日記・コラム・つぶやき

2008年2月 5日 (火)

私のヒーロー

 小学校のころのヒーローは、王貞治だった。子ども心にも、あのホームランはインパクトが強かった。ONの2人のうち、大人は長嶋を応援していたが、こどもにとってのヒーローは王選手だった。彼が引退すると聞いたときは、「もう野球を見るのをやめよう」と思った。たぶん、同じような気持ちをもった少年も多かったことだろう。いまでは、とても想像できないことだが、それぐらい王選手の存在は大きかった(イチローが引退するから、野球を見るのをやめるという人は、ほとんどいないはずだ)。

 高校生になってバスケットボールを始めてからは、マジック・ジョンソン(ロサンゼルス・レーカーズ)がヒーローだった。200mを超える身長で、あのスピードとテクニックはいまでも信じられないぐらいだ。まさに「マジック」の名前にふさわしい。先日、スポーツ用品店でマジック・ジョンソンのビデオが流れていたので、立ったまま、1時間ビデオを見続けた(笑)。その後、マイケル・ジョーダンというスーパースターが現れたが、個人的にはマジック・ジョンソンがナンバーワンプレイヤーだと思っている。

 大学を卒業して、会社に入ってからのヒーローは、経営コンサルタントの大前研一さんだ。いまから20年以上前、丸紅に入社する前に、少しは本を読まなくちゃと思い、大前氏の『新・国富論』を読んだのが彼との最初の出逢いになる。書いてある内容はたぶん半分も理解できなかったが、それでも「この人はただ者ではない」と直感した。シンガポールに長期駐在していたときは、ホテルと隣接するショッピングセンターにある紀伊国屋書店で、大前さんの本を買い込んで、ずっと読んでいた。特に彼が世の中に知られるきっかけとなった『企業参謀』『続・企業参謀』の2つの本には大きな影響を受けた。「考える」とはこういうことなのか、と目からうろこだった。

 最初の出逢いから20年たった現在も、彼は私のヒーローであり、師匠だ。直接何かを教えてもらったわけではないが(サインをもらったことはある)、著書やテレビを通して、様々なことを吸収させてもらっている。昨年、私が本を書くことができたのも、大前さんのおかげだと感謝している。

 そして、今日、久しぶりに生の大前さんを見ることができた。TBSラジオの「サイエンス・サイトーク」という番組(日曜21時30分~22時)の公開収録を見学することができた。司会の日垣隆さんのメルマガを購読している関係で、おすそわけに預かった。

 恥ずかしい話だけれど、涙が出るほど嬉しかった。還暦をすぎたおじいさん(失礼)の話を聞いて、涙が出そうになるというのも変な話だが、大前さんの声に強く心が動かされた(実際には泣きはしなかったけど)。大前さんの日本に対する思いがビシビシと伝わってきて、「俺もがんばろう」と心から思った。

 大前研一氏の主張は、著作も多数出版されているので、興味がある人はぜひ読んでもらいたい(ブックオフでも入手可能)。主張が優れているのはもちろんなのだが、私が一番関心するのは、彼の「倫理観」だ。曲がったところがどこにも感じられない、というのが素晴らしい点だ。どうしてあれだけ純粋に生きられるのか。それだけでも大前研一という人間が稀有な存在であることがわかる。

 あれだけの能力があれば、世界企業のCEOになることも可能だっただろう(実際にスカウトもあったらしい)。そうであれば数十億~数百億というお金を手に入れることも難しくはない。しかし、彼はそういうことにはまったく興味がないらしく、現在はコツコツと人材育成に力を入れている。ノーベル経済学賞の候補にもあがっていたそうだが、そのような権威に執着するわけでもない。

 大げさな話に聞こえるだろうが、大前研一という人間が日本人として生まれたことは、私たち日本人にとって、とても幸運なことだ。そして、ある意味では残された希望のひとつだともいえる。

 反対に、日本の不幸は、大前研一という人間を知らない日本人があまりにも多いということだ。地球の裏側のブラジルでも、彼の講演には3000人以上が集まるという。世界でも彼ほどの講演料がもらえる人物は数えるほどしかいない。しかし、そのことを知っている日本人がどれほどいるだろうか。なぜ世界的に高く評価されている大前さんが、日本ではテレビのコメンテーターよりも知られていないのか。これは本当に不幸なことだ。

 もしあなたが大前氏の著作を一冊も読んだことがないというなら、だまされたと思ってぜひ読んでほしい。必ず新しい発見がある。大前ファンの人は、ぜひお話しましょう。

 それにしても、ヒーローに会えるといういうのは嬉しいことだ。今日は難しい話を抜きに、しばらく幸せな気分に浸りたいです(笑)。

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2007年7月 9日 (月)

世界を見る視点

日経新聞の「私の履歴書」は、功成し遂げた人物の自慢話といった印象が強すぎて、あまり好きではありません。そんな私ですが、今月は毎日きちんと読んでいます。読売巨人軍終身名誉監督(肩書きが長すぎる)の長嶋茂雄氏が執筆しているからです。

私が小学校5年生のときに長嶋選手は引退しました。私は、全盛期の長嶋は見ていない世代です。私たちのヒーローは王選手でした。ホームランはわかりやすいですからね。正直なところ、子どものころは長嶋選手にはあまり興味はありませんでした。ところが、その後、彼にまつわる伝説を知るにつけ、「この人が日本のプロ野球を支えたんだな。」ということがよく理解できるようになりました。私は読売ファンでもないし、長嶋ファンでもありませんが、スポーツを愛する者として、長嶋茂雄という人物に大いなる尊敬の気持ちをもっています。彼がいなければ、日本のプロ野球がここまでの発展を遂げることはなかったでしょう。

そんな彼が「私の履歴書」を書くことを知り、複雑な心境になりました。あのスーパースターもそろそろ人生を総括する時期にきているということなのでしょうか。ご苦労様という気持ちと、来るときが来たのかという気持ちが交錯します。

7月9日の誌面では、立教大学時代について語っています。私が驚いたのは、彼が大学時代からアメリカの大リーグでプレーしたいという希望を持っていた、ということでした。いまでは大リーグのプレーを毎日テレビで見ることが当たり前ですが、50年以上前の話です。日本ではテレビでさえそれほど普及していない時代なのに、どうやって大リーグの情報を集めていたのでしょうか。情報収集することですら大変な時代に、大リーグでのプレーを希望したというのは、とても想像がつきません。

長嶋氏が大リーグ志向だった理由は、立教大学の砂押監督から薦められたからだそうです。そうだとすると、この砂押監督は相当な人物です。スパルタ練習のため、監督を途中でやめさせられたしまったそうですが、野球を見る目、時代を見る目は確かなものだったといえるでしょう。

日本という国の中で一生懸命やっていると、どうしても日本のことだけに目がいきます。「日本一」という目標を何とかして達成しようとします。しかし、上には上があります。日本一で満足していたらその上はありません。私はなかなかそういう視点で世界を見ることができません。まだまだ修行しなくては。

この話を書いていて、ソニーの創業者である盛田昭夫氏のことを思い出しました。ニューヨークの五番街に店を出したときに、堂々と日章旗を掲げたというエピソードがあります。砂押監督、盛田氏ともに、世界を相手にしていこうという気概をもっていたのでしょう。小さくまとまるのではなく、広い視野で世界を見る必要性を再認識しました。

長嶋茂雄氏の「私の履歴書」、なかなか考えさせられます。野球のことが好きでも嫌いでも、ジャイアンツのことが好きでも嫌いでも、長嶋さんのことが好きでも嫌いでも、一読をお薦めいたします。


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