を積めば、レベルを上げることも可能です。生命保険の仕事を長く続けてきたからこそ、このアイディアがでてきました。本書の考え方は10年後、20年後にも有効なはずです。ぜひ活用してみてください。

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2007年12月 1日 (土)

投資信託を使いこなすための本(前編)

こんにちは。久しぶり(約4ヶ月ぶり)の更新です。
4ヶ月間の間に、本を2冊出しました。

Yoyuunenkin←1冊目はこれ。
『会社勤めでもできる余裕の年金づくり』(明日香出版社)

・「年金を知る」「資産運用を知る」「実際にやってみる」の3部構成になっています。
・「いくら年金をもらえるかが知りたい」「どのように資産運用していけばよいのかを知りたい」という人にオススメ。



Tokuma200711←最近発売になったのがこれ。

『これでダメなら投資信託はもうやめなさい』(徳間書店)

(内容の一部を紹介すると・・・)
・投資信託は商品選びから始めてはいけない。
・「雪だるま効果」で無理なくお金を増やす。
・「孝行息子」と「金の卵」というふたつの方法を活用する。

私はなぜこの本を出版しようとおもったのでしょうか?

それは、「普通の人が無理なく投資をはじめられるキッカケになる本を作りたかったから」です。
投資に関する本は、たくさんあります。うさんくさい本があることも事実ですが、ためになる本もあります。私もそのような本を読んで、勉強しています。
なかでも、バートン・マルキール氏の『ウォール街のランダム・ウォーカー』(日本経済新聞社)やラリー・E・スウェドロー氏の『ウォール街があなたに知られたくないこと』(ソフトバンクパブリッシング)などには大きな影響を受けました。

自分の資産を増やすためだけなら、このような優れた本のエッセンスを活用することだけで満足できたことでしょう。しかし、私はそれだけでは満足できませんでした。このような考え方をお客様に紹介して、実際に成果をあげてもらいたいと考えたのです。

このような考えが頭に浮かんでから、実際に確信が持てるようになるまでには、正直いって4~5年ぐらいかかりました。ときには全然違う方向を目指して進んでいたこともあります。しかし最近では、「これでいいんだ」という確信がもてるようになりました。

株式投資に関する理論はそれなりに体系づけられていて、実際に活用することも可能です。ただし、理論的に優れているからといって、実際に使いこなすとなると、話は別です。パソコンはすばらしい道具ですが、それだけではこれだけ普及しなかったことでしょう。インターネットの接続するだけでも、10年前は一苦労でした。いまなんかあっという間です。だからみんなが使うようになったのです。

株式や投資信託といった金融商品を、多くの人が使いこなせるなるためには、克服しなければいけない課題があります。具体的な課題として、次の3つのコストが考えられます。

①金銭的なコスト
②時間的なコスト
③精神的なコスト

・「金銭的なコスト」とは、金融商品を購入することにともなる手数料や税金などのことです(このコストには「目に見えるコスト」と「目に見えないコスト」があります)。
・「時間的なコスト」とは、「手間」のことです。ほったからしであれば、「手間はゼロ」ですが、普通はそういうわけにはいきません。
・「精神的なコスト」とは、ハラハラドキドキの感情です。株が値下がりしているときは、なかなか落ち着いてはいられません。

コストの詳しい内容は知りたい場合は、拙書『会社勤めでもできる余裕の年金づくり』120ページ以降を参照してください。

最近出版された「投資信託」に関する書籍では、おもに①の「金銭的なコスト」にフォーカスがあたっています。金融機関(とくに銀行)の手数料が高すぎるという事実が背景にあるのでしょう。できるだけ手数料の低い商品を買おうということで、インデックスファンドやETFへの投資が薦められることが多いようです。

この考え方は間違っているわけではありませんが、物事の一部しか見ていません。手数料が安い代わりに、自分で何でもやらなければならなくなり、確実に「手間」は増えます。②の「時間的なコスト」が重くなってきます。
また、コストの安いインデックスファンドやETFを買ったとしても、それが値下がりしないという保証はどこにもありません。自分が買った金融商品が大きく値下がりしたときに、落ち着いている人などあまりいません。特に投資の経験が浅い人はその傾向が強いのです。③の「精神的なコスト」が問題になってくるわけです。

このふたつの問題に対する明確な答えを私は聞いたことがありません。「精神的なコスト」に関していえば、「値下がりをしてもがまんすればいい」という主張はあります。でも、これは無責任です。値下がりを続けている商品を持ち続けるためには相当な精神力が必要です。本当にできるのでしょうか?途中で投げ出してしまうのが関の山ではないのでしょうか。できないことを薦めて、できない人が悪いんだ、という理屈には共感できません。

これまで読んだ書籍では、心理的な側面が軽視されていると感じました。お客様の「損をしたくない」という感情とケンカをしないで、どうやって投資をスタートしてもらうかについて、はっきりとした答えを出そうと思い、この本を書きました。もちろん机上の空論ではなく、数年の間にお客様にすすめてきた実績が裏付けにあります。

私個人は、資産運用を仕事としていたことはありません。金融業界といっても、生命保険の営業マンです。その一方で、私にはお客様ともっとも近いところにいる「実務家」の立場があります。実務家として、お客様に何ができるのか?「うまい話がありますよ」といった怪しい話ではなく、「値下がりすることがあっても、こうすれば大丈夫ですよ」と安心してもらえる話をするにはどうすればよいのか?
真面目に考えてたどりついた結論を紹介しています。

大手書店では店頭に出ているはずなので、興味があれば、ぜひ読んでみてください。

後編では、新刊『これでダメなら投資信託はもうやめなさい』に込めた、私の思いを紹介することにしましょう。

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2007年8月 2日 (木)

世界同時株安は「いつかきた道」

7月26日(木)にアメリカの株式相場が大幅に下落したことをきっかけに、アジアやヨーロッパにも株式を売る動きが広がり、世界同時株安の様相を呈してきました。今日(8月2日)の時点では、各市場ともやや落ち着きを取り戻した感がありますが、まだ予断を許さない状況が続いています。

今回の急落を受けて、運用会社は緊急レポートを出しています(相場が下がったときは、すぐレポートがきます)。私のところにも、4社からレポートが届きました。そのレポートをまとめてみると、世界同時株安の理由は以下の4点となります。

①アメリカにおいて、信用力の低い消費者向けの住宅ローン(サブプライムローン)のうち、かなりの額が返済されないだろうという懸念が広がった。
②リスクの高いLBO案件に関わっている金融機関に対する不安が拡大している。
③アメリカの住宅価格下落、それに伴う消費の減少に対する懸念が広がった。
④これまでの上昇に対する高値警戒感。

この理由をうけて、レポートでは以下のように結論づけています。

1.日欧アジアはもちろん、米国も経済指標や企業業績は良好で、サブプライムの問題はそれを悪化に転じさせるほどの影響を及ぼす問題ではない。
2.短期的な調整であり、市場はいずれ経済や企業業績の良好さを再認識し、上昇に転じると見込まれる。

もし、あなたがどこかの国の株や投資信託を持っていたとしたら、このレポートを見てほっとすることでしょう。自分の持っている資産の値段が下がっているときは、何か安心する材料が欲しいものです。心の底では、「もしかすると、もっと下がるのでは」と思わないわけではありませんが、占いと同じでできるだけ嫌な情報は無視しようとします。

しかし、少し考えてみればすぐ気づくことですが、運用会社が危機感をあおることはありません。自分達が扱っている株という商品の価値をおとしめるようなことを言えば、自分達の首を占めることになるからです。

1989年末にピークだった日本の株式市場が下がり始めたときの、運用会社のレポートをぜひ読みたいものです。おそらく今回のレポートと同じように、「この下落は一時的なもの」と書いてあることでしょう。株の世界だけに限りませんが、同じことは何度も繰り返されるものです。そして、過去の教訓に学ばない人たちが泣きをみることになります。

この世界同時株式がこれからどうなるかはわかりませんが、少なくとも運用会社のレポートや、能天気な株式評論家の言葉を鵜呑みにするのはやめましょう。何が上がり、何が下がるかを知っている人はいないのですから。いろいろなところに資産を分けて、一喜一憂しないことが大切です。

運用会社が出すレポートは、占いと同じように「気休め」程度に考えておきましょう。


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2007年7月23日 (月)

貴重な「紙切れ」

今日はみなさんに珍しいものをお見せしましょう。

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これがなんだかわかりますか?
知人の家に大切に保管されていたものです。

古いものですが、よく見ると次の内容が読み取れます。

大日本帝国政府
支那事変割引国庫債券

発行日: 昭和14年8月21日
償還期日: 昭和24年10月8日

そうです。戦時中に発行された「割引国債」です。
発行価格は「七圓」(7円)、償還価格は「拾圓」(10円)です。

つまり、約10年で7円が10円になるという国債でした。
とはいっても、戦争のどさくさにまぎれて、この国債は「紙切れ」になりました。
だから、記念として保存されているわけです。
(お金にしてもほとんど価値はありませんから・・・)

よく残しておいてくれたなと思います。
話には聞いていたけれど、実際にその「紙切れ」に出会うことができるとは。
感慨深いです。

現在の日本においても、国債の発行額は膨大な金額になっています。
国債の暴落を声高に叫び、「金」への投資を薦めるような本もあります。

たしかに、いまの日本の財政状態は健全ではありません。
けれども、ひとたび国債が暴落すれば、金融機関はひとたまりもありません。
こんなときには、どんな対策もほとんど意味がありません。
国債暴落を主張する人は、そのことがわかっているのでしょうか?

どんなことがあっても、国債の暴落は避けなければなりません。

私たちにできることは、きちんと政府を監視し、く財政健全化をはかるようにプレッシャーをかけることです。そのために必要な痛みであれば、我慢しなければなりません。参議院選挙できちんと投票することも、その第一歩です。

この「紙切れ」は私たちの教訓として、ずっと残しておくべきです。


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2007年7月20日 (金)

生命保険にニーズはあるのか?

いまから10年以上も前のことです。生命保険会社に転職するにあたって、「ニードセールス」という考え方を教えられました。「ニード」(need)とは、いわゆる「ニーズ」のこと。お客様のニーズに合わせた生命保険を販売しようというのが「ニードセールス」です。

従来の生命保険はパッケージ型が主流でした(いまでもそれほど変わっていないはず)。パッケージ型は、一つの保険でいろいろな保障がついてくるのはメリットです、しかし、必要のない保障があっても取り外しにくいという問題がありました。それに対して、「ニードセールス」では、お客様は必要に応じた保障を手に入れることができるので、無駄な出費を避けることができます。

いま思えば当たり前の話ですが、その当時はたいへん感心しました。従来の生保営業があまりにお客を無視した形態になっていたからです。営業を始めたころは、この「ニードセールス」を金科玉条として、お客様のニーズにあった生命保険をセールスしたものでした。

けれども、セールスを続けていくうちに、ふと疑問を感じるようになってきました。
「お客様のニーズとはいったい何だろう?」と思うようになったのです。

40歳の男性、Aさん、Bさんの二人のケースについて考えてみましょう。二人の家族構成、収入、住宅など、すべての条件はまったく同じとします。「生命保険に対するニーズ」は、AさんBさんとでどのように異なるのでしょうか?

私のいた生命保険会社では、シミュレーションソフトを使って必要保障額を算出していました。求めた必要保障額が「ニーズ」だという考え方です。すると、AさんとBさんのニーズは100%同じということになります。シミュレーションソフトを使って、AさんとBさんの必要保障額を算出すると、数字は完全に一致するからです。

この考え方にあなたは賛成できますか?

10年前の私なら、「そんなもんだろう」と考えて受け入れたと思います。しかし、いまは違います。客観的に「ニーズ」が決まることなどありません。たしかに、計算上は数字が一致します。しかし、その結果と、結果に対してAさん、Bさんがどのように考えるのかとはまったく別の問題です。

二人の必要保障額が3000万円と計算されたとします。Aさんは元気そのものなので、保険なんて自分には必要ないと考えています。Bさんは親が重い病気にかかっているので、保険のありがたさを感じています。このように二人の考え方に違いがあれば、加入する保険はおのずから違ってきます。

客観的にみると同じような保障額が必要だとしても、当事者の考え方の違いによって、導かれる結論は大きく違ってきます。このように考えると、「ニードセールス」とはいったい何なのかという疑問がわいてきます。「ニーズ」とは、客観的に決まるものではなく、むしろお客様の頭の中にあるものです。

「ニーズ」が頭の中にあるものだとしたら、外からの影響を受けて、変化しやすいという特徴を持っています。「自分は絶対3000万円の保険に入らないといけないんだ。」という必要性を感じる人は、ほとんどいないでしょうから。となると、自分の中で納得できる数字が見つかればそれでよいということになります。その数字は5000万円かも知れませんし、もしかしたらゼロかも知れません。

これでは、「ニーズ」(必要性)とはいえません。どちらかというと「ウォンツ」です。「ウォンツ」とは「欲しい!」という感情です。「ニーズ」のように、必要に迫られているわけではありません。たとえば、ベンツを「ニーズ」を理由に買う人はいません(例外的にいるかも知れませんが)。ベンツは「欲しい!」という「ウォンツ」を感じた人が買うものです。

生命保険の場合でも、「ニーズ」というよりは「ウォンツ」の影響が強いと感じます。「欲しい!」という感情をくすぐられると、生命保険もたくさん加入してしまいます。セールスマンの腕の見せ所です(笑)。セールスでよい成績を残している人は、お客様の「ウォンツ」を引き出すことが上手です(なかなか難しいのですけどね)。

生命保険は特別な商品ではありません。「ニーズ」からすれば、携帯電話の買い替えなんてしなくてよいはずです。電話やメールが使えればよいのですから。しかし、新しい機種がでて「ウォンツ」をくすぐられると、やっぱり買ってしまいます。生命保険も携帯電話と同じなんですね。


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2007年7月17日 (火)

最後の生命保険職人

今日、生命保険会社勤務時代の大先輩Sさんに会いました。

Sさんは、週2件以上の契約を今週で890週継続しています(世界記録らしい)。生保業界で知らない人はいないというほどの有名人です。現在は独立されて、自宅を事務所にして保険代理店を営んでいます。

生保時代の年収は数千万。何度も社長賞に輝いています。バブリーな生活をしていると思われがちですが、生活はいたって質素。車の免許を持っていないので、営業は電車とバス。地下鉄1日乗車券を使って、わざわざ遠回りをして営業に向かうという堅実ぶりです。自宅兼事務所にも初めてうかがったのですが、置いてあるものはデルのパソコンとプリンター、そして家庭用ファックスだけ。徹底しています。

メールはほとんど使わず、営業には電話が大活躍。しかもお金がかかるから、自分から携帯電話では電話をかけることはないというツワモノです。決してデジタルとはいえないSさんですが、仕事は緻密そのもの。スケジュール帳には、びっしりとお客様の名前と連絡先が書き込まれ、商談が終わるたびに消しこみをしています。

私が入社したとき、Sさんが同じ営業所にいた関係で、いろいろなことを教えてもらいました。なかでも一番印象的だったのは、「ニーズがないところに保険は売るな!」という言葉でした。契約をもらいたいからといって曲がったことはするな、というのがSさんの信条でした。最初に素晴らしい先輩に出会うことができて、本当によかったと思います。

Sさんほどの実力と知名度があれば、事業をもう少し大きくしても不思議ではありません。しかし、Sさんにはその気はないようです。何から何まで自分でやるのが好きだからです。事務処理も全部自分でやります。それが楽しいのですね。Sさんは、生命保険の職人なんだなと感じました。

通信販売で生命保険に加入できる時代です。今年の12月からは銀行でも生命保険の販売が始まります。職人が活躍する場はだんだん少なくなっていくのでしょう。それでも元気に活躍されているSさんの姿を見て、私もエネルギーをもらうことができました。Sさんにはずっと職人道をまっとうしてもらいたいです。最後の一人になるまで(笑)。

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2007年7月14日 (土)

「振り込め詐欺」と「保険の営業」

テレビを観ていると、「振り込め詐欺」を仕事にしている二人がインタビューされていました。カンニング竹山が、「あなたたちに罪悪感はありますか?」と質問すると、二人とも「罪悪感はある」と答えます。そのうち一人は、「仕事だと思ってやっている。」と付け加えていました。

「振り込め詐欺」は立派な犯罪です。どんな理由をつけたところで、仕事として正当化できるものではありません。ただ、この話を聞いて、少し考えました。自分がやってきた過去の仕事について思い返してみると、彼らの話を他人事だと聞き流せなかったからです。

私は10年以上、生命保険の営業をやってきました。ご存知のとおり、生命保険の営業職は歩合で給料が決まります。契約をとればとるほど給料が上がるしくみになっています。他の会社のことはよく知りませんが、私の勤務していた会社では生命保険の種類によって、手数料が変わっていました。

売る側としては、同じ保険料(掛け金)なら手数料が多い保険を売りたいと考えます。手数料が違っても、販売にかける手間は同じなのですから、その気持ちはよくわかります。しかし、お客様の側からすれば、手数料が少ないほうがよいに決まっています。仕事を始めたばかりの頃は、正直悩みました。少しでも手数料を上げることができないだろうか、なんて姑息なこともよく考えました。「振り込め詐欺」と一緒にはできませんが、「手数料の安い商品を薦めたほうがよかったのかな」といった後ろめたさを感じたこともありました。

結局、自分は仕事として割り切って、手数料の多い商品を売るという選択肢は取れませんでした。不器用な性格です。いろいろ考えてみましたが、ありのままのことをお客様に話すのがいちばん楽だと思いました。だから、最近では、お客様から手数料はいくらかかるのかを尋ねられたら、正直に答えます(尋ねる人はあまりいませんが)。その手数料が高いから契約しないという人なら、どっちみち良い関係を長く続けることはできません。無理に契約をもらっても、後で困るということがよくわかりました。

生命保険もビジネスですから、お客様から手数料をいただくのは当然です。問題は手数料ではなく、手数料以上の価値をお客様に提供したかどうかという点にあります。手数料をはらっても満足してもらえる「付加価値」をどうやってつけるのかということに気づいたとき、いままでの後ろめたさから解放されました。

金融商品だけでなく、販売に携わる人はみなこの問題に直面しています。そのときに、仕事だからといって手数料の高い商品を売り続ける人、本当にお客様の立場にたって正直な気持ちになれる人、どちらが多いのでしょうか。自分が売る側のときは前者の立場でも、買う側の立場になると売り手に後者の立場を要求することもあります。

なかなか難しい問題です。買う側の立場としては、「言われたことを鵜呑みにしない」「よく調べる」「納得できないことにはウンといわない」といった当たり前のことを、きちんと守っていくしかないようです。


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2007年7月13日 (金)

こどもは投資が得意?

高校・大学・社会人とバスケットボールをやり続けてきました。なかなか途中でやめることができませんでした(笑)。不器用ですね。選手を引退した後も、自分の大学や娘の中学校で、学生にバスケットを教えてきました。

大学生と中学生を教えるという経験をした人はあまりいないかも知れません。大学は体育会ですから、経験者がほとんどで、それなりに高度なプレイが要求されます。反対に、中学生はほとんどが未経験者で、ゼロからスタートします。大学生と中学生では、技術レベルはかなり違います。

自分にとって、どちらがやりやすかったかというと、もちろん中学生です。それは中学生のほうが技術的にレベルが低いから教えやすい、という意味ではありません。逆に、基本を教えるのは一番難しいのです。なんといっても、いままでバスケットというものを全くやったことのない子ども達にゼロから教えるのですから。大学生はほとんどが経験者なので、バスケットとは何かを説明する必要もありません。その点では、大学生を教えるほうがずっと楽です。

では、なぜ中学生のほうがやりやすいのでしょう?

それは、中学生には変なクセがついていないからです。彼らはバスケットをした経験がないので、先入観を持つこともないので、私が言ったことを素直に吸収できるのです。反対に大学生の場合は経験が邪魔をして、私の言うことを素直に受け止めることができません。また、いままで築き上げてきたものにプライドを持っていることもあり、自分から変わることが難しいようです。大学生の選手に正しいプレイを教えても、いままで間違ったプレイを身につけていると、すぐにプレイを変えることはできません。まず間違ったプレイを捨てて、それからで正しいプレイを身につけるといった、2段階のプロセスが必要になります。中学生は1つのプロセスでよいので、単純に考えると、大学生のほうが2倍時間がかかるというわけです(実際には、2倍どころではなく、3倍・4倍の時間がかかります)。

投資でも同じことがいえます。投資経験のある人と、まったく投資経験のない人を比べると、経験のない人のほうが正しい方法を身につけるのが早いと感じます。投資経験のある人は、たいてい「どこの会社の株を買うか」「いつ買うか」といったことに関心があります。それはそれで投資の醍醐味です。ただ、運用成果に大きな影響をあたえるのは、個別銘柄の選択や売り買いのタイミングではなく、「資産をどのように配分するか」です。資産配分は運用成果のおよそ80%に影響があるといわれています。つまり、銘柄選びやタイミングはせいぜい20%にしか影響を与えないということです。それなら、資産をどのように配分するかを熱心に考えたほうがよいに決まっています。

投資未経験者にこの話をすると、すんなり受け止めてくれます。また投資を経験した人でも、失敗の経験があり、反省している人は好意的に反応するようです。ところが、投資経験があり、大きな失敗をしていない人にはなかなか受け入れにくいようです。知識も経験もあるのに、もったいないですね。

なまじっか経験や知識があるばかりに、一番難しい個別銘柄から株式投資を始める人がたくさんいます。そのたちは、相場が上がっているときに株を買うケースがほとんどです。相場が上がっているときはいいのですが、落ち込んだらどうするのでしょう。たぶん、そんなときのことは考えていないのでしょうね。

一方、きちんと資産配分をした人は、株の値段が下がっても驚きません。株だけに投資しているわけではないからです。ある程度下がることも予想の範囲なので、値段が下がった株を買って将来の値上がりに備えることもできます。

経験が正しい判断の邪魔をするというなら、投資が一番得意なのは、先入観をもたないこどもたちなのかも知れませんね。

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2007年7月10日 (火)

為替で遊ぶ愚かさを知る

本日7月10日付けで、財務省の渡辺氏財務官が退任しました。財務官のポストは「円売り」「ドル買い」など外国為替市場への介入を指揮する権限を持っています。ところが、2004年7月に渡辺氏が財務官に就任してからの3年間、一度も市場介入をしませんでした。前任者が1年半の任期中に35兆円を超える大規模なドル買い介入したのと対象的です。

渡辺氏の在任期間中の、ドル円相場を確認しておきましょう。就任時(2004年7月)の円相場は1ドル=110円近辺でしたが、その後円高が進み、2004年末から2005年初めに1ドル=100円に近づきました。ここで円安基調に反転し、2005年の終わりには1ドル=120円まで持ち直し、現在は1ドル=123円近辺で推移しています。3年間の在任期間中、円安は13円(123円ー110円)、率にすると12%です。2003年の1年で、円が120円から105円まで急騰したことに比べれば、かなり緩やかな変化です。

この安定感をもたらしたのは、渡辺氏の功績といってよいでしょう。

日本の場合、政府も経済界も「円高」を嫌います。輸出の伸びが落ちて、経済に悪影響が出ると考えてしまうからです。そのため円が少し高くなると、円を売ってドルを買うという市場介入をすることが常でした。

ただし、市場介入の効果は逆効果になることが多くなっています。市場介入するということは、「どんな値段でもいいからドルを買う」と宣言したのと同じです。市場の中に、「どんな値段でもいいから買いますよ」というお人よしがいたら、まわりからつけこまれるに決まっています。日本政府以外は、安いドルをどんどん売り、円を買い込むので、ますます「円高」が進んでいきます。

反対に、市場介入をまったくしなければどうなるでしょう。「どんな値段でもいいから買う」という存在がいないので、市場に参加している人間はおっかなびっくりしながら、円やドルを売り買いします。その結果は、落ち着くところに落ち着きます。この3年間まったく市場介入をしないで、「円安」の方向に向かったのは、円の魅力が落ちていることをそのまま反映したものだととらえることができます。

日本以外の先進国では、市場介入することはほとんどありません。市場に参加している人たちが扱う資金の量は、一国の政府が立ち向かうことができないほど大きなものだからです。だから、為替については「ほったらかし」にするのが良いというのが結論です。

狂ったように市場介入を続けた2003年に、大前研一さん(経営コンサルタント)が市場介入する財務省を徹底的に批判し、「ほったらかし」を薦めました。それからしばらく時間を置いて、渡辺氏がやっと大前さんの教えを守ったという形になりました。めでたしめでたしです。これからはよほどのことがない限り、「市場介入」はしないでしょう。「市場介入」という単語がなくなってしまうかもしれません。よいことです。

それにしても、市場介入で積みあがった財務省の外貨準備金が高利回りで運用されているのも、皮肉な話です。本来やらなくてよいはずの市場介入によって買ったドルが、円安と高金利の結果、利益を生んでいるのですから。政府がすすんで外貨で運用しているなら、国民にも国債よりも外貨投資を薦めるべきなのではないでしょうか(笑)。


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2007年7月 7日 (土)

「もったいない」が引き起こす問題

1週間も経つと、家の中にペットボトルが増えてきます。外出したときに買った500ml.のボトルや家で飲んだ2リットルのスポーツドリンクなど、ソフトドリンクの消費量が多くないわが家でもほうっておくとそれなりの量になるものです。今日も出かけたついでに、資源回収の袋にペットボトルを入れてきました。

ペットボトルを出すたびに、いつも複雑な気持ちになります。「なぜ”燃えるゴミ”に出しちゃいけないのだろう?」と思うからです。

ペットボトルはリサイクルするために、分別して回収されていると思われています。しかし、実際のところ樹脂原料にリサイクルされているのは、全体の1割に過ぎません。またペットボトルを樹脂原料にリサイクルするためには、ペットボトル1本をつくるために必要な石油の約3.5倍の石油を必要とします。だから、環境のことを考えれば、ペットボトルはリサイクルせずに、”燃えるゴミ”と一緒に燃やしてしまえばよいのです。(中部大学教授・武田邦彦氏の主張を参考にしました)

ペットボトルをリサイクルするというと、環境によさそうなことをしている気分になります。ところが、実際は環境には悪いことをしていたわけです。飲料メーカーはそのあたりがよくわかっていて、環境に良いイメージを利用して、ペットボトルの生産をどんどん増やしていきました。コンビニに行っても、いまはペットボトルばかりが並んでいます。

「ペットボトルを捨てるのはもったいない」→「だから、もう一度使おう」 という単純な発想が悲劇を生み出しています。もったいないと思うこと自体は良いことなのですが、どうすればより環境に役立つのかという手段が間違っているのです。

これと同じようなことが、金融商品でもあります。一番良い例は、「生命保険」です。生命保険を途中でやめようとすると、販売員から「途中でやめると、もったいないですよ。」と言われることがあります。生命保険の場合、加入してから一定期間(7年~10年程度)が経過する前に、保険を解約するとペナルティを取られることがあります。このペナルティのことを「解約控除」といいます。販売員がいう「もったいない」というのは、解約控除のことだったのです。一定期間が過ぎれば、解約控除はなくなります。だから今の保険を長く続けたほうがよいという理屈です。これは本当でしょうか。

「生命保険を途中でやめると損をする」と思っている人が多いので、この説明に納得してしまう人も多いようです。しかし、もしいま加入している保険が自分にふさわしいものでなければ、その保険を続ける意味はありません。ペットボトルと同じように、目先の「もったいない」という気持ちが、判断をゆがめることになります。解約控除を支払うことになったとしても、解約したほうが多いケースがほとんどです。

「もったいない」という気持ちをゆさぶる解約控除というしくみ、なかなか巧妙です。同じような例として、長期契約を条件に携帯電話を1円(または0円)で手に入れるという取引があります。途中でやめると、ペナルティがあります。解約控除と同じですね。携帯電話だと2年ぐらいでやめられますし、ペナルティもそれほど大きな金額ではありません。でも、生命保険の場合、期間も長いし、ペナルティも大きなものになります。目先の「もったいない」に惑わされないようにしましょう。

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2007年7月 6日 (金)

医療保険の落とし穴

数年前から医療保険のCMが多く見かけます。おかげで医療保険の認知度は上がりましたが、保障内容についてよく知らないまま契約しているケースも目立ちます。CMを見ていると、消費者に誤解を与えるような表現がいまだに使われているので、心が痛みます。しかも、そのCMに出ているのが私の好きな女優さんだったりすると、さらに落ち込みます(涙)。保険会社のCMに出演するタレントには、ぜひ保険の勉強をしてもらいたいものです(よろこんで教えます。笑)。

一般的な医療保険は、「入院」と「手術」を対象としています。「通院」を対象としたものもありますが、この場合の「通院」に、「かぜをひいて病院に通った」というケースは含まれません。病気やケガで入院した結果、保険金の支払いが行われ、さらに同じ理由で通院した場合が、ここでいう「通院」に該当します。「通院」で保険金をもらうには、高いハードルがあります。「通院」に該当すると、通院日数1日あたり数千円の保険金が支払われます。ただし、ずっと支払われるのではなく、入院してから180日以内の通院といった限度があります。また金額の上限も決められています。

「入院」や「手術」に比べると「通院」は軽く見られがちですが、必ずしもそうはいえません。たとえば「胃がん」や「大腸がん」で抗がん剤を飲んでいる人は、毎月の薬代で30万円(!)かかることも珍しくありません。もちろん30万円の全額を負担するわけではありません。自己負担割合が3割とすれば9万円。高額療養費の適用を受ける金額です。所得区分が一般の人の場合だと、このうち毎月44,400円は自己負担しなくてはいけません(高額療養費多数回に該当するため)。1年では532,800円になります。馬鹿にならない金額です。

一般に、抗がん剤を服用する期間は長くなります。個人差もあるのでしょうが、治療期間には何年にも及びます。がんの場合、「入院」や「手術」にかかる費用よりも、「通院」(薬代)にかかる費用のほうが多くなるケースもあります。入院や手術では、一時期にまとめてお金がかかります。一方、薬代は長い期間にわたってお金がかかります。さらに、薬の場合は毎回通院がともなうので、交通費などの負担も含めれば、トータルでは負担もかなり大きな金額になります。

がんの治療に限っては、「入院・手術=お金がかかる」、「飲み薬=お金も手間もかからない」という考え方は改めたほうがよいでしょう。たしかに飲み薬を使うと、日常生活にはプラスですが、お金の面からはそうとはいえません。

加入している医療保険が「通院」を保障してくれたとしても、治療が長期にわたるとしたら、保険金をずっともらい続けることはできません。期間の限度があるからです。単純に医療保険に入れば安心という話ではありません。

従来型の医療保険は、医療現場の変化に追いついていないというのが正直な気持ちです。そろそろ、根本的に医療保険という商品を見直すべきときが来ています。これからもし病気をしたとしても、安心して使える医療保険が求められています。

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2007年7月 4日 (水)

良い金融商品はなぜ売れない?

「カゼをひいたけれども、仕事が忙しくて病院に行く時間がない。」
「仕事帰りに薬屋でカゼ薬を買っていこう。」

そこで、あなたは薬屋の店員に「何か良い薬はありますか?」とたずねます。店員は「これなんかよく効きますよ。」と、カウンターにある薬を置きます。初めて見る薬です。あなたは「店員さんが薦めてくれるのだから、間違いないだろう。」と考えて購入することにします。

よくあるケースです。このカゼ薬は効くのでしょうか?それとも効かないのでしょうか?それはわかりません。ただ一つわかっていることがあります。あなたが買った薬は、薬屋にとって利益の大きい商品だったという事実です(笑)。

薬屋としては、特に商品の指定がなければ、一番儲かる薬を薦めます。これは薬の世界に限らず、商売では当たり前のことです。マグドナルドでソフトドリンクがセットになっているのは、ソフトドリンクが利益率の高い商品だからです。居酒屋がアルコールを薦めるのも同じ理屈です。

これは金融商品でもまったく同じです。金融機関がはじめに薦める商品は、利益率が高い商品であると思って間違いはありません。

たとえば、投資信託に関していえば、コストの安い投資信託としてインデックスファンドがあります。これから投資を始めようという人には、良い商品です。しかし、あなたからリクエストをしない限り、金融機関のほうからインデックスファンドを薦めるということは、まずないでしょう。コストが安いということは、金融機関にとって儲けが少ないということだからです。インデックスファンドはどこで買ってもほぼ同じ運用成績なので、商品に差をつけることができません。そのため高い手数料を取って売ることができません。

逆に、インデックスファンドを薦める金融機関のセールスマンがいたとしたら、その人を信用しても間違いありません。たぶん、そんな人はほとんどいないと思います。インデックスファンドの代わりに、利益率の高い変額年金やアクティブファンドを薦めるのが普通です。

このような状況は残念なことですが、文句を言っても始まりません。薬屋の例でもわかるように、これは商売をする上では、あたり前のことなのですから。買うほうも、よく勉強しておく必要があります。

ただ、現状を肯定してしまうと、良い商品はなかなか売れないことになってしまいます。世の中には結構良い商品が存在しているのですが、儲からないということで積極的に売られていないものもあります。たとえば、「確定拠出年金(個人型)」などは、よい商品です。加入できる人は、自営業者や企業年金のない会社に勤めているサラリーマンに限られますが、加入できる人にとっては確実にメリットのあるしくみです。自営業者などは全員が加入してもよいぐらいです。しかし、現時点での加入者は約8万人という寂しい状況になっています。せっかく良いしくみにもかかわらず、儲けが薄いために、金融機関が販売に力を入れないからです。投資信託を売ったほうが儲かりますからね。

金融機関に文句をいう前に、「確定拠出年金(個人型)」のような良い商品を見つけ出して、活用するほうがよっぽど効果があります。他にも効果のある商品はあるはずです。私も勉強を続けて、役に立つ商品を紹介していこうと思っています。

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2007年7月 1日 (日)

医療保険は必要ないのか?

ファイナンシャル・プランナーの内藤眞弓さんが書いた『医療保険は入ってはいけない』(ダイヤモンド社)という本があります。タイトルはいまはやりの脅し系ですが(失礼)、内容はいたって真面目で、よい本だと思います。ことさらに不安を煽る保険会社に警鐘を鳴らし、公的医療保険(健康保険や国民健康保険など)の重要性を再認識させる内容になっています。医療保険への加入を検討している人は、きっと参考になるはずです。

この本はとても良心的な作りになっているので、批判するつもりはさらさらありません。ただ、自分の経験から言わせてもらうと、医療保険に加入したほうがよいのか、加入するとしたらどのくらいの保障額にしたらよいのかという問題は、簡単には結論を出すことはできません。

一般的なサラリーマン家庭であれば、夫婦とも入院日額1万円の医療保険に加入すればほぼ問題はないといえるでしょう(内藤さんの意見では多すぎるようですが)。ただ、ケースによってはそれではとても賄いきれない状況も出てきます。

重い病気にかかっていて、緊急に入院が必要とされるときは、個室に入らないといけないケースもあります。理屈でいえば、このようなケースで差額ベッド代を払う必要はないとされていますが、病院に対してなかなかそんなことはいえません。命がかかっているときは、どんなにお金をかけても何とかしたいというのが、病気にかかった本人と家族の気持ちです。理屈だけでは物事は運びません。

実際に、私のお客様でも重い病気にかかる方がいらっしゃいますが、ご家族の方は必ず手厚い治療を望みます。負担が多くなっても、できるだけのことをしたという「納得感」が欲しいからでしょう。私に関しても、父が病気のときは同じように感じました。

やっかいなのは、実際に重い病気になる確率は低いことです。確率だけを見ていれば、他人事だと思います。ただし実際になってみると、とても他人事ではすませられません。その低い確率のできごとが起きてしまった場合どうするのか。それが問われています。

確率が低いことをことさらに取り上げて、不安を煽り、高額な医療保険に入る必要はありません。しかし、その逆に確率が低いからといって、無視できるわけでもありません。もちろん答えは二者択一(フルカバーの医療保険に加入するかしないか)ではありません。半分だけカバーするという選択肢もあります。

大事なことは、「完璧な答えはないと知ること」です。生命保険については、どんなに考えても100%正しい結論はありません。結局は、最悪の事態が生じたときに、どこまで準備するのかということにつきるのでしょう。本人と家族の「納得感」を満たせるかどうかというのが、生命保険を決める基準です。

正直なところ、なかなか大変なことです。家族が重い病気にかかったという人以外は、そこまで考えているわけではありませんから。逆にあまり考えすぎないほうがよいのかも知れません。私も、こんなことを考えないで保険をするめることができるなら、もっと楽なのにと思います。

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2007年6月30日 (土)

新入社員に告ぐ!(下)

新入社員が積立をはじめるときには、どのような方法がよいのでしょうか?「財形貯蓄」「確定拠出年金(個人型)」「投資信託」より良い方法とはどのような方法でしょうか?

具体的な答えを出す前に、新入社員のみなさんに適した方法がどのような条件を満たしている必要があるかを検討しましょう。

第一の条件は、「途中ではやめられないしくみであること」です。

前回に説明したように、サラリーマン生活を40年と仮定して、最初の20年間は毎月2万円、後半の20年間は毎月4万円を積み立てると、4000万円近いお金になります。ただし、これは年5%で運用できた場合の数字です。残念ながら、今の日本では年5%を確実に実現する方法はありません。高い確率で年5%以上の運用成績を残せる可能性がある方法はありますが、絶対とはいえません。したがって、途中ではマイナスの運用になることも考えておく必要があります。

運用がマイナスになったときに、すぐにやめてしまうようだと40年間はとても続きません。運用が少し悪くても、やめられないしくみであれば、続けるしかありません。もちろんただやめられないというだけではいけません。平均的に年5%以上の運用成績が残せるしくみであることが前提です。

第二の条件は、「いざということきは”やりすごす”ことができること」です。

サラリーマンがお金を増やすには、長期間資産運用を続けることが必要です。長い間には運用成績がよいときも悪いときもあります。少しぐらいのマイナスなら我慢すればよいのですが、大きくマイナスになるようなときは我慢できません。そのときでも途中でやめられないとすると、資産が値下がりするのを指をくわえて見ているだけになります。これはちょっと策がないといえるでしょう。

運用成績が大きくマイナスになるようなときは、一時的に資産を避難させることができればよいのです。「個別株」や「投資信託」の場合、大きく値下がりすると売却して現金に換えるしかしかありません。しかし、値下がりして売ると、気持ち的にどうしても前向きにはなれません。相場が回復しても、また買おうという気持ちにはなりにくいのです。しかも手数料がかかってきます。値下がりしたときにでも、一時的に現金に換えて”やりすごし”、後でまた株や投資信託に戻すという方法があれば、この問題は解決します。

それでは、この二つの条件を満たすような方法はあるのでしょうか。

まず考えられるのは「持ち株会」です。持ち株会を始めると、会社を替わるまではずっとやめない場合が多いので、第一の条件「途中ではやめられないしくみ」という点では、かろうじて合格です。ただし厳密にいえば途中でやめることもできますし、株価が下がったから”やりすごす”ということはできません。十分な方法とはいえません。

私がお薦めしたいのは、「変額保険」です。「変額保険」を一言でいうと「投資信託+生命保険」のような商品です。「あれっ、”安易に生命保険に加入するな!”ってアドバイスしていたのでは?」と突っ込む人がいるかも知れません。その通りです(笑)。「安易に」加入してはいけません。よく考えて加入してください。「変額保険」はよく考えれば、新入社員にはとても有効な方法です。

「変額保険」は生命保険です。長い期間の契約にすれば、その期間中運用を続けることができます。たとえば「終身タイプ」にすれば、期間は「一生涯」です。これ以上長い運用期間はありません。運用がよければ資産が増えていきますが、基本的には生命保険なので、途中でやめてしまおうという気持ちにはなりにくいと考えれます(厳密には途中でもやめることができます)。第一の条件「途中でやめらないしくみ」という点では、合格点をあげてもよいと思います。

通常は「日本株式」「日本債券」「外国株式」「外国債券」などに資産を配分して運用していきます。もしこのような資産が値下がりした場合には、一時的に「短期金融市場ファンド」に資産を移すことができます。「短期金融市場ファンド」とは現金のようなファンドです。一時的に「短期金融市場ファンド」においておいた資産を、また株式や債券に移転することもできます。つまり”やりすごす”ことができるわけです。「変額保険」は第二の条件も満たします。意外に思う人もたくさんいるでしょうが、「変額保険」は新入社員が検討するにはピッタリの商品です。コンサルティング会社に入社したての方が「変額保険」に加入して、順調に資産を増やしているという例もあります。

もちろん良いことずくめではありません。「変額保険」にも弱点はあります。それは短い期間ではコストが高くなってしまうことです。最初から長く続けるという前提で考えておかないと失敗します。またここでとりあげた「変額保険」を扱っている会社は多くはありません(ソニー生命、プルデンシャル生命、損保ジャパンひまわり生命など)。準備されているファンドや保険会社、担当者をよく見極めることも大切です。

今回は「変額保険」を紹介しましたが、大切なのは結論を覚えることではありません。これからどうやって資産運用を長く続けるのかを考えること、それが一番大事です。個別の株や投資信託を買うのは楽しいのですが、流行に左右されてしまいます。株式市場の調子が悪いときは続けていくのがなかなか難しい商品です。

これからの40年間、長く付き合っていけるしくみを見つけるという点に注意して、大切なお金を増やしていってください。いまの勉強は必ず将来花を咲かせます。

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2007年6月28日 (木)

新入社員に告ぐ!(上)

ボーナスのシーズンとなりました。自営業の私にとって、「ボーナス」という言葉はどこか懐かしい響きがします(笑)。初めてボーナスを受け取ったのは、いまからちょうど20年前。丸紅(総合商社)に入社してから3ヶ月がたったときです。新入社員は正式にはボーナスの対象になっていないので、「お祝い金」という名目で給料の1ヶ月分をもらった記憶があります。

そこで、新入社員の「お金の使い方」について考えてみることにしましょう。私が丸紅に入社してから1ヶ月間、講堂で新入社員の研修を行いました。英語、簿記、貿易実務などを勉強しました。その研修中、安田生命(現・明治安田生命)が生命保険のパンフレットを新入社員全員に配って勧誘をしていました。勧誘は休み時間にやるのではなく、研修中にきちんと時間をとっていました。もちろん強制加入ではないのですが、うぶな私は「社会人になったら、生命保険ぐらい当然入らなきゃ」と思って、すぐに加入しました(笑)。生命保険会社の思うつぼですね。いま考えると情けないです。

さすがにいまはこのような勧誘はしていないと思います。古きよき時代だったのですね。

そのとき加入した生命保険は、1年もたたないうちに解約しました。日本団体生命(現アクサ生命)の保険の北原さんの説明に納得したからです。

「掛け捨ての割合が多い保険は、若い人にはふさわしくない。」
「民間生保では貯蓄性の高い”終身保険”に加入して、掛け捨ての保険は会社の”グループ保険”にしたほうがよい。」

というアドバイスは適切でした。外資系のカタカタ生保が躍進した結果、このようなアドバイスはいまでこそ普通ですが、20年前は画期的でした。その後、何の因果か生命保険の仕事に携わることになりましたが、そのきっかけも北原さんとの出会いがあったからだと思います。「生命保険は同じじゃないんだ!」ということをはじめて知ることができたからです。

私の反省を含めて、まず新入社員のみなさんにアドバイスしたいのは、「安易に生命保険に加入するな!」ということです。「社会人になったから生命保険の一つも入っていないと。」ということがいわれますが、別にそういう決まりがあるわけではありません。養う家族もいないのに、3000万円~5000万円の死亡保障に加入する必要があるのでしょうか?

生命保険を考えるよりも先に考えることがありそうです。

新入社員のみなさんは、これから40年近く仕事をすることになるはずです(少なくともそのつもりのはずです)。この40年という「時間」を使って、お金を増やすことをぜひ考えましょう。一例として、これから40年間毎年積立すると仮定しましょう。40年のうちの最初の20年間は毎月2万円、後半の20年間は4万円を積み立てます。支払額の合計は1440万円です。年利回りを5%とすると、40年後に受け取る金額はいくらになるでしょうか?

3890万円です。

これにはボーナス分は入れていませんから、ボーナスも積み立てると相当な金額になります。40年後にはお金の価値も変わっているので、手放しで喜べないところもありますが、これで老後の問題なんか心配することはありませんね(笑)。

ポイントは年5%で運用できるかどうかです。元本保証を前提にすると、いまの日本ではとても無理な数字です。せいぜい年1~2%がよいところです。けれども、適切に資産配分をすれば、平均的に年5%の利回りを上げるのはそれほど難しいことではありません。もちろん値下がりしたりすることもあるので、あくまでも「平均的」な話です。

具体的な方法としては、「財形貯蓄」「確定拠出年金(個人型)」「投資信託」が考えられますが、どの方法にも一長一短があります。「財形貯蓄」の商品で世界中に資産を分散できるタイプのものを私は知りません。非課税の枠も限られています。「確定拠出年金(個人型)」は企業年金を採用していない会社のサラリーマンしか加入できません。しかも加入できる限度額は月18,000円です。「投資信託」なら世界中に資産を分散できますが、コストが高いことと、メンテナンスが難しいことが欠点です。

一般的な書籍や雑誌なら、「投資信託で積み立てよう」という結論で終わるはずです。たしかにそれも一つの方法ですが、実際には難しいと思います。

 まず問題になるのは、毎月の積み立て額です。ほとんどの投資信託の場合、最低買い付け金額は1万円です。たとえば「日本株式」「日本債券」「外国株式」「外国債券」の4つに大きく資産を分けるとしたら、4本の投資信託を買う必要があるので、月4万円必要です。これは新入社員にはたいへんです。金利が低いので「日本債券」は買わなくてもよいとしても、月3万円です。なかなか厳しいです。
 投資信託は毎年のコストが高いのもネックです。日本株式の投資信託だと平均的に年1.5%ぐらいのコストがかかります。外国株式では2%ぐらいのものもよくあります。このコストはずしりと重くのしかかります。
 さらに難しいのは「メンテナンス」です。資産をいくつかに分けていると、時間の経過とともにその比率が変化します。このような場合、元の比率に戻してあげなくてはなりません。これを「リバランス」といいます。「リバランス」は、値上がりした資産を売り、値下がりした資産を買う