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2008年2月

2008年2月 8日 (金)

確定拠出年金はなぜ普及しない?

 素晴らしい内容の本がベストセラーになるとは限らない。むしろ、素晴らしい本であっても、ベストセラーにならないほうが普通だろう。ベストセラーになる本がすべて素晴らしい本だとは言えないが、売れるためには、内容にプラスアルファがないといけないのは間違いない。昨年、本を2冊出してみて、そのことをつくづく感じた。

 内容と人気が一致しないというのは、本に限った話ではない。映画や音楽というエンターテイメントの世界にはよくある話だろう。もちろん金融の世界でも同じようなことがある。その典型例が「確定拠出年金(個人型)」である。メリットの大きなしくみであるにもかかわらず、広く利用されているとはいえない。

 「確定拠出年金(個人型)」は、20歳~60歳までの自営業者の人や、企業年金のない会社に勤務しているサラリーマンなどが加入できる(主婦や公務員は対象外)。企業年金のある会社に勤務している人は加入できないので、加入できる人が限られていることは事実だ。それでも加入者8万人というのは少なすぎる。数が2桁ぐらい違っているのではないかという気がする。

 「確定拠出年金(個人型)」は、月々掛け金を積み立てて、60歳以降年金として受け取るためのしくみだ。原則として途中で解約することができない代わりに、税制上の特典が用意されている。掛け金は全額所得控除となり、運用期間中は利子や分配金には課税されない。また年金で受け取るときは公的年金控除が適用され、一時金で受け取るときは退職所得控除が適用される。税金面では非常に有利な方法だ。

 もちろんコストはかかる。コストは金融機関ごとに異なるが、イー・トレード証券の場合は、50万円以上の残高があれば、毎月の口座管理手数料は無料になる。他には国民年金基金連合会などに月額163円の手数料を支払う必要がある(掛け金を支払っている期間中)。

 所得税や住民税を支払っている人であれば、最低税率でも15%が適用される。たとえば月額1万円ずつ「確定拠出年金(個人型)」で積み立てていると、年間12万円が所得控除されるので、税金を18,000円節約できる(120,000円×15%=18,000円)。上の例で、イー・トレード証券に残高が50万円以上あれば、年間の手数料は1,956円なので、コストよりも税金の節約分のほうが大きい。税率が高い人であれば、メリットはより大きなものになる。

 ただし注意しなければならないこともある。「確定拠出年金(個人型)」では、金融機関が準備する運用商品(預金や投資信託など)から、加入者が自分の責任で商品を選択して運用する。投資信託のような元本を変動する商品を選んだ場合は、元本割れする可能性もある。また信託報酬という運用手数料を負担しなければならない。

 とはいっても、「確定拠出年金(個人型)」に加入できる人が、この制度を使わずに、金融機関で投資信託を購入しているというのはいただけない。短期売買を繰り返して儲けたいという人以外は、まず「確定拠出年金(個人型)」に加入して、それから金融機関で投資信託を購入するというのが正しい順番だと思う。

 もし元本割れするのは絶対にいやだというのであれば、預金や積立年金という元本確保型の商品で運用してもよい。掛け金は所得控除されるので、その分税金を節約できる。上の例では、節約できる税金が毎年18,000円、必要なコストが1,956円なので、差し引き約16,000円の利益と考えてもよい。年間の掛け金が120,000円なので、単純計算で年13%程度の利回りとなる(16,000円÷120,000円=13.3%)。利息がゼロだとしても年13%の利益が得られる方法が他にあるだろうか?

 「確定拠出年金(個人型)」は、60歳まで現金にできないというデメリットはあるが、お金を増やすという意味でのメリットは大きい。なぜこの制度が普及しないのだろうか?

 理由は単純明快だ。「確定拠出年金(個人型)」は、金融機関にとってうまみが少ないので、力をいれないから普及していない。それだけのことだ。

 実は、多くの金融機関で「確定拠出年金(個人型)」を取り扱っている。しかし、銀行や証券会社の窓口では、客が申し出ない限り「確定拠出年金(個人型)」の説明はしないはずだ。「確定拠出年金(個人型)」を熱心に販売したとしても、金融機関に入ってくるのは少しばかりの口座管理手数料と、投資信託の信託報酬ぐらいだ。手間をかけても、なけなしの手数料しか得られないのであれば、もっと大きな手数料の取れる変額年金や投資信託を売ったほうがよっぽどよいと考えるのが自然だろう。

 この現状は簡単には変わらない。金融機関から何か情報が得られると思ったら、大間違いだ。だから、「確定拠出年金(個人型)」に加入できる人は、ぜひ加入を検討してみてほしい。拙書『会社勤めでもできる余裕の年金づくり』(明日香出版社)の151ページのフローチャートを使えば、加入可能かどうかすぐにわかる。よい制度はいますぐ利用するに限る。

 それにしても、この「宝探し」のような現状は何とかならないのだろうか。本当に役に立つ商品やしくみが広く使われるようになって欲しいものだ。 

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2008年2月 7日 (木)

イキガミにみる確率

 あなたの家をひとりの男が訪ねてくる。男は、区役所戸籍課の藤本と名乗った。
ドアを開けると、その男は1枚の書類を差し出し、こう言った。

「あなたに死亡予告証(イキガミ)をお届けにまいりました。」

 あなたに残された時間は24時間。24時間後には、体内に注入されたナノカプセルが破裂して、あなたの命を奪う。さて、あなたは残された時間をどう使う。

 間瀬基朗作のコミック『イキガミ』(小学館)は、残された1日を生きる人間達を描いたヒューマンドラマだ。単純には割り切れない、人間心理を描いた作品なので、ぜひ読んでもらいたい。今日は、『イキガミ』の作品そのものではなく、作品の前提となっている確率について、私なりに考えてみようと思う。(注:作品を批判する意図はまったくないことをご理解ください)

(以下、作品の要約)

 『イキガミ』の舞台は、近未来の日本らしい(推測)。すべての国民は小学校入学時に特定感染症の予防を受けることが義務づけられる(「国家反映予防接種」)。そのときに使用される注射器のうち約0.1%には、特殊なナノカプセルが混入されている。そのカプセルは、生命力がピークに達する18歳から24歳までのあらかじめ設定された日時に破裂して、注入された人間の命を奪う(つまり、7年の間に、1000人に1人が死ぬということ)。

 カプセルが誰に注入されたかを知ることはできない。国民はその時期が来るまで「自分が死ぬのでは」という危機感を抱きながら成長することになる。その危機感が「生命の価値」に対する国民の意識を高め、社会の生産性を向上させるとされている(この制度の施行以来、自殺件数と犯罪件数は減少し、GDPと出生率は改善しているらしい)。

 カプセルが注入された人には、死亡予定時刻の24時間前に、「死亡予告証」(通称「イキガミ」、逝紙と書く)が手渡される。『イキガミ』では、その配達人である藤本を主人公としてドラマが展開される。

(以上、要約終わり)

 この作品のポイントは、「18歳~24歳の7年間に、何の前触れもなく、1000人に1人が死亡する」という前提条件だ。青春を謳歌するであろう時期に、0.1%で死亡するというのは、かなり高い確率のような印象がある。では、現実の数字はどうなっているのだろうか?『イキガミ』というフィクションを設定しない場合、18歳~24歳までの7年間に死亡する確率はどの程度なのだろうか?

 そこで、2000年の国勢調査データをもとにした、第19回生命表の数字を使って、数字をはじいてみた。http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/19th/

 すると、18歳の時点で生きていた人が、24歳までの7年間に死亡する確率は、男0.45%、女0.19%であることがわかる。実は、0.1%よりずっと高いのだ。もちろん生命表の数字の中には、生まれながらにして体が弱い人や事故でなくなった人もいるので、『イキガミ』にあるように、健康な人が突然亡くなるというケースは少ないだろう。

 「0.1%の確率で死ぬ」と言われたときと、数字を知っているかいないかで、受ける印象はかなり違う。『イキガミ』は、あえて理不尽な設定を儲けることで、命の持つ意味を考えさせてくれる素晴らしい作品だ。だが、現実はこの設定よりも厳しい。私たちは、『イキガミ』の世界よりも、より緊張感を持って生きるべきなのかもしれない。(作者の間瀬氏は、生命表の確率を知っているようにも思えるのだが、どうだろう。)

 生命表によれば、30歳のときに生きている人が10年間で死ぬ確率は、男1.0%、女0.5%である。同様に40歳からの10年間だと男2.3%、女1.2%、50歳からの10年間は男5.9%、女2.7%となる。この確率が高いと思うか、案外低いと思うかは、人それぞれだと思う。ただ、よくいわれる「万が一」(0.01%)よりはずっと高い確率である。いたずらに怖れることはない数字だが、知っておいてもよい数字だ。遺伝子検査が簡単にできるような時代になれば別だが、いまのところ、あなたも私も同じ確率の下で生きている、という前提なのだから。

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2008年2月 6日 (水)

戒名の経済的価値を考える

 昨日、ダイヤモンド社で取材を受けた。3月1日に発売される『Diamond MONEY』に、「退職金の使い方」に、ファイナンシャル・プランナーとしてコメントするためだ。失敗しないで退職金を運用し、使っていけばいいのかについて、有益なヒントを提案したつもりだ。内容に興味がある人は、ぜひ購入してお読みいただきたい。

 インタビューにも一区切りがついたところで、「戒名」の話題になった。お葬式の話をしていたら、ライターのAさんが「戒名って、高いですよね。」とこぼしたからだ。たしかに戒名は高い。50万、100万というのも珍しくはないようだ。私の父親の場合は、通夜と告別式での読経も含めて35万円だったから、格安だったのかも知れない(不謹慎な言い方ですみません)。葬儀に参列した叔父から聞いた話では、地元では戒名は100万以上するのが当たり前という話を聞いた。母の話によると、実家のそばのご家庭では、ご主人がお亡くなりになったときに、戒名料として法外な金額を請求されたらしい。

 戒名がお金で取引されていることに、仏教界からも批判的な声が上がっているようだ。ただ、私たちのような庶民にとっては、戒名はお金と引き換えにもらうというイメージが強い。もし戒名がお金と交換されるものならば、経済的価値を持っていることになる。さて、戒名の経済的価値とはどのようなものなのだろうか?

 そもそも「戒名」とは何か。多くの人は、そのことすら知らない。父親の余命が2ヶ月と宣告されるまで、私も知らなかった。母親に聞いても、よくわからない。わかっていることといえば、文字数によって値段が違うらしいということぐらいだ。そこで、ひろさちや氏が書いた『お葬式をどうするか』(PHP新書)を読んでみた。すると戒名の由来についてわかりやすく書かれていた。私なりに要約しながら、紹介してみよう。

 現在の日本では、仏教形式に基づいた葬儀が多い。父は生前、とくに信心深いわけではなかったが(というか無宗教を公言していた)、実家が日蓮宗だったということで、日蓮宗のお坊さんに来ていただき、戒名をつけてもらった。父の例は、特に珍しいことではないと思う。

 しかし、お坊さんが本格的に葬儀に関わるようになったのは、それほど古い話ではない。せいぜい江戸時代からのことらしい。徳川幕府はキリシタンを弾圧するために、檀家制度によって民衆を管理することにした。そこで、幕府は葬儀も仏教で行うことを要求する。

 といっても、仏教ではそれまで庶民の葬儀をしたことがなかったので、困ってしまった。ただ、僧侶仲間の葬儀の形式はあったので、それを庶民の葬儀に転用することにした。仲間うちの葬儀という形式をとるならば、死者は僧侶でなければいけない。そこで、死者を出家させるために、弟子となったあかしとして「戒名」という名を送ることにした。つまり、「戒名」とは出家した人につける名前のことなのだ。(浄土真宗では「法名」、日蓮宗では「法号」と呼んでいる)。

 「戒名」は、本来、出家した人の呼び名であるから、生きているときに授かるものである。それが葬儀と結びついたために、「戒名=死者の名前」のようなイメージを持つようになってしまったと考えられる。

 「戒名」の経済的な価値をどのように考えればよいのだろうか。「戒名」の由来を知ると、私にとって、戒名とは「仏教形式で葬儀を挙げてもらうための手数料」のようにみえる。葬儀を仏教形式で行うという前提であれば、戒名なしということは考えられない。ただ、父や私のように特に仏教を深く信仰しているわけでない人なら、葬式は必ず仏教形式にしなければならないということでもないだろう。

 ポイントは、「仏教の形式で葬式をするかどうか」ということだ。どうしても仏教でというのであれば、戒名は必要経費と考えればよい。もし仏教の形式にこだわることがないなら、そもそも戒名というものは必要ない。ひろさちや氏の本の冒頭では、釈迦やイエスがお葬式を重視していないことを紹介している。はっきりいえば、どうでもいいことだと考えていたようだとも述べている。もしそうならば、私たちはどうでもよいことにこだわりすぎているのかも知れない。

 お葬式では、まだまだ仏教の活躍する場面が多い。しかし、結婚式のスタイルが大きく変わっていったように、お葬式のスタイルもこれから大きく変わっていくだろう。「戒名」について考えることで、自分にあったお葬式を考えてみてはどうだろう。

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2008年2月 5日 (火)

私のヒーロー

 小学校のころのヒーローは、王貞治だった。子ども心にも、あのホームランはインパクトが強かった。ONの2人のうち、大人は長嶋を応援していたが、こどもにとってのヒーローは王選手だった。彼が引退すると聞いたときは、「もう野球を見るのをやめよう」と思った。たぶん、同じような気持ちをもった少年も多かったことだろう。いまでは、とても想像できないことだが、それぐらい王選手の存在は大きかった(イチローが引退するから、野球を見るのをやめるという人は、ほとんどいないはずだ)。

 高校生になってバスケットボールを始めてからは、マジック・ジョンソン(ロサンゼルス・レーカーズ)がヒーローだった。200mを超える身長で、あのスピードとテクニックはいまでも信じられないぐらいだ。まさに「マジック」の名前にふさわしい。先日、スポーツ用品店でマジック・ジョンソンのビデオが流れていたので、立ったまま、1時間ビデオを見続けた(笑)。その後、マイケル・ジョーダンというスーパースターが現れたが、個人的にはマジック・ジョンソンがナンバーワンプレイヤーだと思っている。

 大学を卒業して、会社に入ってからのヒーローは、経営コンサルタントの大前研一さんだ。いまから20年以上前、丸紅に入社する前に、少しは本を読まなくちゃと思い、大前氏の『新・国富論』を読んだのが彼との最初の出逢いになる。書いてある内容はたぶん半分も理解できなかったが、それでも「この人はただ者ではない」と直感した。シンガポールに長期駐在していたときは、ホテルと隣接するショッピングセンターにある紀伊国屋書店で、大前さんの本を買い込んで、ずっと読んでいた。特に彼が世の中に知られるきっかけとなった『企業参謀』『続・企業参謀』の2つの本には大きな影響を受けた。「考える」とはこういうことなのか、と目からうろこだった。

 最初の出逢いから20年たった現在も、彼は私のヒーローであり、師匠だ。直接何かを教えてもらったわけではないが(サインをもらったことはある)、著書やテレビを通して、様々なことを吸収させてもらっている。昨年、私が本を書くことができたのも、大前さんのおかげだと感謝している。

 そして、今日、久しぶりに生の大前さんを見ることができた。TBSラジオの「サイエンス・サイトーク」という番組(日曜21時30分~22時)の公開収録を見学することができた。司会の日垣隆さんのメルマガを購読している関係で、おすそわけに預かった。

 恥ずかしい話だけれど、涙が出るほど嬉しかった。還暦をすぎたおじいさん(失礼)の話を聞いて、涙が出そうになるというのも変な話だが、大前さんの声に強く心が動かされた(実際には泣きはしなかったけど)。大前さんの日本に対する思いがビシビシと伝わってきて、「俺もがんばろう」と心から思った。

 大前研一氏の主張は、著作も多数出版されているので、興味がある人はぜひ読んでもらいたい(ブックオフでも入手可能)。主張が優れているのはもちろんなのだが、私が一番関心するのは、彼の「倫理観」だ。曲がったところがどこにも感じられない、というのが素晴らしい点だ。どうしてあれだけ純粋に生きられるのか。それだけでも大前研一という人間が稀有な存在であることがわかる。

 あれだけの能力があれば、世界企業のCEOになることも可能だっただろう(実際にスカウトもあったらしい)。そうであれば数十億~数百億というお金を手に入れることも難しくはない。しかし、彼はそういうことにはまったく興味がないらしく、現在はコツコツと人材育成に力を入れている。ノーベル経済学賞の候補にもあがっていたそうだが、そのような権威に執着するわけでもない。

 大げさな話に聞こえるだろうが、大前研一という人間が日本人として生まれたことは、私たち日本人にとって、とても幸運なことだ。そして、ある意味では残された希望のひとつだともいえる。

 反対に、日本の不幸は、大前研一という人間を知らない日本人があまりにも多いということだ。地球の裏側のブラジルでも、彼の講演には3000人以上が集まるという。世界でも彼ほどの講演料がもらえる人物は数えるほどしかいない。しかし、そのことを知っている日本人がどれほどいるだろうか。なぜ世界的に高く評価されている大前さんが、日本ではテレビのコメンテーターよりも知られていないのか。これは本当に不幸なことだ。

 もしあなたが大前氏の著作を一冊も読んだことがないというなら、だまされたと思ってぜひ読んでほしい。必ず新しい発見がある。大前ファンの人は、ぜひお話しましょう。

 それにしても、ヒーローに会えるといういうのは嬉しいことだ。今日は難しい話を抜きに、しばらく幸せな気分に浸りたいです(笑)。

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2008年2月 4日 (月)

さようなら!YEN(円)・8

 いま世界で勢いのある通貨は、「21世紀型通貨」のユーロと、中国・人民元やインド・ルピーのような「20世紀型通貨」の2種類だ。前者は国境を越えて、自らを律することでより強い通貨を目指そうという動きである。後者は日本やドイツがたどってきた道をなぞりながら、自国の通貨を強くしようという動きである。両者の勢いは、いまのところ簡単には止まりそうにない。

 この2種類の通貨にはさまれて、力を落としているのが米ドルと日本円である。いまのところ、為替トレーダーのおもわく以外に、この2つの通貨が強くなる要素は見つからない。特に日本の状況は深刻だ。財政に規律がないのは当然のこととして、財政状況はさらに悪化しような気配だ。自民党だけでなく、民主党もバラマキの方向に舵を取っている。政権が欲しいから、お金を配るという発想は、やはり旧自民党の体質そのものなのだろう。このような情勢を見る限り、しばらくの間、円が強くなるという要素はないとするのが自然な見方だろう(現在の「円高・米ドル安」は、米ドルの下落という要因だと考えられる)。

 円を強くしたいのであれば、「21世紀型通貨」を目指す方向しかない。日本国内のマーケットだけではサイズが小さいので、東アジアと東南アジアを含めた地域で、経済政策と通貨を統合していくというのが唯一の生き残り作戦だ。もちろん、このような統合をしなくても、円という通貨がなくなることはないが、世界経済における意味はほとんどない、ローカルな通貨に成り下がってしまうだろう。

 この通貨経済統合のハードルは想像できないくらい高いものだ。日本の動きは、ユーロの「人、もの、金が地域内で自由に動くしくみ」とは、まったく逆行している。在留資格に日本語ができることを検討したり、米や牛肉に高い関税をかけたり、外国資本に対してはさまざまな規制を加えたり、ろくなことはやっていない。わざわざ自分たちが嫌われるための政策をとっているとしか思えない。

 また、通貨経済統合をしたとしても、いまの日本ではリーダーになることは不可能だろう。財政赤字は深刻だし、少子化も進み、経済力が上向きになることは期待できない(少し期待できるのは、団塊の世代の消費ぐらいか)。中国の経済成長の動きと比較すれば、どちらがアジアのリーダーになるべきかは一目瞭然だ。リーダーになるためには、まず自らを律して、健全な財政と、将来に希望が持てる社会を実現することが先決になる。

 考えているとだんだん気が重くなってくる。しかし、それでも日本は「21世紀型通貨」を目指していかないといけない。もし実現できなければ、「昔の日本はよかった」というノスタルジーにひたるだけの国になってしまうだろう。日本に住むという意味を見出せなくなり、優秀な人間からどんどん海外に出て行くことになる。このシリーズの冒頭にも述べたように、能力のある人にとって「国籍は関係ない」からだ。大リーグへの日本選手の流出が問題になっているが、いまの大リーグと日本プロ野球の関係をみれば、当然のことだ。野球だけでなく、他のさまざまな分野で同様のことが確実に広がっていく。

 私たちが「21世紀型通貨」を目指して、アジア諸国と協調していくにしても、いまの政治家には期待できない。それではひとりの庶民として何ができるのだろうか。このシリーズの締めくくりとして考えてみよう。

 私たちにできること、それは

 ”弱い円”にサヨウナラを言う ことだ。

 これから弱くなるのが確実な円で資産を持つのは、できるだけ避けよう。手持ちの不動産などはやむ負えない部分もあるが、少なくとも金融資産に関しては、他の通貨にシフトしておきたい。候補としては、「21世紀型通貨」の代表であるユーロが有力だが、長い目でみれば米ドルにも一部シフトしてもよいだろう。いまは米ドルひとり負けの状況が続いているが、これからユーロと米ドルの綱引きの第2幕が上がれば、しばらくは均衡状態が続くことも考えられるからだ。

 ユーロと米ドル以外の候補としては、英ポンド、カナダドル、オーストラリアドルなどが考えられるが、補完的なものと考えたほうがよいだろう。将来的には、中国元やインドルピーなども候補になるだろう。どの通貨で保有するにしても、長期保有が前提になる。

 これから値段が下がりそうな資産を手放して、値段が上がりそうな資産を買うということは、合理的な行動だ。この動きが本格化して、日本人が手元にある円をどんどん売るようになれば、日本政府も財政政策を見直す必要が出てくるだろう。いままでのように、国民から借金をすることができなくなるからだ。

 この日本政府の変化こそ、私たちが望んでいることである。財政の健全化に本気で取り組めば、日本にも再生の余地は十分にある。そのきっかけとして、「”弱い円”にサヨナラを言おう」というのが私の提案だ。一時的に、円は暴落することもあるだろう。輸入インフレに苦しむときもあるはずだ。しかし、そこから本当の改革がはじまる。清き一票を投票する以外にも、私たちにできることはある。それは、自分のお金を最も増やしてくれる通貨を選択することだ。

 自分のお金を増やそうとすることで、日本の将来に貢献できるのは素晴らしいことだと思う。次の世代に、借金漬けの国を残さないために、私たちにできることをはじめよう。そんなことを頭に入れながら、日々仕事をしている。

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2008年2月 3日 (日)

さようなら!YEN(円)・7

 21世紀における通貨とはどのようなものなのか? 

 この問いに、ユーロはひとつの答えを提案している。「軍事力」や「安い人件費による経済発展」を後ろ盾にせずに、いかに通貨を安定させていくのかという難しい問題に対して、ユーロは「加盟国が自らを律する」という新しい方法で対応することにした。このコンセプトが長期にわたって有効なのかどうかが立証されるまでには、まだまだ時間がかかる。しかし、いまのところ、他の通貨、特に米ドルと比較して高く支持されていることは間違いない。

 世界大戦の原因にもなった「ブロック経済」のようなものを形成しなくても、経済政策と通貨を共通化して、平和的に統一市場を作っていくという考え方はたしかに魅力的である。グローバリゼーションを21世紀の形で実現していくときに、ユーロ圏はそのお手本になるのかも知れない。

 ヨーロッパと日本の距離感のせいか、日本に住んでいると、ユーロ圏拡大の持つ意味がなかなかわからない。しかし、現実をみれば「円安・ユーロ高」の影響は続いているわけで、実際の経済にも影響を与えている。ただ、ユーロの影響をひしひしと感じているのは、ヨーロッパと大西洋をはさんで対峙する米国だろう。米国は日本より、ずっとユーロの持つコンセプトを感じているはずだ。

 実際、ユーロが登場して以来、米ドルはユーロに対して一方的に負け続けている。アフガニスタンやイラクへの軍事作戦などの失敗によって、自らずっこけた面もあるが、ユーロのコンセプトが優れていることが広く認識されたことが大きな理由だろう。アメリカの一極集中が終わったといわれるのも、ユーロという受け皿が出現したことが大きい。

 米国はこのままユーロが強くなっていくのを、指をくわえたまま見過ごしてしまうのだろうか?

 おそらくそれはないだろう。米国の新大統領が誰になるにせよ、その点は大きく意識せざるを得ない。ユーロのコンセプトに優るようなアイディアを出さない限り、お金はヨーロッパに流れ続けていく。財政に規律を持たせること、物価上昇を抑えることなど、経済に重点をおいた政策に切り替わり、軍事面では縮小を余儀なくされる。

 しかし、たぶんそれだけでは足りないだろう。軍事力を背景にしていた米国が軍事面で縮小することが明らかになら、世界全体に対する影響力は落ちていく。もともと米ドルの地位は、米国経済の世界経済に対する割合以上に大きなものだったのだから、調整がはかられるのは当然だ。財政を正常化し、軍事費を削減するだけで、マーケットの支持を得ることは難しい。

 そのときには、やはりユーロのコンセプトを借りてくることになるだろう。カナダ、メキシコ、ブラジルなどと、経済政策や通貨を共通化するということができるかどうかという点が課題になる。この方向が成功しないとすると、究極の選択として、ユーロ圏との一体化しか残っていない(実現してもかなり先の話だろうが)。そのときには、事実上の「世界通貨」が誕生することになる。

 米ドルとユーロの戦いの第一幕は、ユーロの圧勝だった。戦いは第二章に入ってきている。これからもユーロの優勢が続くのか、それとも米国が巻き返すのか。勝敗を判定するレフェリーがマーケットだ。

 わが円はこの戦いとは、まったく縁がない(しゃれではない)。寂しいことだ。では、円経済にいる私たちとしては、どのように考え、どのように行動していけばよいのだろうか。

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2008年2月 2日 (土)

さようなら!YEN(円)・6

 前回、ユーロにお金が集まる理由は「信頼」にあると述べた。ユーロ加盟国は財政赤字とインフレ率を厳しくチェックされるため、放漫財政が許されない。そこが日本や米国との大きな違いだ。通貨統合だけでなく、経済政策まで共通化しているところにユーロの特徴がある。この経済政策の共通化が、いまになって力を発揮し始めた。2002年にユーロが本格的に導入されて以来一貫して、米ドルと円に対して強くなっているのが、動かぬ証拠である。マーケットはユーロのコンセプトと実績を支持している。また、周辺諸国もユーロへの参加を希望して、加盟国はヨーロッパの広範囲を包み込んでいくだろう(アジアやアフリカにも広がるかもしれない)。

 人類の歴史上はじめて、通貨と経済政策を統合したという意味で、ユーロ圏の登場は画期的だ。壮大な実験だともいえる。発足当初は、その効果を疑問視する向きもあったが、いまでは完全に軌道に乗ったものとみてよいだろう。アメリカ一国支配に対する危機感や、新興国の経済ウェイトが増すことへの自己防衛という観点で、ユーロというコンセプトが登場してきたのだろうが、いまではユーロが完全に主役になっている。導入以後10年足らずで、このような力をつけたのは、ユーロのコンセプトが優れていたことはもちろんのこと、米国が自ら墓穴を掘ったという点も無視できない。

 ユーロ紙幣や硬貨が導入されたのが、2002年1月1日。その直前の2001年9月11日に、米国同時多発テロが発生している。その後、米国はアフガニスタン、イラクへの軍事作戦へと向かい、大きな財政赤字を計上するようになった。アフガニスタンではタリバンが復活し、イラクでは内戦が継続中だ。軍事的な成果もなく、お金だけを使った米国の地位は確実に低下し、それにともなって米ドルの価値も落ちていく。その一方、ユーロは確実に力をつけてきた。長い目で見れば、ユーロのコンセプトはマーケットの信頼を得やすいものだと思う。しかし、これほど短かい間に「ユーロ高」になるとは、加盟国にとっても意外だったはずだ。その背景には、アメリカがみずから米ドルの価値を下げるような行動をとったことがある。その意味で、2001年と2002年というのは、米国とユーロ圏の経済バランスの変化が起きる分岐点といえるだろう。

 2008年時点で、ユーロというコンセプトはおおいに成功を収めたといって間違いない。それでは、このユーロの成功から、私たちが学ぶことは何だろうか。ユーロ建ての投資信託や、FX取引をする前に、その意味を考えてみよう。

 以前述べたように、この20年ぐらいは「円高」が続いてきた。そのため、私たちは「円」以外の通貨を持つことなど考えなくてもよかった。しかし、これからは違う。世界の中で、円の地位は確実に低下している。いまの状況が大きく変化しない限り、長期的に円が強くなっていくということは考えにくい。もし円が弱くなってしまうなら、いま円でお金を保有しているということは、将来値下がりする資産を持っているということになる。それが嫌なら、将来値上がりしそうな通貨にお金を移しておくことだ。これからは、そんなことを考えなくてはいけない。

 では、値上がりしそうな通貨とは、どのような通貨なのだろうか。ここで「値上がり」といっているのは、短期的な意味ではない。長い期間にわたって値上がりするという意味である。短期的な為替の変動を予測することは難しい。2008年2月現在、円は米ドルに対して高くなっているが、これも米国の金利低下による影響なので、これが長く続くかどうかはわからない。私がFX取引を薦めないのも、これが大きな理由である。

 これまで強いといわれてきた通貨には、次の特徴があった。

 ① ある国で流通する通貨であることが前提にある。
 ② 経済発展または軍事力がその背景にある


〔ある国で流通する通貨であることが前提〕

 大英帝国時代のイギリス、パックス・アメリカーナ時代の米国、第二次世界大戦以後の日本とドイツ、そして現在注目されている中国など、どのケースでもひとつの国に流通する通貨であることが前提である。国の総合力が増すにしたがって、通貨も強くなる。強い通貨になれば、国境を超えて使用されることもある。米ドルは米国以外でもまだまだ広く使われている。昔は、中国の通貨が日本で使われていた。

〔経済発展または軍事力がその背景にある〕

 ある通貨が強くなるためには、原則として経済発展が不可欠である。円が強くなることができた理由は、経済成長だ。特に自動車や電機の分野で生産性を高めたことが、為替レートの変化をもたらした。経済が高度化する過程で、新興諸国が力をつけて、自国の通貨を強くしていく。これから「人民元」に起こることも、これと同じである。

 通貨が強くなる大きな理由は経済だが、その背景に軍事力が隠れているケースもある。大英帝国時代のイギリスや最近までの米国はこの例だ。米国経済は山あり谷ありだが、基軸通貨の地位をいまだに確保しているのは、その軍事力によるところも大きい。もし米国の軍事力低下が明らかになれば、世界中で米ドルの使用が減り、米ドルは大幅に安くなるだろう(いま起きているのは、その前哨戦といったところか)。

 ユーロのおもしろいところは、この2つの特徴を必ずしも持っていないことだ。ある国の通貨が使われているわけではない。また軍事力が背景にあるわけでもない。平和的に話し合って決めたルールに基づいて運営されている。もちろん経済発展がなければ通貨を強くすることはできないが、これまで日本、ドイツ、NIES諸国などのパターンとは違う。ある程度成熟した経済を持つヨーロッパで行われているところに意味がある。

 ユーロのメッセージでもっとも重要なのは、「国という概念の見直し」だ。ひとつの国がひとつの通貨を持つという考えでなく、「人、もの、金」を一体化するすることでより大きなマーケットと作り出そうというところがポイントだ。政治的な自由度は残しつつも、国境の持つ意味を小さくすることによって、新しい経済発展をめざそうとしている。軍事力のような力で、他の国を従わせるのではなく、参加国が自主的に規律を作って、その規律に従った運営をしていくところも大きな特徴だ。

 ユーロのコンセプトを確認してみると、改めてその秀逸さに感服する。いままではみられなかったようで、通貨を強くするための方法と見ることもできる(目的はそれだけではないだろうが)。平和的かつ賢い、というところがよい。マーケットがこのコンセプトを高く評価するのも当然といえるだろう。

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