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2010年4月26日 (月)

金融商品の「食わず嫌い」をなくそう!

 30年以上前、中学生の頃は『週刊少年チャンピオン』を読むのが楽しみだった。『ドカベン』や『ブラックジャック』などといたメインのマンガに加えて、独特の色を出していたのが『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめ著)。異色の三人組みがおりなすドタバタ感で、一世を風靡したものだ。先日、御茶ノ水のビレッジバンガードを徘徊していると、『マカロニほうれん荘』の第1巻が売られているのに気づく。懐かしいなと思いながら、さっそく購入&購読。


 昔を思い出しながら、ワクワクしながら読み始めると・・・・・

笑えない。当時のドタバタ感が伝わってこない。ただこっけいなだけ。なぜだろう?

 自分が歳をとったというのは、もちらんひとつの理由だ。でもそれだけじゃない。いまの中学生に『マカロニほうれん荘』を読んでもらっても、やっぱり笑えないと思う。時代背景がわからないからだけじゃなくて、笑いの「質」が違うと思うからだ。

 マンガの世界は日々進歩している。昔笑えたマンガでも、時間がたつと笑いがとれなくなる。文学と一緒で、長く読み続けられるマンガはほんの一握りでしかない。『マカロニほうれん荘』ほどの作品でも(すでに60刷までいっている)例外ではないということだろう。

 この背景には、読者の進歩がある。いちど笑ったネタでは、読者はもう笑わない。作者は次から次へと新しいネタを想像しなければならない。読者と作者の側のせめぎあいによって、より質の高いマンガが生み出されてきた。

 作り手と買い手の間のせめぎあいによって質が高まる、という例はマンガに限らない。食べものは、昔にくらべてずっと美味しくなった。まずいものは消費者が認めてくれないので、どんどん進化していったというわけだ。最近では味覚だけでなく、素材に対するこだわりも重要になっている。なぜ食べ物に関して進歩が早いのかというと、食べ物は口にすればすぐによいか悪いか判断できるからだ。マンガの場合も、読めば面白いか面白くないかはすぐわかる。

 消費頻度の高い商品やサービスの場合、消費者は日常生活を通してどんどん賢くなっていく。提供する側は賢い消費者が満足してくれるように努力しなければならないので、クオリティは自然に上がっていく。消費者、提供者ともに誠実さを忘れなければ、これは好循環であり、理想的なかたちだと思う。

 一方で、商品頻度の低い商品やサービスに関しては、なかなかこのような循環にはなりにくい。消費者は商品やサービスについて接する機会がないので、すぐに判断ができないからだ。食べ物について「うまい」「まずい」を判断するのと、お葬式に使う棺おけをどのグレードにするのかを判断するのを、同じ時間でできる人はいないだろう。判断基準がないときは、どうしても提供者側の言いなりになってしまいがちだ。棺おけの例でいえば、葬儀までの時間は決まっているので、長い間考えているわけにいかなり。だから必要以上に高いものを購入しがちになってしまう。

 棺おけは究極の例だとは思うが、金融商品についても同じようなことがいえる。金融商品のうちでも、投資商品や生命保険のようなものは、特に考える機会が少ない。そのためどうしても金融機関のいいなりになりやすい。消費者として防衛する手段としては、自分で勉強するということに尽きる。しかし、勉強するにはある程度まとまった時間が必要だ。いまのように多くの人の時間が細切れになっていると、なかなかそのような時間はとりにくい。悩ましい問題だ。

 棺おけのことが知りたければ、本を読んだり、経験者にたずねるのが早道だ。金融商品の場合でも同じである。経験者ということであれば、てっとり早いのは金融機関の人にたずねることだ。ただここに大きな問題がある。金融機関の人間が自分たちに都合の悪いことを話すだろうかという問題だ。

 本来であれば、金融機関の人間は誠実に答えるべきだろう。食べ物に関していえば、作り手は毎日消費者の厳しい舌に対応することで、自分たちを磨いてきた。毎日が消費者、提供者にとって学習の場なのだ。金融商品に関しても、賢い消費者を育てることによって、自分を厳しい立場に追い込むことが、進歩につながっていくというのがまっとうな道なのではないだろうか。
 
 ただ、現実には勉強の機会を提供しようという金融機関は非常に少ない。セミナーを多数開催するといっても、結局は商品の説明会になっているケースがほとんどだ。現在加入している生命保険をみれば、それが知人から勧められたものなのか、そうではないのかはすぐにわかる。金融機関は、賢い消費者を育てると、儲けが少なくなると考えているのだろう(でも知り合いには悪く言われたくない)。結果として、金融教育は進まず、多くの人たちはリスクの少ない預金にお金を預けることになる。その預金が国債にまわって、最終的には自分たちの首を絞めることになるにもかかわらず。

 この循環を断つのは簡単なことではない。ひとついえることは、気づいた人はまず実行して欲しいということ。少額でもかまわないから投資商品を買ってみるとか、本やセミナーに参加して勉強してみるとか、何か行動を起こすことをお勧めする。私のところに相談にいらっしゃるお客様は、よく勉強している人が多い。勉強し、実際にやってみて、うまくいかない人なので、話をしても吸収するスピードが速い。食べ物の例でいえば、食べたことのある人は進化するスピードも速いようだ。まずいものを知っている人は、うまいものに対する要求度も高いということなのだろう。

「食わず嫌い」と、「食べてから嫌いになる」というのは、まったく違うこと。
まず食べることから始めよう!
 
 



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